アンドレア・アマティとオールドヴァイオリンの魅力 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

これからヴァイオリンを作ろうと考えています。
頭の中は自分の楽器のことで一杯になると、一般論は言えなくなってしまうかもしれません。「私が作るとこうなる」というだけで、同じことを他の職人がしても同じ結果になるわけではありません。また、そのように作られたものがそんな音がするというわけでもありません。
これから書くようなことは私個人の考えに過ぎないということです。一般論では趣味趣向が強すぎて語れないような内容です。


ヴァイオリン職人について天才だのなんだのというセールストークはとてもいい加減なものです。私が天才だと思う人は、アンドレア・アマティでしょう。アマティ家の初代で現存する最古のヴァイオリンがフランス国王に献上されたものと古い本には書いてありました。フィレンツェのメディチ家の人が嫁いでそんな関係もあったようです。だから現在のような商売人の店とは全く違う流通ルートだったはずです。フィレンツェでオペラが考案されたとも本で読んだことがあります。音楽の父がバッハと呼ばれますが、それより前からずっと音楽があるわけですが、バロック音楽の二つの柱は教会の音楽とオペラでしょう。それがフィレンツェで生まれたわけですからそちらの方がバロック音楽の父のような気がします。教会の方はカトリックの総本山ローマです。バロック芸術はカトリックの宗教政策で生まれたものです。そうなるとそっちは祖父なんでしょうか?フランスではバレエがさかんになります。何の予備知識のない現代人にもクラシック音楽は心を躍らせ癒しにもなります。しかし、当時の文化にはもっと厚みがありました。無知な我々が傑作だの天才だの語るのは思い上がりじゃないでしょうか?いずれにしてもロンドン、ニューヨークや銀座の楽器店とは客の身分が違います。

アンドレア・アマティとガスパロ・ダ・サロが現存するもっとも古いヴァイオリンの作者となります。近隣の町のクレモナとブレシアの職人ですが、かなり形は違います。
アンドレア・アマティは丸みに非常にこだわりがあります。サロは武骨で大胆なものです。でも共通する部分もあるのでそれ以前にもヴァイオリンが存在したことは確かでしょう。つまり形は何となくしか決まっておらず、それぞれが自分の形で作っていたわけです。真珠が完全な球形に近いほど上等なように、アンドレアのヴァイオリンは完全な丸みで構成されています。今見ても驚くほど美しいものです。
それに比べるとサロのものは武骨であるだけでなく間延びしたようなバランスの悪さもあります。

アンドレアの後ジローラモとアントニオの息子によって大きさや楽器のバリエーションなどが研究され、今のヴァイオリンと同じ大きさのものも作られています。孫のニコロ・アマティがアマティ家では一番有名です。その理由はストラディバリの師匠と考えられてきたからです。しかし、二コロの楽器はアンドレアほど丸みに完全さがありません。すでに丸みに歪みがありコーナーは極端に細長く調和のバランスは欠いているようにも見えます。1600年代の多くのイタリアの職人やシュタイナーなどはアマティを元にしてヴァイオリンを作っていましたが、そういう意味では個性的と呼べるほどのものではありません。シュタイナーもものによってはアマティにとても似ているものがあります、しかし独特の癖が加わっています。ストラディバリもまた楽器をたくさん作っていくごとに癖がでてきたわけです。

もし文化遺産や宝物としてコレクションするならアンドレア・アマティのヴァイオリンは最高のものではないかと思います。ただしサイズが小さくて、今では大人用のヴァイオリンと呼べるものではないとすれば実用品として最高とは言えないでしょう。アンドレアの楽器も実在するものが少なく多くが失われたとすれば大きさもわかりません。少なくてもジローラモやアントニオの頃には完全に今の大人用のサイズのものが作られていたのですでにあったのかもしれません。

アンドレアが誰に教わって修行したのかわかりませんし、楽器も残っていません。アンドレア独自のアイデアでそのヴァイオリンが作られたのかも分かりません。その限られた情報で言うのならアンドレアが最も個性的で完成度の高い美しさでヴァイオリンを作った天才と言えるでしょう。しかし音については最高かどうかは分かりません。以前に「タバコの箱のヴァイオリン」を紹介しました。私はそれで、四角い箱で十分に音量は出るのではないかと思います。その昔はレベックと言われる弦楽器がありました。擦弦楽器もリュートのようなものを改造してはじめは作ったはずです。今でもギリシャではあるようです。それがヴィオールの起原でしょう。それに対してギター型もありました。バロックギターのような形です。それがヴァイオリンの起原になったのでしょう。リュートやギターのような楽器はアジアから伝わったものだそうです。東の端に伝わったのが正倉院の琵琶や三味線として今でも見ることができます。文化というのは伝わっていくものです。一人の人がゼロから何かを生み出したと考え天才と信仰するのは現代的な考え方です。かつては神を信仰していたので個人をそんなに信仰していなかったのかもしれません。

