チマチマとしたオールド楽器のアーチ | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

しばらくの間自宅で仕事をしていましたが、また勤め先の工房に戻りました。
従業員数もお客さんの数も他の職業に比べればはるかに少ないので特別リスクが高いということはありません。

通勤は徒歩で通えるので公共交通機関を使う必要はありません。

自宅で仕事をすると全く外に出ない日が多くあり、何も感染予防に気を使わなくても良いのが楽でした。
ただし、通勤でもしないと体がなまってしまいます。

感染を恐れずっと家にこもっていたらすっかり世間の様子が変わっていて「小野田さん、お帰りなさい」なんてことになりかねません。
古いネタですが、私も当時は生まれていません。


ただし職場に復帰したら数日でも、どっと疲れました。なんでなんでしょうか?

機能面では自宅にはブラインドがあり部屋を暗くすることができます。光の明暗を利用して立体感をつかみやすいのです。それが職場だと部屋を暗くすることができません。社長など他の職人は部屋を暗くすることに関心が無く、暗くできるようにと訴えても何も変わっていません。
明るくすることには熱心でも暗くすることには全く興味が無いようです。
そこで窓にボードを置いて多少は暗くすることができましたが、去年改装した最新の職場としてはお粗末な状態です。
このお粗末な状態でずっと行くことでしょう。

このように職人というのは全く人によって感覚が違うものなのです。


このためアーチを仕上げる作業までは自宅で行うことにしていました。

アーチを仕上げる

音にも影響するオールド楽器の大きな特徴の二つはアーチと板の厚さにあると考えています。オールド楽器が手元にあったとき同様なものが現在では作られていないということに気づきます。板の厚みを測って見れば「こんな薄いものはとても作れない」と今の職人はビビってしまいます。アーチも現代とは全く考え方が違います。

それに加えて数百年という年月が化学的にも物理的にも変化を与え独特の音になるわけです。

なぜ同じものが作れないかは、現代の職人が下手だからではなく、現代の楽器製造法のほうが優れていると信じているからです。学ぼうという謙虚な態度が無いからです。

このためどのようにしてオールド時代にアーチが作られていたかは伝わっていません。

私がアーチを作るうえで重要視しているのは段階に合わせて適切な道具を使うことです。よくゴルフクラブに例えます。
はじめは大雑把に形を作り徐々に整えていき最後は綺麗に仕上げます。
この時適切な道具を選ばなくてはいけません。
ノミ→カンナ→スクレーパーというふうに道具を変えていきます。

一打目からパターを使っていればOBの心配はありませんがいつになっても終わりません。荒削りの初めの段階は大雑把に形をつかむことが重要です。

ゴルフと違うのは行きすぎたら戻ることができないことです。そのため粗削りはおっかなびっくりになってしまい、攻め切れないアーチになってしまうのです。

まだ手作りで大量生産品を作っていたころの最も安価なものは初めに板の厚さをアーチの高さに合わせ、周辺部分だけを低くしたアーチのものがあります。厚みを測れるのは一番高い所と周辺の厚みだけで、途中は傾斜しているので位置がずれてしまい値が定まりません。

ハンドメイドの楽器でも最も高い中央と低い周辺、そしてその間が滑らかな傾斜になっていればプロとして認められます。意図的に形を作るというのではなく単になだらかなカーブになっているだけです。これが現代では主流です。

この時デコボコや割れがあれば指摘されます。師匠からはこれではだめだとやり直させられます。欠点は誰にでも目に付きやすく、立体は才能のある人にしか見えないのですが、職人は才能に関係なく年長であれば師匠になることができます。

オールド楽器はこれとは全く違う考え方で作られていて現代の師匠の指摘する欠点がたくさん残っています。
オールド楽器でも特別才能のある人ばかりが作っていたわけではありません。しかし厳しく欠点が指摘されなかったので現在の様な作風ではありませんでした。

昔は幼少の時から修行をして叩き込まれたので、今とは訓練の仕方が違います。


どこまでノミで削ってどこからカンナに移るかはとても難しい問題です。
ノミという道具はどうしても刃の跡が残り小さなくぼみの集合体になってしまいます。この時手元が少しでも狂えば大きな穴が開いてしまい、滑らかに仕上げることができなくなってしまいます。
そこで完成に近づくほど注意深く作業をしなくてはいけなくなってきます。
ノミのラウンドを浅くするほどくぼみが浅くなりますが、同時に削るときの抵抗が大きくなりコントロールが難しくなるのです。
あまりに神経を使って作業をすれば時間が余計にかかりすぎてしまいます。

しかし形が作れていない段階でカンナに移ってしまうと削れる量が少ないので形ができないまま、表面がなだらかになって完成となってしまいます。このような攻め切れていないアーチの楽器はよくあります。現代では欠点の無さしか評価されないのでこれでもプロとして認められます。

