普通であることの重要性 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。


前回修理のために表板を開けたヴァイオリンです。

バスバーは木材を取り付けておらず、そこだけ表板の一部を削り残してあります。


バスバーと表板の年輪の線がつながっています。一つの木材だからです。
板の厚みも正確に出されていません。
削り残しが多いので一部を除いて厚すぎます。バスバーの付近と周辺は特に削り残しが多いです。駒の来る中心が厚すぎるのでかなり厳しいでしょう。

表板の割れを直せば新品の状態には戻せますが、これで練習するのは酷です。表板を開けて閉めるだけでもお金がかかってしまいます。
それならいっそのこと表板を削り直して、バスバーを新しくしたほうが良いでしょう。

フレームに固定して表板にストレスがかからないようにします。表板の歪みが無いので接着面を合わせるのも楽です。

元のものとは大きな違いです。
技術的に見て安い楽器と高い楽器の違いはこんなところにあります。

裏板の周辺にも削り残しがあります。裏板も厚くチェロのようです。これじゃ子供用のヴァイオリンと実質同じことです。ただし、音は好みなので子供用のヴァイオリンのような音の方が好きな人が全くいないとは言えません。

裏板も隅まで削って薄くすればさらに「普通のヴァイオリン」に近づくことでしょう。しかし費用が掛かり過ぎます。表板は特に音に影響が強いので表板だけを改造修理することにしました。コストパフォーマンスが最大になる修理ということです。

横板の厚みは2mmあります。普通は1mm強で、チェロ以上です。
およそ楽器の振動が全体に伝わって行かないことでしょう。表板だけでも鳴れば鳴らないよりは良いでしょう。

表板を削り直すと分かってくることは、弾力が出てくることです。始めの状態では表板はとても硬くびくともしません。それが多少弾力が出てきます。厚みを仕上げ終えてもまだ硬いです。ザクセンの量産楽器の場合、表板や裏板の外がの周辺部分の溝がほとんど掘られていません。そのようなことも硬さの原因になっていると思います。

なぜ裏板は厚すぎるとはいえ仕上げてあるのに対して、表板は仕上げていなかったかと言えば、f字孔からのぞいた時に裏板は見えるからです。表板の内側は全く見えません。それだけの理由です。音がどうとか考えてやっているわけではありません。
また安価な楽器の多くはどちらかというと板が厚いです。
ですから「板が厚いのが本物だ」とか「安い楽器は板を薄くして安易に鳴るようにしてある」というのは嘘です。このような嘘の知識を語る人は他のことも嘘かもしれません。安易に鳴るようになるならぜひするべきですが、薄いからといって鳴るわけでもありません。



うちの工房ではこの前、ミルクール製のチェロのバスバー交換をしました。ミルクールの量産品ではありますが、プレスではない無垢の木材のもので、下手なハンドメイドの楽器と変わらないくらいの質のものでした。音は金属的な耳障りな音で長年売れずに残っていました。これではどうにもならないと同僚がバスバーを交換することになりました。

出来上がると金属的な耳障りな音は軽減しました。しかし依然として鋭い音は残っています。柔らかくなった上、楽器全体が大きく響くようになり、2段階くらいスケールがアップしたような感じがしました。値段は2万ユーロくらいのものです。チェロにしては手ごろであり貴重なものとなりました。

なぜバスバー交換でそのような変化があったのでしょうか?力が表板全体にじわっと分散するようになったからでしょう。それ以前はただ金属的な音がするだけでした。

バスバー交換によって音の鋭さがマイルドになりました。しかし逆にすることはできません。バスバー交換で音を鋭くすることはできません。

またなぜそのチェロがそのような鋭い音を持っているのかはわかりません。


そのミルクールのチェロにはイタリアの作者のラベルが貼られています。イタリアの作者は独学で学んだ人で、そのチェロはプロが作ったようなものなので違うことが分かります。同じ作者のヴァイオリンを見たことがありましたが、素人が作ったようなものでした。その素人のような作者のチェロなら1000万円を超えるでしょう。しかし楽器の質が高くがうまく出来過ぎているのでニセモノだと分かります。量産品以下の出来なのが本物です。

この修理では耳障りな音と、楽器がうまく機能して鳴ることの違いも分かりました。離れて聞いてる人のほうがよく分かって弾いてる本人には分かりにくい違いなのかもしれません。演奏者の方が鋭い音を好むことが多いです。弾いてる人には鋭く感じられ、聞いている人には柔らかく感じられるものが理想かもしれません。実際多いのはその逆です。聞いている方は黒板をひっかくような寒気のするような音でも本人は平気だったりします。

健康的にはなりましたが、依然として鋭い音を好む人に合ったチェロのままです。楽器の音は好みの問題なのです。


弦楽器は弓、弦、駒、表板、裏板など弾力を持ったものの集合体になっています。今回のようなヴァイオリンでは弾力が皆無です。表板は多少ましになりましたが、裏板はチェロのような厚さで周辺に削り残しがあり子供用の楽器のように実質的に一回りも二回りも小さいものと変わらないことでしょう。魂柱をグラグラに入れるといくらかましになるかもしれません。

板の厚い硬い楽器に、強い張力の弦を張り、重く硬い弓で力でギュウギュウ鳴らすというのでは変な癖がついてしまう事でしょう。音の話とはそれくらいのことです。

「普通の楽器」で練習をすることの重要さが分かってもらえるでしょうか?