バロックギターのような細めのギターの形でも音はよく出るのではないかと考えています。
それに装飾的なコーナーやスクロールがついたのがヴァイオリンでさらにアンドレ・アマティが調和のとれた形と美しい丸みで国王に献上されるほどのものとなったのでしょう。しかし音について現代の工業製品のように性能を追求するのとは違う考え方だったのだと思います。

それ以降はすでにあるものを真似てヴァイオリンが作られたという意味ではニコロ・アマティもストラディバリも、シュタイナーも独創性という点では劣ります。
一方でアマティ家のヴァイオリンをよく知らずに自己流で作られたものもヨーロッパ各地にはあります。それらは粗雑に作られていてアンドレアと同等の完成度のものがありません。つまりアマティ家のヴァイオリンの出来損ないでしかありません。考えがあってその形にしたのではないからです。

もし個性があって才能がある職人を挙げるならアンドレア・アマティだけが群を抜いています。

「志が高い職人はマネなどしないはずだ」と考えるなら、アンドレア・アマティの影響を受ける前のヴァイオリンを作らなければいけません。そうなるとそもそも既存のヴァイオリンのすべてを否定することになります。すごい志かもしれませんがヴァイオリンへの愛がありませんね。今の私たちが考えることが300年後にも通用するかはわかりません。

今の時代に個性的な楽器を作ろうとしてもあまりにもフランスのストラディバリ型のヴァイオリンの影響が強すぎるために容易ではありません。形をフランスのものと違うものにしても表面的な違いで本質的に違うものというわけではありません。さっきも言ったようにレベックのようなものから考えるか、伝統的なものはすべて忘れて工業エンジニアリングとして設計するかでしょう。研究しやすいなら真四角な箱のヴァイオリンでも良いと思いますし、オーバル型でも良いと思います。電気的に振動を増幅すれば音量も拡大できますし、スマートフォンと接続しチューナーとして音程もわかって楽譜を表示できたら便利かもしれません。10年くらいで買い替え需要も来ます。

ヴァイオリンというのはそういうものではなくたまたま知っていた作り方にその人の癖が加わったもので、音にも癖があるというくらいで、技術革新のようなものではありません。アンドレアのヴァイオリンはそんなにアーチが高いわけでも無いようです。中にはかなりフラットなものもあります。ストラディバリの100年ほど前にすでにフラットなアーチがあります。確かジローラモのものでもフラットなものを見たことがあります。アンドレアのアーチは基本的にぷっくらしたものでは無いようです。むしろ1600年代になってからイタリアで流行したものかもしれません。アマティ家の弟子やその弟子がアンドレアの美意識をちゃんと理解せずに大げさなものを作っていたようです。

それが19世紀になってフラットなアーチのものが作られるようになりました。もう単純にアーチが平らで板が薄くて、50年以上経っていればたいていよく鳴るのです。楽器の機能性はもっとシンプルなものでいいのではないかと思います。つまりアンドレア・アマティが間違っていたのです。でもあまりの美しさに心を奪われてしまい歴史が変わってしまったようです。職人が熱中すればするほど間違った方向に進んでしまうようです。このため下手な職人の楽器の音が良いことも十分考えられます。少なくとも弦楽器が高価なものになってしまった犯人がアンドレアということになります。今では見えにくくなっていますがチェンバロのように絵まで描かれていました。

アンドレアが天才というのも問題があります。もし同等以上の才能が有ってもそれ以降に生まれた人は独創的な楽器を作るチャンスすら残されていないのですから。

実用と趣味

弦楽器で混同されているのは実用性と趣味性でしょう。音楽をやるための実用品として考えるのと楽器そのものを趣味とするのでは全く求められるものが違います。アーチが平らで板が薄くて50年以上経っていればとりあえずよく鳴ることでしょう。うちでは学生やその親などに求められているものです。値段が安くて音が良ければ親も助かるでしょう。そんな情報も伝えています。それを知らずに祖父母が財産を売ってまでして音が良くもない楽器を買ったとしたら悲劇です。

一方趣味であればその人の好きなように楽器を選んだり考えたりすればいいはずです。私に「そんな楽器をありがたがるのはバカげている」と説教されればウザいでしょう。ああだこうだ余計なことを言われずにオンラインショップで買う方が楽しいかもしれません。
しかしながら遊びで買うにしては金額が大きすぎます。イタリアのモダン作者のウンチクを信じて1000万円近くで買って、それが偽物で売却しようにも値段も付けらなくなってしまうことが本当にあります。買ったら一生疑わず本当のことを言ってしまわない気配りのできる職人の世話になるべきです。正論をズバズバ言うのではなく愚痴を慰めてくれるバーのマスターのような人です。
むしろザクセンの量産品でビックリするほど音が良いものを見つけるほうが遊びとしても面白いと思います。平らで板が薄くて古ければとりあえずよく鳴るのですから。まあ本来なら学生さんが使うべきですが。