メイプルの木材は繊維がうねっているため縦方向に削ると割れてしまいます。そのため先ほどの写真のように横方向に削っていくとうまくいきます。

この時横の断面にはマイナスのカーブ(凹面)とプラスのカーブ(凸面)があります。エッジにはチャネリングという溝がありそこからしばらくはマイナスのカーブになっていて、アーチの頂点でプラスのカーブになっています。
マイナスのカーブを加工するのに適した道具はノミです。ノミではスプーンでカップに入ったアイスをすくように掘り返すからです。
カンナは台の形状がカーブと合わないといけないためフィットしない場所が出てきてしまいやりにくいものです。

一方プラスのカーブはカンナでも問題なく加工できます。一方ノミはすくい上げるように彫りこむのでやりにくいのです。無理してノミだけで仕上げようとすればやはり作業効率という点で不自然になってしまいます。

私がオリジナルのニコラ・アマティを見たときに「簡単に作ってある」という印象を受けました。ざっくりとノミで形を作ってカンナでざっとならしたようです。
現代の楽器のようにカンナを多用してレンズのようなデコボコの無い面にしたわけではありませんでした。表板にはカンナをかけた跡が残っていて十分に仕上げてさえなかったのです。
そのことが手掛かりとなります。

もちろん職人ごとや、作品ごとによって違いがあるので全く同じようにすることが「正解」とは言えません。しかしカンナの動きが残っていたのはラッキーでした。

今回はマイナスのカーブについてはラウンドの浅いノミでかなり仕上げて、それに比べればプラスのカーブはそこまで仕上げないでカンナでならそうという方針でした。それでも形は作り切っていないとカンナで形を作るのは向いていません。カンナは表面をならすための道具でこれを多用するとアーチにキャラクターが無くなってしまうからです。

マイナスのカーブのほうがノミで仕上げられていて、プラスのカーブはデコボコが残っています。それでも形はしっかり作り切っています。


デコボコをカンナでならしていきます。


さらにスクレーパーで仕上げれば滑らかな面になります。
これでアーチが仕上がったわけですが、ここからもう一つ手間をかけます。

さらに周辺のチャネリングを彫りなおすのです。これは昔はパフリングを入れる工程が後にあったのでアーチが仕上がったところにパフリングを入れ周辺を彫ったのです。
このようにあとで溝を彫るとアーチのカーブの流れに不自然な溝ができます。オールド楽器ではよくあるもので、溝が強調されます。ドイツの楽器にははっきり見られる特徴で、クレモナの楽器では作者によるという感じですが、アンドレ・グァルネリはわりとはっきりしています。周辺い深い溝がありこんもりとしたアーチになっているのが特徴です。マントヴァのピエトロやバレストリエリにも受け継がれています。

まずは溝を掘る前です。定規の影のラインを見て下さい。

次は溝を掘ったあと

溝がぐっと深くなりアーチがこんもりとしたように見えます。微妙な違いですがこれでアーチにぐっとアクセントがついてキャラクターが出ます。
現代ではノミで彫った形跡が無いのを良しとするので無味無臭のキャラクターの無いアーチのものが多くなります。

このように深くなった溝には汚れがたまりオールド楽器では黒くなったり、ここだけにオリジナルのニスが残っている場合もあります。それで余計にアクセントがついてアーチの立体が強調されます。

チマチマしたオールド楽器のアーチ




仕上がってしまうと写真ではわかりにくいものです。しかし今回のものはぷっくらと膨らみがあり溝がグッと深くなっています。このようなタイプもクレモナ派には見受けられます。

アーチがどこもかしこもなだらかになっているのではなく、不自然なところがあることでキャラクターが生まれるとも言えるでしょう。これは製造工程に縛られて生じるものです。

現代の工業デザインではどうでしょうか?
デザイナーは紙の上で絵を描きます。その時、定規を使って製図のように描くのではなく、形に制約されないように勢いよくダイナミックなラインを引きます。それによって躍動感を表現します。

オールド楽器はそれらとは違います。昔の工芸品や建築の装飾もそうでしょう。ブロックの中に彫刻を施して装飾にしたりしました。

このようなものはチェロを見るとさらにわかります。ヴァイオリンは小さいのでこのようなアクセントは相対的に大きくなりますが、チェロではそのまま拡大されているわけではありません。つまりダイナミックな造形をしようと思ってやったのではなく作業工程の名残が残ってしまっているのでしょう。このような癖がオールド楽器にははっきりと残っていてこれが音響上もキャラクターになっているのではないかと考えています。現代の場合には癖を残さないことを良しと教育しています。

だから私はオールド楽器の音が良いと言っているわけではありません。見た目にも音にも個性豊かなのがオールド楽器ですから、当たりはずれも大きいと考えています。近代以降の楽器ならどれも優秀で、作者による差はわずかだということです。どこの誰が作ったものに音が良いものがあるのかわかりません。作者の知名度に関係なくたくさんある同じような物の中から試奏して気に入ったものを選ぶしかないのです。

