楽器の品質と音について | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

さっそくヴァイオリンの写真から



これくらいのヴァイオリンなら「見事なものだ」と好感が持てます。世の中には安価な量産品や粗悪品が多いので、十分上等な部類に入ります。雰囲気も良いですね。良いヴァイオリンです。

エルンスト・オットーという作者がドイツのデュッセルドルフで1926年に作ったものです。デュッセルドルフは日系企業が拠点を置くことが多くヨーロッパでは日本人の多い所です。
作者についてはよくわかりません。特別有名ではありません。しかし楽器は十分マイスター作と言っても問題が無いレベルでニスもラッカーのようなものではなく柔らかいオイルニスが使われています。この時代のドイツのモダン楽器では定番のものです。
ニスが剥げたようになっているのも本当に剥げたのかはじめからイミテーションとしたのか判別がしにくい所もあります。その両方かもしれません。

ペグボックスも量産楽器の産地とは違う雰囲気です。指板よりも幅が広くなっていてオールド楽器やフランスのモダン楽器のようです。

かと言って極端にフランス的な特徴もなく20世紀初めの楽器としては教科書的なものです。

スクロールの角は丸くなっていて1900年頃のイタリアのモダン楽器にも頻繁に見られます。この時代の流行でもあります。

さほど有名ではないドイツの作者のラベルがついていて、品質がマイスターのレベルにあるのでおそらく本物だろうと思われます。
これでラベルがはがされれば全く分からなくなります。市場にはそのような作者が分からない楽器がたくさんあり、鑑定士でも分からないものが多くあります。素性が分かっているのは幸いです。

裏板は一枚の板目板で仕事自体は教科書通りのものです。厚みは表板は薄め、裏板は普通くらいでしょう。特に問題になるレベルではありません。

アーチもフラットでモダンのセオリー通りです。
まともな職人の工房に持って行けば「良いヴァイオリンですね」と言ってもらえるでしょう。

それでも音は弾いてみないことには全く予想がつきません

実際に弾いてみると硬く鋭い音がします。外見からは全く予想がつきませんでした。私が使うと板目板の裏板は柔らかい音の印象がありますが関係ありません。
技術者からすると「好みの問題」としか言いようがありません。このような音を好きだという人がいれば良い音ですし、嫌だと言えば悪い音です。人が感じることですから技術者としては価値判断を何も言えません。

お客さんの様子を見ていると、鋭い音の楽器を「力強い」と気に入る人もいるし柔らかい繊細な音を「美しい」と気に入る人もいます。お店としてはどちらも品ぞろえには必要なのです。音はどっちに転がっても好む人がいるかもしれないので、外見で高級品だと分かれば売りに出す価値があるわけです。我々が考えるのはそれくらいです。

商売人なら何が「売りやすいか」ということを敏感に察知します。しかし自分の好みと違うものを買ってしまうと後で後悔します。

我々はいろいろな楽器の音を知っているので全体の中でこれが鋭い音だとわかります。本人の好みは分かりませんが、点検を頼まれていたので勝手に多少でも音が柔らかくなるように調整しておきました。
後日持ち主の方から連絡があり、こんなに良い音になったのは初めてだと喜んでいるようでした。したがって我々の「鋭い音」という認識は持ち主の方と違っていませんでした。

そもそも論で言えばなぜ鋭い音のヴァイオリンを買ったのかおかしいですね。

ヴァイオリンを選ぶということがこういうことだという例です。実際には鋭い音の楽器は音が強く感じるので初めは力強いと思うのですが、そのうち耳障りな音が嫌になってくるというケースはよくあります。このためピラストロのオブリガートとNo.1というE線を張るのはうちでは定番です。さらに魂柱の位置をちょこっといじっては弾き比べるのを2回くらいやれば「これ以上は望めない」とい調整は終わりです。これ以上踏み込むとドツボにはまっていくものです。2回やってうまくいくなら確率は五分五分です。


モダン楽器や現代の楽器ではこのような鋭い音のものは多くあります。ハンドメイドの高級品だけでなく量産楽器にも多くあります。したがってこの楽器も、似たような音は量産楽器でも得られるかもしれません。
それに対して珍しいのは柔らかく繊細な音のものです。また現代になると「ビオラのような」深い低音のものは珍しくなります。

