技術面からピエトロ・グァルネリ型のヴァイオリンについて考える② | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

高いアーチの楽器の特徴について考えてきましたが、それ以前にヴァイオリンとして必要な条件は何なのでしょうか?値段が高いとか作者が有名だとかどこの国の人だとかそのような技術とは関係のない点を考えても意味が無いことは明らかです。

私の考える良いヴァイオリンとは


前回は窮屈さについてお話ししました。
ソリスト用の楽器には、窮屈な構造だけでなく柔軟性の不足もスケールの大きな演奏の妨げとなると思います。板が厚すぎるということです。
アーチの構造が窮屈でさらに板が厚ければ条件としては最悪です。
周辺に削り残しが多いのも妨げとなると思います。

板の厚みについては裏板の魂柱の付近は厚くなくてはいけません。最低3mmは無いと変形して魂柱のところがボコッと出てきてしまいます。音の面でも強い音が出なくなってしまうと思います。3.5mmもあればとても強い音の楽器はいくらでもあります。
表板も魂柱のところは魂柱によって傷つくので耐用年数を考えると薄すぎないほうが良いと思います。特にチェロの場合には弦の張力が強いので駒の付近は厚めになっている必要があります。

どうしても厚くなければいけない部分は決まっていてそれ以外はごっそり薄くしてもかまわないということです。

まさにこのように作られているのが19世紀のフランスのモダンヴァイオリンでソリスト用の楽器として優れたものです。私もコピーを作ったことがありますが、広いホールでの遠鳴りに優れたものでした。

優れた演奏者はどんな楽器を弾いても力強い音を出します。その時にアーチが窮屈になっていたり、板が厚すぎれば演奏の邪魔をすることになると思います。

ヴァイオリンの場合には幅の広いモデルでアーチが平らで板が薄ければ問題ありません。というのはヴァイオリンは小さな楽器なので剛性が高くなりがちです。剛性が不足するということはあまり考えなくても良いのです。これがチェロやバスになると剛性が高すぎても低すぎてもダメという難しいものになります。一方子供用の楽器では弦の張りが弱いだけでなく剛性が高すぎるためスケールの小さな楽器になってしまいます。小さな楽器ほど丁寧に作るべきなのですが、コストを考えると短い期間しか使用しない小さな楽器では難しいです。



一方で初級者~中級者では何を弾いても力強い音が出るということは難しいでしょう。そんなことはあり得ませんが、楽器が勝手に鳴ってくれるようなものが求められます。50年以上経った楽器では音が強くなっていますし、長年弾き込まれた楽器では音が出やすくなっています。プロのオーケストラ奏者も長時間の演奏では楽だと感じるかもしれません。

一方でキャパシティが大きすぎる楽器は弾きこなせないということもあります。試奏だけで楽器を選ぶなら結果的には剛性が高いヴァイオリンのほうが音が出やすい、出しやすいということは十分に考えられます。
量産楽器に慣れていればそれに近い楽器のほうが弾きやすいのは当然です。

量産楽器はたいてい剛性が高いです。持っただけで「硬いなあ」という感じがします。隅っこまでちゃんと加工していないこともありますし、厚すぎる板や部材を木工用ボンドでガチガチに接着してあります。ニスは硬いラッカーやアクリルをスプレーで分厚く塗っています。扱いに慣れていない子供や初心者、職人が常駐しない総合楽器店などで扱うには繊細な商品ではいけません。魂柱をきっちり入れるとカチカチになってしまってどうしようもないです。グラグラだと結果としては柔軟性が生まれて音がましになることがあります。でも本当に良い楽器なら魂柱はきっちりと入れたほうが最大の能力を発揮できるでしょう。

人数としては上級者のほうが少ないわけですから、「売れるヴァイオリン」というのは剛性が高い楽器かもしれません。日本の場合には演奏者人口も少なくお店を維持するためには「売れるヴァイオリン」を揃える必要があるでしょう。何らかの能書きがつかなければ話になりません。「いかに売れるか」ということにものすごく企業努力をした結果が、こちらとはまったく違うタイプの楽器が出回っている所以でしょう。
ヨーロッパの場合はそんなに企業努力はせずに少ない労力で働くことで利益を上げようという考え方です。お客様は神様ではないので消費者が必死になって良いものを探さなくてはいけません。業者の言う事などは信用せずとにかく多くの楽器を試奏して音の良いものを探すのです。


私が良いヴァイオリンだと考えるのは売れるヴァイオリンとは違います。説明してきたような条件を満たしているものです。作者がどこの国の人だとか、名人だとか巨匠だとか値段とかは関係ありません。
でも全く売れないこともありません。良さが分かる人のために用意すれば良いのです。


