モダンとオールドに共通する板の厚さ | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

板の厚さによって音がどう違うかということには多くの経験があります。オールド楽器のデータを調べたり、目の前にある何でもない楽器でも常に厚さを測っています。自分で作るときに厚みを変えたり修理で板を薄くする改造もしています。

それではっきりわかることは「薄い方が低音が出やすい」ということです。
明らかに言えることはそれくらいです。

しかしこのような単純なことも、当ブログ以外で耳にした人はいるでしょうか?
少なくとも私は製作学校の先生や師匠に教わったり、本などで読んだことはありません。
私とは別の学校で学んだ職人に聞いても誰も知りませんでした。クレモナの学校で学びモラッシィに教わったイタリア人もその一人です。低音の豊かな楽器が作りたいという彼に私は教えてあげました。

薄い方が低音が出やすいということに気づいたのは、実際に薄い板の楽器を作った事によります。古い楽器の厚みのデータを見ると現代よりもはるかに薄いため、同じように作って見たらどうなるか試したことです。試みの最初の楽器で分かったことです。それ以降も同様の結果が得られています。

先週も親しい職人と電話した話をしました。付き合いが長いので板が薄い方が低音が出やすいという考え方を理解しています。彼は修理でも多くの楽器を経験しています。その結果私の考えに同意しています。


作って見れば一発で分かる事なのに、なぜ知られていないのでしょうか?
これは職人特有の考え方にあるでしょう。

一つは楽器の評価に、「鳴る」とか「音量がある」とか音が強いことを良しとする風潮があると思います。新作の場合には寝ぼけたような音がするのが普通です。それに対して刺激的な音を持っていれば強い音に聞こえます。それ以外のことは興味がないのであれば、低音が多いかどうかに興味が無いのです。

もう一つは、「厚めの板厚が正しい」または「板を薄くしてはいけない」というのを正しいと信じていて試すことすらタブーであるということです。これはまじめな職人ほど陥りやすいことかもしれません。

実際に過去に作られた現代の楽器を調べてみるとどの流派でも薄く作られた楽器が散発的にあります。教えに背いて勝手に薄く作る人がいるということです。

私などはそのような楽器があると「これは良いぞ」となります。うちでは低音が豊かな楽器が好まれるからです。


皆さんは「板が薄い楽器」に対してどう思うでしょうか?
おそらく心配になるでしょう。「板が薄い楽器は安易に鳴りやすくしたもので、本物ではない」とか「初めは鳴るけどもそのうち鳴らなくなってしまう」などの理屈は不安の心理が求めるものです。私も職人を始めて数年のころはそのような理屈に惹かれてしまいました。

高級品というのは肉厚で重厚に作られているものです。楽器もがっちりと丈夫に作られているものが高級品だというイメージを持つでしょう。


ここで不思議なのはオールド楽器の板が薄いことです。これに対して「オールド楽器は別」という謎の言い訳が考え出されます。ありとあらゆる理屈で、厚い板が正当化されます。薄い板の楽器を作ろうとする試みすら許さないのです。


私が弦楽器について大切にしている考え方は結果がすべてということです。

安易な方法で鳴って何がいけないのでしょうか?
苦労して結果を得るほうが尊いという倫理観でしょうか?
鳴らない楽器を苦労して鳴らすことが演奏の道なのでしょうか?

少なくとも西洋の人はそんな考え方はしません。鳴らない楽器は売れないのです。


これに対して私は論点が違います。
板が薄い方が鳴るという規則性も見いだせていません。
もちろん極端に厚すぎるものは全然鳴らないということはあります。しかし、薄い楽器とやや厚めの楽器でそのような規則性は見出せません。
むしろ薄い板のほうがおとなしく感じることもよくあります。直接の関係は言えません。

それに対して、響きやすい音域が違うということは言えます。
鳴るか鳴らないかにしか興味が無いなら、厚みが音に与える違いはわかりません。

その人が何に興味を持っているかが音の違いに気づくかどうかになるでしょう。
演奏者は人それぞれいろいろなこだわりがあります。その人が厚い板と薄い板の楽器を試せばその人なりの規則性を見出すかもしれません。他の演奏者は全く気にしない点かもしれません。
しかし実際に厚みを測定して実証している人はほとんどいません。f字孔から見て表板の厚みを見る人もいますが、そこの部分の厚みしかわかりません。


つまり考え方に左右されるということです。
私がこちらでは「暗い音」が好まれるとブログで紹介したことで初めて暗い音の存在を知った人もいるかもしれません。それまでは楽器の音の評価では全く考慮していなかったのです。職人でも同じです。
一度、暗い音を知ってからは魅力に取りつかれた人もいるでしょう。

