日本の治安悪化と一般市民の責任 | ideamngのブログ

日本の治安悪化と一般市民の責任

近年、日本の治安が悪化したと考えている人が増えています。

しかしながら多くの一般市民は治安悪化は一部の異常者が増えたために引き起こされていると考えています。

今回は近年の治安の悪化について考えてみたいと思います。

嘘つきは泥棒の始まり」という言葉があります。

これは一般には子供が親に嘘をついたときなどに、「そんなことをしていると将来泥棒になってしまうよ」と子供を諭すときに使われます。

しかし私にはこの言葉は「嘘つきが泥棒になる」という一事象について述べているのでなく、より普遍的な事実を示しているように思われます。

私は「嘘つきは泥棒の始まり」という言葉を「嘘をつく」という比較的軽い「」を繰り返すうちに「」に対する感覚が麻痺し、より重い「」である「泥棒」に至ってしまうという意味に解します。

嘘つきは泥棒の始まり」であるという一事象のみでなく「泥棒がより重い罪を犯すようになる」という事象をも含む、普遍的な「人の罪の意識の希薄化」全体を示していると考えるのです。

また心理学に「割れた窓」という理論があります。

ニューヨークの治安が悪化したときに盛んに言われたことですが、一つの割れた窓をそのままにしておくと、次々とガラスが割られ、ついにはスラム街化してしまうという考え方です。

これも一つの窓が割れているという比較的害の少ない状況を放置しておくことが人にとって害になるような状況の悪化を招いてしまうということを示しています。

私は今の日本の治安悪化もこれと同じような理由によって引き起こされていると考えています。

治安悪化は一部の異常者のために起こるのではなく、またこの一部の異常者は特別な人々ではありません。

私は信号無視などの比較的軽い「罪」を積み重ねていくうちに「罪」に対する感覚が麻痺し、一般の人が異常者化していくと考えます。

信号無視などをしたことがあるすべての一般の市民が異常者予備軍足りうるのです。

信号無視、バイクの違法改造そして飲食店でおかわり自由の飲み物を複数人で共有したりする行為、これらはすべて「」であるといえます。

しかしながら今の社会では「このくらいのことはいいだろう」といってこのような行為を許容してしまう現実があります。

このような軽い犯罪を許容する社会が「」に対する感覚が希薄化した異常者を生み出し、悲惨な犯罪を生み出すのです。

一般の人々は凶悪で悲惨な犯罪が起きたのを見て、自分とは異なる他者が異常な犯罪を起こしたと捉えがちです。

しかしこの世のあらゆる市民が犯罪者になる素地を持っていると言えます。

また市民は凶悪な犯罪に出会うとすぐにその人を極刑に処せばいいと考えがちです。

しかしながら凶悪な犯罪者をすべて極刑に処したところで犯罪は減りません。

なぜなら凶悪な犯罪の背後には無数の今までに軽い「罪」を犯したことのある犯罪者予備軍が存在するからです。

真にこの世の中の凶悪な犯罪を減らすためには一般市民一人一人が日ごろから自分が些細なことでも「」を犯さないように気を付け、「」に対する感覚を「希薄化」させないようにしなければなりません。

私たちはテレビで脱税事件が報道されるたびに自分は税金をしっかり支払っているか、贈賄・収賄事件が報道されるたびに、自分が仕事の利害関係人に食事をおごられたり、おごったりしたことがないか、凶悪な事件が報道されるたびに自分は信号無視や違法改造などをしていないかを確認しなければならないのです。

多くの市民がこのように自分の行動を省みて、「罪」に対する感覚を先鋭化し、小さな「罪」も見逃さなくなったとき、この世の中から凶悪な犯罪は減り始めると考えます。

日本の治安悪化の責任は一部の異常者にではなく、そのような異常者を育てる土壌を作り出している市民にあります。

日本の治安が悪化していると考えるとき、一般市民は自分はこの異常者を作り出す土壌を育てることに加担していないかどうか、よく考えなければなりません。

犯罪者が増えているから治安が悪化していると考えるのは早計です。

犯罪者を育てる土壌、軽い「罪」に対する感覚が希薄化した社会を作り出すことに加担している、すべての市民に治安悪化の責任はあるのです。

以上のことから私はすべての市民が治安悪化の責任を感じるようになることが日本の治安を改善させる最善の方法であると考えます。