2020年もブログの前提となる理解から | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

休暇も終わりまして今年も始動です。
休暇の間はあまり多くのことはできませんでした。

カルロス・ゴーン容疑者が逃亡したりとめずらしい出来事もありました。レバノンで開いた会見では私がいつも騙されないようにと注意喚起している西洋人特有の「雄弁な語り口」を披露していました。論点をずらして口先で立派なことを言うのです。わりとそれに納得してしまう西洋の人たちにも憤りを覚えた人もいるでしょう。それが西洋では日常のことです。偉いヴァイオリン職人が語ることでも疑ってかかるべきです。

私個人としては製品がどうなのかということにしか興味がありません。日産やルノーがどんな製品を作っていて、それが魅力的なら会社を支持するし、そうでなければ用はありません。製造業では良いものを作ろうと思うと費用が掛かって経営は厳しくなります。消費者も出せるお金に限界があるので、合理性は受け入れるべきです。私も将来は商用車のようなものが必要になるかもしれません。ルノーには有名な小型の商用車があります。


あとは駅伝のシーズンでよくやっていましたが、話を聞くと靴が違うというのです。長距離走のシューズと言えば底が薄くて軽いものが主流だったのが、厚い底のものが作られるようになって劇的にタイムが向上しているのだそうです。
業界には常識というものがあって長年信じられてきたのに、それが全く逆のものが作られるのです。それを作り始める人の勇気や苦労がしのばれます。

私も心当たりがあります。ヴァイオリン業界では「厚い板が良い」というのが常識でした。今でも信じている人が多くいます。



私が2008年に作ったヴァイオリンを使っている方にお会いしました。
アマチュアオケでやってらっしゃるのですが、仲間で時々ヴァイオリンの弾き比べをするそうです。私の作ったものは本拠地の大ホールの一番後ろの3階席で聞いてもバッチリだと言っていました。10年以上前に作ったヴァイオリンですが、その優秀さは間違いありません。ソリストが使うような楽器に求められる性能を備えているということになります。
当時はオールド楽器のコピーではなくて古い楽器を研究しつつも現代の楽器として業界で通用するものを目指していました。今は開き直って300年くらい時代遅れのものを平気で作っています。

しかし、音響的には2008年のものでもすでに完成されています。
オールドやモダンの名器が持っている特徴を理解して作っていたからです。
一年前に駒を新しくしましたが、10年くらい経っても変形も故障も何も起きていませんし、「薄い板は最初は鳴るけども、そのうち鳴らなくなる」ということも起きていません。

というわけで研究していくことで年々進歩していくというものでもありません。答えなどはわかるときにわかるものです。

大ホールの一番後ろに「バッチリ」音が届く楽器を今作っているということは自分たちの時代の職人が優秀だということを皆さんも誇りに思っていただけたらと思います。

そのほか弱い音も安定して出しやすいということを言っていました。オーケストラならピアニシモで弾かなくてはいけないこともあるでしょう。弱い音が途切れずに出るというのは発音が良いということです。

そのご家族の方は私の作った中型のビオラを使っています。当時は大きなビオラが良いという噂を信じていたので説得して中型にしました。今はそれでよかったと言っています。仲間で弾き比べをすると「楽器は良いのに・・・」と嫌味を言われるそうで、勝ってしまうので参加しないようにしているそうです。アマチュアで良いビオラを持っている人は少ないでしょうね。


私の楽器を長年使っている人の感想では派手な音の楽器ではないけども、ホールの後ろまで届くし、繊細な表現もできるということです。商売を考えると派手な音のほうが売れるのかもしれませんね。




年のはじめということで、ブログの前提となるようなお話をしましょう。毎年一回くらい言った方が良いかもしれません。ヴァイオリンの良し悪しをどうやって判定するかという問題です。