明るくて輝かしい音のものはありふれていて比較的安価な値段でも手に入ると考えています。わざわざイタリアの作者のものを買う必要はありません。

音の好みは個人の自由ですから、たまたまその人の好みが、安い値段でも簡単に手に入るものだったり、珍しくてめったにない物だったりするというわけです。


これ以外にも1976年に作られたハンドメイドの立派な楽器がありました。これも教科書通りに作られたもので、40年以上経っていて強い音がします。音自体は我々職人からすると「典型的な新作楽器の音」でやや鋭いものです。
職人は教科書通りの楽器作りを学ぶので、同級生や、同僚、師匠、同業者など他の作者の楽器の音を知っています。経験から「教科書通りの音」を珍しくは思いません。偉い師匠が作り方を教えたわけですから、師匠の楽器も同じような音です。
我々の感覚だと、有名な現代の職人の楽器は「普通の音」という印象を受けます。
それでも、安価な量産品から買い替えるなら上級品という印象を受けると思います。


このような「教科書通り」のものは割と音の予想ができるものです。腕の良い職人が作ったものなら似通っています。しかし時代が離れていたり、流派が違うとわかりません。品質が悪いものも全く予想ができません。量産品もそうです。このように音は完全にまぐれだとかデタラメで運任せということはありません。何かしらの構造上の根拠はあるはずです。

やや鋭い音だとは思いましたが許容範囲内だと思ってそのまま持ち主に返しました。本人はその楽器の弾き方を知っているのでうまく弾きこなしていました。


話を戻すと今回のドイツのモダンヴァイオリンは硬い音でキャラクターの方向性としては量産楽器にもありそうな音です。

量産楽器も様々な音がありますが、典型的なものもあります。音がとても鋭くはっきりした音でスケールが小さいものです。響きも豊かさもなく単純な音がします。漫画のような輪郭のはっきりとした強い音です。
一方教科書通りのハンドメイドの楽器ではもっと柔らかさがあり様々な響きが加わって繊細さがあります。もう少し自然で大人の感じです。

私が作るものはさらに繊細で柔らかさがあります。鋭い音に力強さを感じるなら量産楽器のほうが好みに合っていて音が良いと感じる人もいるでしょう。

つまり安い楽器ではギャーとやかましい音のものが多いのです。それを音量があると感じる人がいます。この前は安価な量産品をあるヴァイオリン教授が絶賛して保険のための査定をしたという話をしました。聞いている方からすると硬さがスケールの大きな演奏を妨げているように感じますが、本人の耳元ではむしろ音が強いと感じるので典型的な演奏家が選ぶ音です。その教授のように非常に安価な楽器を気に入る人もいるわけです。

本人の体験も影響するでしょう。昔は子供用の量産楽器でスチール弦を張っていてひどく耳障りな音がするもので育ってくれば、繊細な音のものは物足りなく感じてもおかしくありません。こちらでは戦前の量産品が大量にあり、手作業が多かったため品質も粗く古くなって音が強くなっているのでとんでもない鋭い音のものがゴロゴロあります。それで慣れてしまったらそれが普通です。

日本では新品の量産品が多く、そこまでのものは多くないでしょう。

楽器店の職人としてはお客さんの求める音を提供することでニーズにこたえることができるのです。営業出身の業者では発想が全く違いますし、職人は古い時代の職業で自分の流派の思い込みが激しくてこのような発想の人は多くないかもしれません。

印象としては安価な量産品のような荒々しい作りの楽器にはやかましい音のものが多いと思います。しかし今回のようにきちんと作られたものでも鋭い音のものがあります。したがって、特に鋭い音がする理由は無いのでしょう。鋭い音がするのが普通ヴァイオリンということです。

それに対して私の作るヴァイオリンは柔らかい繊細な音がします。これも理由は分かりません。板の厚みの研究をしているので、低音からちゃんと音が出ます。最近10年前に作ったものを調整していますが、高音までまんべんなく出るものです。明るい響きも加わって「ビオラのような」暗い音ではありません。しかし新作によくあるような低音が出なくて明るい音とは違います。相対的には暗い方です。
響きは純粋で澄んでいるとともに、様々な倍音が混ざって豊かな響きになります。漫画のようなはっきりした音とは反対です。

例えば修理で私がバスバーを交換すると耳障りな音は和らぎ柔らかくなります。やかましくて困っているなら修理ができます。
なぜかは分かりにくいですが、より正確に加工して取り付けていることで弦の力が表板にまんべんなくかかる「均一性」が高くなるからと考えられます。

それが私の仕事の癖で、あらゆる部分でグラグラしているようなところを無理やり接着したような箇所が無くぴったりに加工されています。
アーチの形状でも目の感覚で不自然な部分を削り落とした結果、力が均一になるようになっているのでしょう。