日本では「こもった音」が嫌われます。しかしこちらではそんな事を言うのを聞いたことが無いです。この楽器はこもっているなと思っても彼らは全然そんなことは気にしません。


よくあるのは血液型で性格を判断するというのがあります。日本で盛んでこちらでは聞いたことはありません。血液型が話題に上ることはありませんが、身近なところで師匠の奥さんは自分の血液型を知りませんでした。

それが日本的なのは几帳面だとか大雑把だとかそれを気にする所です。

もし別の国で同じような物が考案されたら全く違う性格特性を語るようになるでしょう。何型は親切だとか論理的だとか、勇気があるとか違う項目になるかもしれません。人々が人の性格で関心を持っていることが違うからです。

板の厚みの違いが音にどんな違いになって現れるかはその人の関心に左右されるでしょう。

もし鳴る鳴らないで楽器を選ぶなら、少なくとも数十年、できれば50年くらい経っている楽器のほうが有利です。どんな安い楽器でも構いません。1880年くらいに作られたドイツの量産品の最低ランクのものでも新品の高級品より耳元で強い音がします。このような楽器で練習を始めた人なら全然鳴らない新作の高級品を買い替えには選びません。これは私たち職人にとっては都合の悪いことですが事実です。日本の楽器店にとっても同じことでしょう。そこで安価な鳴る楽器を悪く言うためにこもっているとか、本物の鳴り方じゃないなどネガティブなイメージを作り上げるのでしょう。

鳴るか鳴らないかが重要であれば、とにかく試奏して鳴るものを探すべきです。
これが楽器選びの主流なので、私は作者名や国名に関係なく試奏して楽器を選ぶのが正しいと言っているのです。

ただし、力量のある演奏者は何を弾いても力強い音がします。
そうなると楽器選びの次元が変わってきます。
初級者でも個人差があって何を弾いても耳障りな音がする人もいれば、何を弾いても弱い音しか出ない人もいます。子供の方が乱暴に弾いて力強かったりします。

板が薄いと低音が出やすくなるわけ


板の厚みが影響するのは鳴るか鳴らないかではなく響きやすい音域が変わってくるということです。なぜ板が薄いと低音が出やすくなるのでしょうか?

単純に考えると太鼓の皮をイメージして見て下さい。大きな太鼓では皮の中心付近を触るとボヨンボヨンと柔らかい感じがします。小さな太鼓ではピンと張っています。音は空気の振動ですから大きくゆっくりした振動では低音が、細かい速い振動では高い音が発生します。小さな太鼓で張りを弱くすると音が低くなっていきますが張りが弱くなりすぎれば響かなくなってしまいます。

板が薄ければ柔軟性が増すため大きな遅い振動で動けます。一方板が厚ければ硬くなるので細かい振動しかできません。

板の厚みそのものよりは柔軟性が重要でしょう。
コントラバスやチェロのような大きな楽器であれば、板はヴァイオリンよりは厚いですが相対的に強度は落ちて大きな振幅ができるようになります。

しかし、楽器ごとにだいたい大きさは決まっているので、その中では厚みが重要だということです。同じヴァイオリンでも多少の大きさの違いはありますがそれはコントラバスとヴァイオリンほどの大きな違いではないので決定的にはなりません。それよりも板の厚さの方がはるかに影響が大きいと思います。

その他古い楽器を修理するときに表板を開けてみると、古い表板はふにゃふにゃになっています。同じような厚さでも新品ならもっとシャキッとしています。古い楽器のほうが柔らかくなっているのです。このため古い楽器のほうが低音が出やすいのです。

新しい楽器で板が厚ければカチカチで強度が高すぎます。大きな振動はできないためいかにも新作というような明るい音になります。音色を古い楽器に近づけたいなら板は薄くするべきです。

どこまで薄くできるか?

これはとても難しい問題です。
古い楽器を修理することで学ぶことができます。強度が耐えられず変形や割れを起こしているものがあります。
裏板の中心が薄ければ魂柱のところがボコッと出てしまいます。音にも芯の強さが無いこともあります。
ヴァイオリンでは少ないですが、チェロでは薄いと音が弱く張りの無い音になっているものがあります。低音楽器なので厚すぎるのは良くないですが、薄すぎも良くないという難しいものです。古い楽器なら厚めでも低い音が出るのでやはり古いことは有利なのです。

一方で同じように薄く作られている楽器でも表板がひどく陥没しているものと、していないものがあります。薄い板でも陥没しないオールド楽器がうまく作られているものと考えられます。



また低音が出やすくなるということですから低音が出過ぎになっていたら薄すぎるということでもあります。出れば出るほど良いというわけではないでしょう。

過去にはとても薄く作られた楽器もあり壊れていないにしても、音がふわふわしてしっかりしないものもあります。これは薄すぎるということです。

高音から低音までまんべんなくバランスよく出ることを良しとするなら薄すぎてはいけないということになります。

多くの経験の中で「これくらい」というのをつかんでいく必要があるでしょう。私は気になる楽器があれば必ず厚みを測り、自分が作った楽器でも記録を残しています。そうやって限度を知ることができると思います。

薄い方が遠鳴りに有利?