もし言葉で言うなら「柔軟性」が大事だということですが、こんなことは聞いたことは無いでしょう。オールド楽器の修理で表板を開けて持ってみるとふにゃふにゃになっています。これも新しい木材よりも柔軟性が高いのです。小型のモデルや窮屈な構造、高いアーチでもこの柔軟性によってカバーできる部分はかなりあると思います。現実に小型のオールドヴァイオリンでも、新作の現代の楽器に比べて遜色がないかそれ以上のキャパシティの大きさを持っています。それは値段が違うので当然と言えば当然ですが、現代の職人が「作ってはダメ」と考えているオールドのスタイルでも現代の楽器には負けません。ドイツのオールド楽器なら値段でも高すぎる値段で売られている新作の楽器よりも安いものがあります。
このようなオールド楽器が競合するのは19世紀のモダン楽器です。これは意見が分かれると思います。

新作楽器でも条件を満たしていれば決して悪くないことは私が実際に楽器を作って証明しています。

柔軟性や剛性という言葉を意識に置くだけでもこれまで言われてきたこととは全く違う見方ができるようになるでしょう。弦楽器というのはある種のバネのようなものとイメージすると良いかもしれません。
バネの仕組みは各部が相互に作用しとても複雑で単純には語れないものです。仕組みを頭で考えるよりも「結果がすべて」だと考えたほうが良いでしょう。その方が職人にとっては厳しいと言えます。理屈を口で言うだけで名工だと認められるなら簡単です。

薄い板の音の特徴


もちろん薄ければ薄いほど良いとか厚ければ厚いほど良いということはありません。「適度」が求められます。

私が言っているのは、薄い方が今の説明のように楽器として柔軟性が増すということと、低い音が出やすくなるということです。逆に中音域は減衰することでしょう。中音域の倍音が減るので暗い音になるのです。板が薄くなると中音域の振動を吸収してしまうというわけです。

うちの会社で同僚がずっとビオラの修理をしていました。ドイツのオールドのビオラで38㎝台のとても小型のものです。修理が終わって弾いてみると一番低いC線の音がものすごくボリュームがありました、高音もビオラ特有の鼻にかかった音もなく柔らかい音のものです。板はオールドらしくビックリするほど薄いもので表板が大きく変形し、裏板も魂柱のところに割れができるほどのものでした。修理は大変でしたが報われたものです。
見た目も真っ黒なら音も暗い音です。
低音の出方は楽器のサイズよりも板の厚さのほうが重要なのです。
女性のヴァイオリン奏者などがビオラも弾くなどという場合には良いものでしょう。オールドで希望のサイズのビオラ自体がまれで、現代の小型のビオラで充実した低音のものは珍しいです。アーチは高いため反応は良いです。値段は大した名のある楽器でもないので100万円もしないくらいでしょうが、100万円あったからと言っていつでも買えるものではないでしょう。弦楽器市場の相場というのはおかしなものです。

このビオラの場合には低音の魅力はありますが低音だけが極端に強いのでちょっと板が薄すぎるかもしれません。「薄いから鳴る」とかそういうレベルではなく副作用も出てくるのです。

しかしわれわれの弦楽器の業界でそのような工学的な考えは聞いたことがありません。工学では強度を高めると重くなる、軽くすると強度が低くなるというような相反する関係が出てきます。弦楽器の業界では何かをすると音が良いとか音が悪くなるとかばかりで音がどのように変化するか具体性のない考えしか聞きません。

だからそのような教えを聞くと「試したこと無いんだな」とすぐにわかります。
でも弦楽器職人は工学的な発想を持っていないのが普通なのでしょう。音楽家と技術者は頭の仕組みが違うのでしょう。
かと言ってかえって理系の人の方が怪しいケースも多いです。思い込みが激しくて理論が飛躍しやすいです。お医者さんが患者を診察するようにまず知ることから初めて対処法を考えなくてはいけません。基本的なことを知りもしないのに訳の分からない理論に飛びついてしまいます。


今回のピエトロ・グァルネリ型のヴァイオリンでも板の厚みはとても薄い物でした。高いアーチに柔軟性を与えるのに板の厚みが重要です。さらに低音の出方も味のあるオールド楽器の様な音色には重要です。板目板に比べると柔軟性が不足します。手加減してはいけません。組み合わせも大事です。



板の厚みは演奏者には音の出やすさの感触として感じることもあるかもしれません。よくf字孔のところを見て「これは薄い楽器だから」みたいな言い方をする人がいます。f字孔のところだけでは板の厚さは分かりません。ちゃんと測らないと思い込みを深めるだけです。


