ヴァイオリンが古くなる様子 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

これはペーター・シュルツというドイツのモダンヴァイオリンです。作られたのが1846年です。

ニスの様子を見るとアンティーク塗装のように見えます。しかし、約180年前のヴィオリンであればこのような状態になっていることはあり得ます。

このニスはとても柔らかいオイルニスでドイツのモダン楽器には典型的なものです。赤い色も特徴です。このヴァイオリンが珍しいのは時期が早いことです。

明らかにドイツのオールド楽器とは様子が違います。完全にモダン楽器になっています。つまり「フランス風」ということです。ストラディバリモデルで赤いニスというのが分かりやすいですね。完成度はフランスの楽器ほどではないようですが、地方の職人が独自にフランス風のものを作っていたというのが分かります。
柔らかいニスというのはポロポロ剥げていくのではなく、消しゴムのように擦れて薄くなっていきます。肩当などが普及するのは現代になってからですから裏板も真ん中から下の赤い色が薄くなっています。

柔らかいニスは粘着性があり汚れがくっついて埋もれていきます。黒くなっているところもそのように塗ったのではなく、本当に汚れている可能性は十分にあります。掃除の作業で苦労しました。

ヴィヨームなどがストラディバリのコピーを作ったときストラディバリが150年ほど経っていました。その時代のアンティーク塗装の手法と言えるかもしれません。

これも同じ作者の1840年代のものです。様子がだいぶ違いますが、ニスの色が違います。古くなった木材の色とニスの色が似ているとニスがどこに残っているのかはっきりわかりません。汚れがついています。前回のノイナー・ホルンシュタイナーに比べると自然です。

これがノイナー・ホルンシュタイナーです。今回は修理後の写真です。真ん中だけが真っ黒になっています。エッジの溝についているのは本当の汚れかもしれません。これも120年くらい経っていますから、本当に古くなっている部分もあります。アンティーク塗装の中ではすごくわざとらしいという感じではありません。

裏板の方も本当についた傷があります。同じ場所に集中しているのでケースなどの問題かもしれません。かつてはケースは木製でした。

もういちど、ペーター・シュルツです。裏板もはっきり2色にはなっていません。板目板に近いもので着色もされているのでしょう。
同じ作者の同じ時期のものでもこんなに違います。

もっと古いヴァイオリンです。

作者名ははっきりしませんが、明らかにアマティ型のオールド楽器です。イタリアの1600年代のものでしょう。
赤いシュルツのようにはっきりとニスが2色になってはいません。それどころかもともとのニスが残っていないようです。

裏板を見ると典型的なアマティ派のものです。どれがオリジナルのニスでしょうか?

溝の付近にわずかに残っている茶色く見えるものがそうかもしれませんし、それも後の時代に塗られたものかもしれません。

ちょっと緑っぽく見える所は汚れの上から透明なニスが塗られているようです。割れの修理をした時に汚れが残ったところに透明なニスを塗ったのではないかと思います。最初は全部がそんな様子だったのでしょう。掃除をすると新しくニスを塗ったところだけ汚れが残って他はきれいになったというわけです。
補修ニス塗る前に掃除をしておくべきでしたね。私は何回か前に掃除が大事だという話をしています。しかし割れている楽器を掃除するわけにもいかずこんなことになってしまいます。

ともかく95%はニスが失われ残っているところも汚れにまみれています。

木材が古くなっているので薄い色のニスを塗ると黄金色に見えます。黄色でもオレンジでも下地が暗いために新品のように鮮やかには見えません。


同じ作者の同じ時期のヴァイオリンでもこんなに様子が違います。様々な要因で見た目の印象が変わってきます。

アンティーク塗装は、アンティーク塗装をマネすることが多いと思います。人間とはそういうものです。またフルバーニッシュの新作楽器の作り方を応用してアンティーク塗装をすることが多いです。いろいろな段階があって、ニスを完全に均一に塗るのがフルバーニッシュだとすれば、エッジはニスを明るくするのも初歩的な手法です。完全に均一にするのではなくて、表板の中央や溝のあたりを濃くすることでも雰囲気が出てきます。陰影をつけると言いますが、それくらいなら隠し味程度でフルバーニッシュとみなされるでしょう。
そうやって徐々に古い楽器の趣を入れていくわけです。