低音の出やすさは好みの範疇に入ります。明るい音や暗い音かは好みによって選ばれるものです。

一方ソリストが使う楽器では自分に強く感じられるものではなく、ホールの後席まで音が届かなくてはいけません。しかし自分の演奏を自分で聞くことはできません。楽器を購入するときには自分の耳に聞こえることが優先されがちです。

遠くまで音が届くという意味で優れた名器は板が薄いものが多いです。オールド楽器、モダン楽器ともにそうです。

オールド楽器では薄い板で作られているものが多くあります。クレモナ派でも1600年代のスタイルのものは特に薄い板のものが多くあります。ドイツなど他のオールド楽器でも同様です。これは不思議ですがそれが常識だったということでしょう。当時は精密に測定する道具もなかったはずですが、それなのにギリギリまで攻めていたというのは驚きです。


今修理中のドイツのオールドビオラの表板ですが、これも1.5㎜のところがあるなどとても薄いです。

現在の楽器製作の手法はだいたい1900年頃に流行したものです。1900年頃の楽器を見ると現在のものとほとんど変わらないものがよくあります。今あるものは100年前にもあるわけですから、そちらの方が鳴りが良いのです。

これに対してオールド楽器は板が薄くてびっくりすることがしばしばです。いつから厚くなるかと言えば19世紀の終わりころからでしょう。1800年頃のフランスのモダン楽器では極限まで薄く作られていますし、ヴィヨームなどでもそうですから19世紀の半ばくらいに修行した人はまだ薄いものを作っていたはずです。ただしフランスの楽器の場合には薄いゾーンが広くなっています。一番薄い所はそこまで薄くありません。

20世紀になってから厚めの板厚が主流になってきたのではないかと思います。1900年頃の流行ということになります。このころ修理されたオールド楽器には厚みを増すために板を張り付けてあるものが多くあります。厚い板厚が良いと信じられるようになったので古い楽器にも厚みを増したのです。しかしずさんな修理が多くうまく張り付いていないで間に隙間のあるものもあります。

現在ではこのような修理はあまりしないでしょう。オリジナルのままで音が良いことを知っているからです。

つまり板が薄いという特徴はオールド楽器とモダン楽器に共通した特徴で現代の楽器とは違うということです。しかし厚めの楽器でも50年以上前のものならよく鳴るようになっていますので音量が無いということはありません。演奏者が自分で試奏して楽器を選ぶなら音が良いと感じることもあるでしょう。

それに対して遠鳴りについて言えば、板が薄い方が私は有利だと考えています。自分たちが作った楽器で比べれば一目瞭然です。
古くなれば厚めでも柔らかくなってくるので悪くないかもしれません。新しい楽器で板が厚ければかなり厳しいでしょう。

このように薄い板の楽器が遠鳴り傾向なら耳元では静かに聞こえることもあるでしょう。このため薄い板の楽器は必ずしも音が強く感じるわけではないということです。厚い板の楽器でも音が強く感じられることはあり得ます。このため耳元での音の強さと厚みは関係が無いということです。

このように「薄い板の楽器は安易に鳴るようにしたもの」とか「初めは鳴るけどそのうち鳴らなくなる」というのが見当違いなのです。

うちのお店では暗い音の楽器が好まれるわけですから、薄い板の楽器を常に求めています。それに対して売りたいと言って持ち込まれる楽器で薄い板の楽器は珍しいです。厚いものが多いです。

厚いものが多く作られる理由は、
➀厚いものが良いという理屈を信じている
➁手抜き

特に安価な楽器では厚い板のものが多いです。これは手抜きです。特に裏板に多いです。木材が堅いため板を薄くしていく作業は骨を折るものです。削って薄くしていく途中で投げ出してしまい厚いまま完成としてしまった楽器が多いです。安価な量産楽器に問題が多いのは板が厚すぎることです。

現在では機械で加工することが多くなったのでこのようなものは減りました。古い量産品では板が厚すぎるものが多く、買い取る価値が無いと思うことは多くあります。機械で作られている現代の量産品はひどい物は少ないですよ。でも開けてみると細部まできちんと作ってあることはありません。