音の鋭さ

オールド楽器では柔らかい音のものが多く、モダン楽器では鋭い音のものが多いということを言ってきました。しかしこれについて理由は分かりません。
こう言うとフラットなアーチは音が鋭くて、高いアーチでは音が柔らかいと思うかもしれません。私が異なる高さのアーチで作った場合にそのような傾向はみられませんでした。高いアーチのほうが鋭いこともありました。

古くなると音が柔らかくなるのではないかとも考えられます。これはある程度はありそうです。ただしモダン楽器の中で19世紀初めのものと後半のものでそのような傾向ははっきりわかりません。古いモダン楽器でもとても鋭い音のものがよくあります。
しかし最も鋭い音がするのは100~150年くらい経った楽器のように思います。それからは柔らかくなっていくのかもしれません。

不快な鋭い音がする原因もよくわかりませんが、人間の耳が敏感な音域の倍音が特に強く出ているということでしょうか。危険を感じたり知らせたりする場合の音と似ていて本能的に脳が反応するからなのでしょう。
板の厚さとの間に法則性もありません。

安価な楽器に多いことは経験上知っています。
特に鋭い音のものは戦前のドイツのものや19世紀終わりのミルクールの量産品にあります。でもすべてがそうというわけでもありません。

雑に作られたものや、ガサツな職人の楽器には鋭い音のするイメージがあります。

実際にバスバーの付け方では心当たりがあります。
量産品で耳障りなもののバスバーを私が交換すると穏やかな音になります。

それでもバスバーだけが原因とは言えないでしょう。
楽器そのもののキャラクターは変わらないからです。

そもそも鋭い音の楽器自体が多くて、仕事の粗い職人のほうが多いからそう感じるのかもしれません。ともかく粗い仕事の職人の鋭い音の楽器はたくさんあります。

丁寧な仕事でも鋭い音の楽器はあります。
なんとなく我が強い職人のイメージはあります。カリスマ性のあるような人はそんな感じです。

実際のところは分かりません。

私はストラディバリのコピーを作ると特に柔らかい音になります。他の職人の作るストラディバリモデルのヴァイオリンは全くそうでないものがたくさんあります。

ストラディバリのアーチは資料は豊富で、最近はMRIのような機械で撮影した断面写真や動画もあります。ストラディバリの構造は音の柔らかさと関係があるかもしれません。ただし私は現代風に作っていたころから鋭い音のものは作ったことが無いです。板の厚みやアーチの高さとも関係ありません。
アマティやストラディバリの様なアーチの構造が音の柔らかさを生み出している可能性はあります。

鋭く耳障りと否定的に感じるか、輝かしく力強いと肯定的に感じるか個人差もありますし、同じ音でもそれほど鋭く感じない人もいるでしょう。

元来日本人は繊細で鋭い音には敏感だと思います。日本の人が鋭いと言っているのはそれほど鋭くないのにと思うケースがありました。
新作楽器で鋭いと言っても100年くらい経った楽器の寒気がするほど耳障りな音の楽器に比べたらかわいいものです。黒板をひっかくような音です。

鋭い音のほうが強い音として売れるので業者はそのような楽器ばかり集めることもあるでしょう。こうなると繊細な人には希望の楽器が無いということになります。

耳障りでないというのとものすごく柔らかいというのも違います。
特に高音がものすごく柔らかいのはオールド楽器でないとまず無いです。高価なイタリアのものだけとは限りません。以前東ドイツのザクセンの流派のオールド楽器でクリンゲンタールのものを紹介したことがあります。これはとても柔らかい高音で10本以上モダン楽器や新作楽器を弾き比べてもまったく次元の違う柔らかさでした。クリンゲンタールのホプフという家族や流派のものはものすごくたくさん作られ見るとすぐにそれとわかります。値段はたいてい20~120万円などというよくわからない相場になっています。普通ヴァイオリンはそれくらいの値段なので相場の意味がありません。すべてがそのような高音とは限りませんが新作では全く無い音というのもあります。

私の楽器は新作の平均ではずっと柔らかい方でしょう。

両極端を知るとどれくらいなのか分かるようになるのですが。


高いアーチの楽器の音


高いアーチの楽器の音についてはこの前も触れましたが、先ほどのビオラも高いアーチのものでした。低音がボリューム豊かであることはお話ししましたが、それ以外の音は細いものです。音の質自体は柔らかく耳障りな鋭い音ではありませんが、太く豊かな音ではありません。このほうが典型的な高いアーチの音でしょう。

私の印象ですが、響きが豊かで太い音ならはっきりしない音になり、細く集中した音ならはっきりと強く感じます。圧力の概念に似ています。バッグの取っ手なら細いと手に食い込んで重く感じます。
高いアーチの楽器を弾いた時に音が強いと感じるのがこれに似ています。