3人のプロがいるという話です。

演奏者、職人、楽器商の3者です。


3者が同じ評価を下すなら「良いヴァイオリン」を言うことができますが、実際にはそれぞれが全く違うヴァイオリンを高く評価するのです。

①楽器商
まずは楽器商についてみていきましょう。楽器商が興味があるのは「お金」です。商人という職業の本質として安く買ったものを高く売るというのが究極の目標になるからです。

実はヴァイオリンというのは誰にでも作ることができます。今も見習の職人が悪戦苦闘しています。確かに難しいものです。私も今になっても簡単にはなっていません。手元が狂って刃物で間違って切断してしまうと大失敗ですから、とても緊張します。心臓に悪いです。はじめから上手くできる人なんていません。


訓練を受けてその難しい作業をこなせばヴァイオリンを作ることができます。日本で職人と言えば天才的な職人が苦労の上編み出した門外不出の秘密があって、認められ有名になって行くと思い込んでいます。しかし例えばドイツのマイスター制度は全く違います。正しい仕事の仕方を業界で定めてマニュアル化し教育して十分な能力があると資格が与えられるという仕組みです。どの職人も同じ仕事をできるように教育するもので無名な職人でも正当な対価を請求するのです。昔のギルド、現在の労働組合に近い仕組みです。一律の賃上げ要求です。

ドイツの1900年前後のモダン楽器は北から南までそっくりです。そのため作者を特定するのは難しいです。しかしイタリアのものの様にニセモノは多くありません。仮にニセモノがあったとしても品質が落ちることがほとんどです。偽造っぽくない作者のラベルがついていて品質が高ければ間違いなく一流の職人の楽器、かなりの確率で作者本人が作ったものでしょう。それでもそんなに高価ではないので作者が違っても値段に大きな差が出ません。無名だろうが有名だろうが一流の腕前の職人の楽器に違いが無いというわけです。
品質が低ければ安価な楽器となり、大量生産品と同等に扱われます。コストを削減するために雑に手早く作っているからです。このレベルの楽器はまさに誰でも作れるもので中古品としては大量に余っているので大した値段にはなりません。とくにチェコのボヘミアに多くて、職人は工場ではなく自宅の工房で楽器を作っていました。ハンドメイドですがかなりの速度で作っていたので完成度には限界があります。このようなものは50万円くらいしか付かないです。

皆さんが思っているよりもヴァイオリンというのは余っていて価値がないものなのです。



それに対しいてイタリアの楽器は品質と値段は関係ありません。
雑に手早く作られたものであろうと丁寧にきちんと作ったものであろうと関係ありません。作者の名前に値段がついているからです。
値段を確実にするには権威ある鑑定によって作者の名前がはっきりすることです。

誰でも作れるレベルのヴァイオリンは大量に余っているということでしたが、そのなかでイタリアの作者のものだけに楽器商は興味を持ちます。商人の発想です。売り物になるのは無数にあるものの中でイタリアの作者のものだけなのです。何故イタリア以外のものに興味が無いかと言うとお金にならないからです。同じような物でもチェコのものなら50万円、イタリアのものなら500万円になります。

これが商人の世界の楽器の見方です。
イタリアの楽器の中にも音が良いものや、仕事の品質が高いものもあるでしょう。しかし初めからお金にならないという理由で候補から除外されている楽器が多すぎるのです。
楽器商の世界の中で先人の教えから勉強すると悪気はなくてもイタリア以外の楽器には興味を持たないようになります。常識というものがあるのです。

実際には悪徳業者が多くイタリアの楽器っぽく見えるイタリア以外の楽器を探してきて作者名を偽って売るのです。仕入れるときはイタリア以外の楽器として、売るときはイタリアの楽器とすれば商人としては有能だということになります。詐欺として立証されないように周到な作戦があることでしょう。