そんな古い量産品でも耳元では強い音がして「やかましい」と感じるほどです。

私は薄い板の楽器が本物で、厚いものは攻め切れていないと考えます。

ピエトロ・グァルネリ型のヴァイオリンです


前回作ったときも極力薄くしましたが、今回は裏板が柾目に近い板のため硬さが全然違います。板目板のほうが柔らかく柾目板のほうが堅いのです。

そのため薄くなるまで攻め切れなければ同じような魅力的な音にはならず、平凡なものになってしまうでしょう。

裏板の薄い部分では2.0㎜程度でオールド楽器ではもっと薄いものもありますが、さすがに勇気がありません。中央は4mm以上あり十分でしょう3.5mmくらいあれば大丈夫です。

周辺部分が薄くなっているのがポイントで2.5mm以下です。この辺りは実際のオールド楽器では削り残しがあることもあります。そのため2.5mm程度あってもおかしくありません。しかし今回はギリギリまで攻めます。周辺部分はかなり強度に影響すると思います。木材も硬い材質なのでできるだけ薄くしましょう。

表板は高いアーチであることもあって中心付近はあまり薄くしたくありません。魂柱のあたりは3.0mm以上あります。そこからf字孔の上の丸のあたりが凹みやすいので特に厚くしています。中央は3.0mmを切る程度ですがフランスのモダン楽器なら2.5mm程度ですからそれより厚めです。現在では3.5mmくらいあってもおかしくありません。

その代わり周辺部分をギリギリまで攻めています。後で厚すぎたと後悔したくないからです。

板が薄いことで低音が強いバランスの楽器になることでしょう。また高いアーチであることも音には影響があるはずです。

高いアーチでは響きの余韻が短くなると思います。響きが抑えられる効果があると思うのです。これは抜けが良くダイレクトな音になるので力強く感じる要因になるでしょう。

薄い板の楽器でもフラットなアーチでは明るい音がする場合があります。響きが加わって増幅されているからでしょう。それに対して高いアーチなら明るい響きが抑えられるので、深々とした暗い音になるでしょう。こうなると味わい深い暖かみのある枯れた音になるのです。

板が薄いことでどちらでも遠鳴りはするでしょう。フラットなほうが響きが豊かでより太いボリューム感があると思います。それに対して高いアーチでは締まった音になると思います。やはりソリスト用の楽器としてフラットな楽器の優位性はあると思います。

しかし板が厚いフラットな楽器であれば話は別です。薄い板の高いアーチの楽器に全くかなわないということもあり得ます。このように、アーチの高さは絶対ではないのです。

オールド楽器らしさ


オールド楽器に近い音にするには板を薄くする方が間違いありません。実物も薄いからです。
実際のオールド楽器では厚めでも味のある音が出ることがあり得ます。それは古さによります。
しかし新品で私が作れば確実に明るい新品の様な音になってしまいます。

板が薄いだけなら19世紀のモダン楽器でも同じです。違いはアーチでしょう。

とはいえモダン楽器とオールド楽器に厳密な違いはありません。オールド楽器は作風が様々でバラバラ、個体差が非常に大きいのに対してモダン楽器は一定の作風に定まっています。いろいろあるオールド楽器の作風の中から平らなアーチのものを選んだのです。

よくイタリアの楽器が一流で、フランスの楽器は2流と大雑把なことが言われます。しかし厳密に考えてみるとオールドのイタリアの楽器が一流で、モダン楽器ではフランスのものが一流なのです。少なくとも19世紀のヨーロッパの人たちはそう考えていました。職人たちはみなフランスの楽器を真似たのでした。

1900年頃になるとフランス以外でもモダン楽器が作られるようになり、どの流派も自分たちこそがストラディバリに近いものだと主張し始めます。それらはオールド楽器どころかモダン楽器からも離れていきました。

フランスのモダン楽器のようなものなら、セオリーに従ってその通りに作りさえすれば優れた楽器になります。そのため品質さえ良ければ優れたものになるのです。

それに対して私は、もうちょっと違うものでも大丈夫だと考えています。フランスのモダン楽器のセオリーから離れてもまだ十分な性能の楽器が作れるということです。オールド楽器はもっと多様性があります。音にも個性が出せるわけです。

モダン楽器とオールド楽器に共通する特徴をちゃんと理解することが重要でしょう。


これは実際のニコラ・アマティを測ったものです。私が作っているものよりもさらに薄いです。やはり私には勇気が足りないようです。

これから出てくる力強く豊かな強い低音は弾けばすぐに魅了されてしまうでしょう。新作のような明るい音では全くありません。
しかしアマティはこの薄さで暗い一辺倒ではありません。多彩な音色を持っています。名器たる所以ですね。



オールド楽器の音を決定づける構造はアーチと板の厚さにあるでしょう。
板の厚さだけならモダン楽器でも変わりません。
アーチと板の厚さの両方を備えることでオールド楽器に近いものができるでしょう。