板自体の特性としてみるとアーチが高い方が強度が高くてタッピングするとすぐに振動が収まります。フラットなものはポーンといつまでも振動します。時間軸で言えば反応が早いのは高いアーチの方です。

フラットなアーチでは持って曲げることができますが、高いアーチの楽器はすぐにどこかが割れそうになります。そのような柔軟性は無いです。
実際の演奏ではそこまで大きく楽器が変形することは無いのですが、弾くときに高いアーチのほうが融通が利かず弓のコントロールはシビアになって、フラットなほうが乱暴な弾き方でも音が潰れない幅があるように思います。これは上級者の人に聞くと「全然問題ない」と意見が帰って来るのでむしろそうでない人にとって重要かもしれません。

フラットな楽器特有の弾き方や高いアーチ特有の弾き方というのはあると思います。ただし、十分な腕前であればどちらでも弾けるということでしょう。高いアーチの楽器の中でも神経質なものと融通が利くものがあると思います。

この規則に従えばフラットな楽器のほうがにぶい音になるようではありますが、それについては鋭い音色でカバーできます。ただし高音についてはどうして耳障りになります。

これも楽器よりも演奏者の個人差のほうが大きいと思います。どんな楽器を弾いても柔らかい音を出す人がいます。この場合はモダン楽器でとても柔らかくて美しい高音を奏でてるので何の文句もありません。上級者でもモダン楽器を使いこなしていれば聞いていて何も文句を言うことはありません。見事な演奏に酔いしれるだけです。

だから絶対にモダン楽器では柔らかい音は出ないということではありません。ただし楽器の傾向として鋭い音のものが多いということは感じています。E線が鋭くて困っているという相談や調整はよくあります。


柔軟性という点ではモダン楽器のほうが優れた構造と言えるでしょう。
ただオールド楽器ではミラクルがあります。
カチッとした強い音のモダン楽器ではある所で限界に達してしまうのです。それが柔らかい音のオールド楽器ではそれを乗り越えていくようです。「柔よく剛を制す」という言葉ありますがまさにそんな感じです。

最終的には力のある演奏者が柔らかい音の楽器を弾いた時に最高のパフォーマンスが得られるように思います。


後は弾いている本人がどう感じるかとなると、ちょっとピリッと刺激的な音のほうが手ごたえがあるということもあるでしょうし、高いアーチなら柔らかい音でも手ごたえがあるかもしれません。後はケースバイケースでしょう。

ピエトロ・グァルネリモデルのヴァイオリンを写真で



裏板からです。高いアーチの楽器はこすれてニスがはがれやすいので周辺の溝にしかオリジナルのニスが残っていないことがあります。そこには汚れもついていて元のニスの色は分からなくなっています。
はがれた部分には修理の人がニスを塗るわけですが、今回はオレンジ色のニスを全体に塗ったような様子を再現しています。


ぷくっと膨らんだアーチが特徴です。

全体としてはこのような感じです。


古びた感じになっていると思いますが、わざとらしくならないように苦労したものです。



スクロールも古びた感じが出ていると思います。
ノミの刃の跡も残っているのがグァルネリ家にはよくあります。

深い所に汚れがたまっている様子です。


黒檀のペグを付けています。



総括


幅の広いモデルにフラットなアーチで板が薄ければ剛性は最も低くなるでしょう。しかし十分な柔軟性が確保できればアーチにキャラクターを付けることで音にもキャラクターを与えることができると思います。
アーチも高い方がフラットな物より強度があるはずです。しかしそれよりも板の厚さによる柔軟性のほうが大きいようです。アーチを高くしても素材としてはふにゃふにゃなのは変わらないからです。一方で強度のおかげで音の反応は敏感になると思います。デメリットとしては融通が利かず上級者向きになるということです。

普通イメージするのは高いアーチの楽器はバロックや古典派の音楽、フラットな楽器ではロマン派や現代の音楽をイメージします。音楽の進化と同時に楽器も進化させてきたからです。
絶対に逆の音楽が弾けないということは無いでしょうが、チェンバロとピアノのように目指している方向性というのは一般的にはあると思います。

今回のものはバロックヴァイオリンに改造してもバロックヴァイオリンのスペシャリストが興味を持ちそうなものですが、モダン仕様でも十分楽しめると思います。それだけでなくロマン派の音楽でも堂々とした演奏ができるオールマイティーな楽器だと思います。

弓にもそのようなタイプがありますし、演奏者を見ていてもタイプがあります。
フラットな楽器を見事に弾きこなす人もいますがフラットな楽器は豊富にあるのに対して、このようなタイプの楽器は手に入れることさえ難しいです。

アーチが高いか平らか以前にヴァイオリンとして満たすべき条件があり、そこにアーチの高さが変わることで性格が違ってくるというその程度だと私は思います。