オールド楽器の場合にも個性豊かですから試奏して選ばないといけません。

このような制約によって形が決まっているのがオールド楽器です。特にアマティなどにはそれが見られます。それがストラディバリやデルジェスになるともうちょっと自由にダイナミックに作られるようになります。

オールド楽器のこの制約は時には自由な振動を妨げ窮屈な構造になることがあります。そのため、多少アバウトな仕事をする職人のほうが豊かに鳴るかもしれません。シュタイナーなどはきっちり作っているのでかなり窮屈になっています。
ストラディバリやデルジェスが優れているのはそのような点ではないかとも考えています。

厳格に作られたオールド楽器では、響きを抑えることで、味のある音、歯切れの良い音、またいわゆる室内楽的になっているということです。もう少しアバウトに作ると、豊かでソリスト的な音になるのではないかと考えています。

もともとオールド楽器の基礎があった上で、少しアバウトにゆったり目に作られていてることで味のある美しい音は残しつつも、ソリストが使えるような楽器になっているということです。

近代の楽器ではオールドの基礎が無く形だけストラディバリやデルジェスからとったものです。ただアバウトにしてもまったく違うものです。

まあそれでも、近代の楽器の中ではアバウトに作られたものにも「よく鳴る」物はあるように思います。もちろん精密に作られた楽器でもよく鳴るものがありますから、結局弾いてみないとわからないということです。


このようなオールド楽器のアーチに対して、近代のイタリアの考え方があります。これはジュゼッペ・フィオリーニ以降に見られるもので、ノミで削っていくダイナミックな勢いを残すものです。

最初の写真に戻りますが、このような段階ではノミで削っていく勢いがあります。この勢いを失わないで表面の凸凹を無くせばいいというわけです。

そのようなモダン楽器も見かけますし、私が一緒に働いたイタリア人の職人のものもそうでした。
ミルクールやザクセンの量産品に対して、人が手作りで作っているという感じがします。そのため見ればすぐにハンドメイドのイタリアの楽器だとわかります。
そうなれば商品価値がずっと高くなります。

ただし、オールド楽器とは全く違うものだと思います。オールド楽器はもっとチマチマしていて作業工程の制約に縛られているのです。

さらに作業を進めてチマチマした感じにします。

オールド楽器のアーチの構造は作業の手順にしばられてできたということです。どのようにして作ったのか研究をしているところです。

カンナを多用すればアーチが無味無臭になってしまうということですが、「できるだけカンナは使わないべきか?」と言うと必ずしもそうではなくて、やはり効率的に作業するためには必要な道具です。
今回は作業時間がこれまでになく短くなったと思います。効率がよくなってきたということです。アマティの現物から学んだことでもあります。

だからと言って量産楽器や現代の製法での効率優先とは違いますよ。昔の製造法の常識の中で効果的な作業をするということです。


弦楽器のアーチ


弦楽器のアーチの作りというのはカーブを計算して音が予測できるものではありません。
「結果として」そうなったと考えるのが自然でしょう。

アマティの実物を見て驚くことは300年以上経ってもひどい変形もせず現役で使えるということにあります。板はとても薄いにもかかわらずです。

建築物のように荷重に耐えられるように作られているのです。実際にはフラットなアーチの楽器でも耐久性に劣るということはありません。むしろ高いアーチのほうが変形が大きいです。その中ではアマティは驚異的です。

もっと祖先の楽器のころから弦の力に耐えるために膨らみを持たせることが必要だと考えられていたようです。
ヴィオール族の楽器では表板にアーチがあり、裏板が平らなものもあります。コントラバスにもあります。

表板は膨らみを作らなければいけないというのが常識だったのでしょう。アマティやピエトロ・グァルネリでは表板のほうがアーチが高いようです。

イメージとは反してストラディバリではフラットなアーチのものは多くありません。コピーを作ろうと思ってもモデルが見つかりません。
デルジェスでもフラットなものはそれほど多くはありません。
しかし見た目の印象としてフラットに見えることはあり得ます。それはアーチの膨らみを強調する「癖」が少ないからでしょう。

19世紀にはその特徴を誇張してフラットなモダン楽器が作られ、フラットなほど音量があるという理屈になって今日まで伝わっています。実際に作って弾き比べて見れば、音量にほとんど差が無いことが分かります。

ミルクールではプレスの楽器が作られ特にアーチは平らなものがあります。
これらも音の好みは人によるので決して音が悪いと言えるものではないし、耐久性でも問題ありません。
平らな板を曲げるために裏板の中央の厚みが不足するのが問題ですが、19世紀後半にに作られたものは今でも使用できます。

アーチの高さは耐久性に直結しておらず、迷信かもしれませんが昔の人は膨らんだものを作らなければいけないと信じていたようです。

時代ごとに「常識」があるのです。