私は単に実用的な楽器ならたくさんあるものから弾き比べて選んだほうが良いと思います。一方で合理的なモダン楽器が失ったものもあるはずだと思います。

技術では多数決で多くの人が優れていると思うものが主流になって、それ以外は消えていきます。マニアがいくら訴えても流れには逆らえません。製造者側の理由でそうなることも少なくありません。作るのに簡単でコストが安いのも武器になります。蒸気機関車をいかに好きだと言っても観光鉄道以外では乗ることはできません。

そんなことも趣味の世界ならあっても良いものです。そもそもアコースティックの楽器がローテクなのですから。
アマティから派生したオールド楽器は不思議なものでした。彼らが行った工夫は音の響きを抑えるものだったかもしれません。まっ平らな木箱よりも響きを抑えるのではないかと思います。木箱が響くと木箱の響くような音がします。プレスのミルクールのチェロでもそんな雰囲気があります。それは経験的に箱の響く音というのを知っているからでしょう。それに対してアマティ派の楽器では適度に響くことを抑えることで独特の音を生み出しているのではないかと思います。つまり音の引き算です。よく鳴る楽器が特別に工夫をしたのではなく適当に粗末に作られたものにもあるのはこのためだと思います。ストラディバリやデルジェスも他の職人よりも抑えが緩かったことがソリストに愛用されるゆえんでしょう。一方木箱のようなミルクールのチェロでも特に違和感なく使っている人がいるのですから音の感じ方は相当な個人差があるものです。

私はこれくらいのイメージで考えています。余りにもマイナスが多すぎると豊かに響かないタイトな音の楽器になってしまいます。特定の音域の響きを抑えることで味わいのある音色になったり、響きがすっきりしてダイレクトではっきりした音になったりするのでしょう。たとえば板単体をタッピングして叩いてみるとフラットなものはビーーーンと振動が長く続きます。高いアーチのものはすぐに余韻が止まってしまいます。これが「歯切れの良さ」を生み出しているのではないかと思います。弦の振動自体は続くので余韻はあります。しかし板の振動がすぐに止まるのではっきりした音になるのでしょう。一方フラットなアーチでは豊かなボリューム感につながります。

薄い板では低音が出やすくなって、その振動がダイレクトに感じられると何とも言えない心地良さを感じるのではないかと思います。明るい響きを抑えることでも味わい深い暖かみのある音になることでしょう。単なる個体差もあるかもしれませんが耳障りな音を抑える可能性も考えられます。

オールド楽器では音自体が違うという体験が印象的です。何をどれくらい抑えるかも個体差があるようです。その違いも面白いです。個体差というのはつまり職人の癖です。音を意図してそう作ったのではなくそうなってしまうということです。

古くなって音が出やすくなり、木材が朽ちて柔らかくなると、はっきりした音と柔らかさのような相反することが両立する奇跡も起きてきます。そうなるとモダン楽器を超えてくることも有り得ます。モダン楽器は現実の音、オールド楽器は魔法のような音というわけです。


私のヴァイオリン作り

私は画期的な新しいものを作りたいという考えはありません。20歳くらいの頃にはそう思っていてヴァイオリン作りを始めたのかもしれませんが。

しかし原理原則を理解し音を自由自在に作ることは困難だと思い知らされています。
わかるのは「なぜかわからないけども作ってみたらこんな音がした」というだけです。オールドの楽器を真似て作ってみたらそれっぽい音がするようになったのです。仕組みや原理は分かっていません。物理的な特性が近いからでしょう。
現代では常識として「こう作るのが正しい」というのが決まっています。しかしその方法では違う音を生み出すことができません。だから正しくないとされている楽器を作ってみるしかないのです。
音声を合成するように全く違う形でオールド楽器の音だけを再現するほうが難しいでしょう。

単に音だけでなく見た目も魅力的なのがオールド楽器です。
モダン以降のものとは見た瞬間に全く違うという印象を受けます。もちろん古くなっていることも趣を増す要因です。

単に実用的なものなら新作楽器では勝負になりません。
味わい深い趣のあるもの、王様や音楽家など人々に愛されてきた歴史も想像力を刺激しないでしょうか?

過去に作られたヴァイオリンを否定するのではなく愛でていきたいのです。味わい尽くして楽しんで自分もその一員になることが夢です。

良い音というのがなんなのか人によって違います。そのため良いヴァイオリンが何なのか定義づけることはできません。オールド楽器が音のひき算で独特の音色を持っていて、よく鳴るように工夫されているわけではない、音色にこだわらなければ適当に作っても十分に鳴るので職人の才能などは関係ないのです。音を抑えすぎると窮屈な楽器になってしまいますが、多少抑えられていても演奏家の技量でカバーして素晴らしい音が出ます。こんな発想も他では聞いたことが無いでしょう。