しかし、不自然でわざとらしいものが多いですね。時代がどれくらい経っているかがはっきり設定されていないアンティーク塗装も多いです。新品のような鮮やかなオレンジ色のニスに真っ黒な傷がついていたりします。全体的に汚れがついていないとおかしいです。

写真のように写実的な絵を描ける人じゃないと本物とはかけ離れたものになってしまうでしょう。

それなのに自画自賛タイプの職人が結構います。というよりも職人の典型です。
幸せで結構なことだと思いますが、お客さんにも自信満々に語ることでカリスマ性を発揮して説得力があることでしょう。しかし、自分の楽器について満足してしまうとそこで終わりです。明かに不自然なアンティーク塗装で良しとしてしまっていることが多いです。

私はアンティーク塗装が大嫌いです。それで何とか本物に近づけようとやっています。本物を100点とすれば10点くらいでしょう。私より目が良くないと分からないというだけです。
でも世の中には1~2点くらいのものが多いです。

前回私が作ったのは傷などは控えめできれいめな感じです。

私は楽器は古くなっていくのでわざとらしくさえなければいずれ趣きが出てくると思います。しかしわざとらしいものはずっとわざとらしいままです。
本物らしくなくてもやり過ぎなければ良いかなと思います。しかし薄味すぎると労力のわりにインパクトが弱くコスパが悪いです。本当の古い楽器もそうですが趣きになっているのかただ汚いのかも重要です。見たときにどう感じるかであって理屈はありません。


古い楽器は一台一台全く違う様子になります。オールド楽器でも後の時代に上からニスを塗ってあるものがあります。ニスが剥げて来たので上から塗ってしまうのです。自分たちの時代のニスを塗ることもありました。今でも新作楽器ではオレンジ色が多いので、修理でもニスが剥げたところにオレンジ色を塗ってしまうことがあります。古い楽器はもっと落ちついた風合いです。継ネックなどで新しく取り付けた材料をオレンジで塗ってしまうと胴体とマッチしません。そういう失敗は多いです。
また近代や戦後の楽器でも光に当たって色が褪せていることがあります。茶色の琥珀色に見えるものでも、テールピースやあご当ての下が赤いものがあります。作られた当初は赤かったものが色が褪せて琥珀色になっています。色素には弱い耐光性の低いものがあります。そのような色を補修するのは難しいです。

このように古い楽器では上から赤やオレンジのニスを塗ってあるものがあります。19世紀に行われた修理ならそれも剥げ始めているので最初の楽器のようになっています。

私がヤコブ・シュタイナーの表板を補修しました。表板にはニスが全くありませんでした。そこでフレンチポリッシュという手法で布で磨きながら薄く塗っていきました。木材の古さと汚れで、オールドらしい雰囲気になりました。ギターの塗装と同じようなものなので同じ塗装を新品のヴァイオリンに施せば、ほぼ白木のままです。

裏板は過去に塗り重ねられたものでした。裏もおそらくニスは残っておらず100年以上前に塗ったのでしょう。
それを別の職人がシュタイナーのニスを補修するのに参考にしたいと借りていきました。過去の補修がひどいのでやり直すときに参考にしたのです。しかしお手本にしたそれとて私が塗ったニスです。


エンリコ・ロッカも持ち主の人が引き取って、過去最高に美しくなったと喜んでいました。エンリコ・ロッカについては良いようには言っていませんが、仕事になるとそれとは関係ありません。全力でやります。
音も過去最高だそうです。
指板を交換すると同時に駒も新しく高いものにしました。その効果でしょうか?
少なくともニスの補修で音が悪くなったということはありません。

本人が弾いているのを聞いても、私が弾いた時の印象と変わりませんでした。鋭い音でE線を交換しました。
厚い板の楽器の「重さ」は感じます。鋭く尖った強さはありますが、プロの人が弾いても豊かな感じではないですね。言葉にするのが難しいです。2000万円くらいするものですが誰もが驚くような音とまでは思えませんでした。その時代のものとしては普通のヴァイオリンの音じゃないですかね。でもでも音は一つ一つ違ってキャラクターがあります。他よりも抜きんでて誰にとっても共通する優劣とするのは難しいですね。