特に高音で特定の音域だけが極端に強くなったりすると耳障りな鋭い音になるのではないかと思います。均一では無いということです。これは本当なところは分かりません。私が経験からイメージすることです。
少なくとも、寸法などの数字や外見の特徴で規則性を見出すことができません。このため弾いてみないと楽器の音は分からないのです。


このような話からほど良いバランスの楽器を選ぶのがその人にとって良い音の楽器ということになります。しかし成り行きでそうではないものを買ってしまった場合には音を調整したり修理したりする必要があります。原因があれば修理が可能です、状態が悪い楽器なら改善する可能性も高いものです。

職人は偉い師匠の教えに従って決められた通りにするのではなく、お客さんの求める音に近づけるように場合によってやり方を変えるべきです。このような考え方する職人は少ないでしょう。正しいと信じるやり方をどんな楽器にも施そうとします。

モダン楽器は音量があるけども鋭い高音のものが多く、それを調整するのはいつもの仕事です。まずはE線を巻き線のものに変えることです。ピラストロのNo1,カプランのソリューションなどがうちでは主流です。
演奏家の方でも生徒の楽器がなんであるかに関係なく先生が薦める弦を張って来たでしょう。職人と相談が必要です。
他には駒を厚めにするとか、駒のところに厚めの羊皮紙を張ったり、きめ細やかな材質の魂柱にするとか、あの手この手です。

相対的にものを考えられる人は職人でも先生でも少ないはずです。

最後は魂柱の位置で「ごまかす」のです。弾いている人は劇的に変わったという印象を受けます。何回かやればましになります。鋭い音の人は頻繁にこれが必要です。

特にチェロでは柔らかい音の弦と言えばラーセンが有名です。A線だけ、AとDにラーセンを張るのが流行しました。ラーセンの欠点は寿命が短いことで、プロや音大生なら数か月で劣化して金属的な耳障りな音に変わります。ピラストロでもA線から鋭くなっていきます。最近も何台もチェロが持ち込まれて同じことです。大きな楽器ほど季節の変化の影響を受けやすいということもあります。しかしA線が劣化していて交換が必要だというケースが多いです。


それに対して逆のパターンは少ないです。音が柔らかすぎて弱いというケースです。私が作ったヴァイオリンくらいです。この前ピラストロのパーペチュアルの張力の弱いバージョンであるカデンツァを張って、テールガットをチタンからカーボンに変えました。これでかなり力強さが出てモダン楽器のような感じも出てきました。比較せず単独で弾いていれば音が弱いという印象は無いでしょう。
カーボンは素材の音があって暗く力強い音です。これはカーボン製のヴァイオリンでも同様でした。しかしヴァイオリン全体がカーボンだと特徴が強すぎると思います。硬すぎるのです。テールガットくらいなら欠点が出ないほどの効果です。逆に音が鋭いならカーボンではなくプラスチックにすべきです。

面白いのは低音から音を順番に出していくとモダン楽器のような力強さがあるのにE線になったときに柔らかいのです。モダン楽器では珍しいです。鋭い音のモダン楽器のE線を調整でここまで柔らかくするのは難しいです。鋭い音の新作楽器でも同様でしょう。

今では私のヴァイオリンもかなり万人向きになったと思います。もちろん繊細な音の方ですが耳元での弱さを改善しています。他に良い楽器がたくさんあるので私のものだけが優れていると言うのは無理でしょう。しかし間違いはないものだと思います。

私の作るものは広いホールでの鳴り方は以前から定評があります。問題は店頭で大人しすぎることでした。量産楽器のほうが音が強く感じるほどです。しかし店頭で耳が痛くなるほどの量産品もホールに持って行けば細く蚊の鳴くような音です。
またチェロくらい厚みがあって明かに厚すぎるモダン楽器でも店頭では違いが分かりません。本当のところはホールで試さないといけません。


名工だとか巨匠だとかそいいう情報とは全く関係のない楽器選びをイメージしてもらえたかと思います。


品質が高いほど音が良いということはありません。音は好みの要素が大きいからです。
実際には外見はきれいなのに、中がひどい楽器が時々あります。外観を美しく作っても思い込みの激しい職人のものもあります。いかに美しい楽器でもダメです。外見は汚くて中もひどい楽器はそれよりも多くあります。
外見が汚くて中が問題なく作ってあるものは珍しいです。音が良くて値段が安いなら合理的ですが、残念ながらそのような考えで見た目は汚く中は問題なく作られたものはまずありません。ずるい人というのは考えることが同じで、見える所だけきれいに作って後は知らないというものです。グァルネリ・デルジェスのようなオールド楽器だけです。
自分で音が判断できない人は職人の言うことも総合的に判断すると良いかもしれません。