➁職人
それに対して職人は製品そのものを見ます。作者の名前がついていようがなかろうが職人の優秀さを見分けることができます。

それが大量生産の手法で作られているのか、下手な腕前の職人のものなのか、教育を受けていない素人の職人の楽器なのかなどを見分けることができます。

一方で全く非の打ちようのない完璧なものを作るのは困難です。そのつもりで作っても後で見てみると「あれ?」ということはあります。そのためこれくらいなら十分一人前というレベルがあります。というのは見え方は複雑な要素が偶然絡み合い、できてみると予想と違ったりするのです。逆になぜかわからないけど、目に心地よい風合いというのがあって「センスがいい」という印象を受けます。

ましてや完ぺき主義の日本人ではないので西洋の人たちは多少のズルい所は人間味として認めます。


このように量産品、誰でも作れるようなヴァイオリン、一流の腕前の職人の作ったヴァイオリンと見分けることができます。

一流の腕前の職人は全体の中で割合は少なくても総数では人数があまりにも多くて名前を覚えることができません。そのうちのほんの一部だけが有名になって値段にプレミアがついていて楽器商が興味を持つのは一部のものだけなのです。


このように音の話はありません。
楽器が上等であるか、素人や下手くそが作ったものか、安さを売りにした量産品かどうかを見分けることができるというだけで音がどうかという話はありません。

職人にとって重要なのは「加工のうまさ」なのです。どうなっていれば音が良いかというのは定まっていません。これが理想というのが決まっていて、腕の良い職人だけが作れるのなら「腕が良い=音が良い」ということになりますが、音に関してはよくわかりません。弾いてみないとわからないのです。

加工がそんなにうまくない楽器でも音が良いものはよくあります。
しかし加工が下手で音が良くない楽器はそれ以上たくさんあります。あまりにもひどいものを見分けるということが重要でしょう。


➂演奏者
加工がそんなにうまくない楽器は誰にでも作れるレベルの楽器です。イタリア以外のものなら値段は安いものですが、その中には音が良いものがあるかもしれないのです。弾いてみないとわかりません。

それを見分けられるのは演奏者ということになります。
値段やウンチクに惑わされず音だけで楽器が判断できれば一番楽器の良さが分かるというものです。

普通はそうです。
お客さんは自分が気にいったものを買うのです。

こんな当たり前のこともバレてしまっては楽器商や偉い職人にとっては都合の悪いことです。安い楽器、下手くそな職人の楽器のほうが音が良いというのは困ります。
だから商人や職人は一生懸命ウンチクを語るのです。


ただし演奏者によってかなり違うことをお店で働いているので日々経験します。「有名なヴァイオリン奏者が絶賛した」と言っても別の有名なヴァイオリン奏者は違うものを選ぶかもしれません。
有名な演奏者でさえも高価なヴァイオリンの神話を信じているのかもしれません。裕福な人やスポンサーがいれば価格に対しての性能は無頓着かもしれません。

実際には先生が楽器選びに意見することがあります。これも先生によって好みがあります。弦楽器店なら先生ごとに好みを理解して楽器やセールストークを用意する必要があります。

店主や職人が自分で弾いて気にった楽器を売っている場合も同じです。
自信満々に「音が良いでしょう」と言ってきても「え?」と思う人もいるのです。その人の好みだったり、多数の人に売れる楽器の音だったりします。職人の場合には自画自賛しやすいです。


また自分に自信のある演奏者は人にどう聞こえるかではなく、自分の耳だけを頼りにします。そうなるとホールの後席まで届く優れた楽器に気づかないこともあるでしょう。






このようにそれぞれのプロは楽器について異なった見方をしていてお互いに信じられない楽器を選ぶのは日常茶飯事です。ヴァイオリン教授の方がこれは音が良いと選んだ楽器が量産品の中でも特に安い方のものだったこともあります。それくらい楽器の良し悪しを評価するのは難しいのです。くだらないセールス文句にだまされないように気を付けてください。


職人側から言うと、状態の悪い楽器は避けたほうが良いと思うことがあります。修理がちゃんとできていないと楽器の能力は十分発揮されず、将来不満が出てきて修理しようとなったときに膨大な修理代が必要になるからです。
同様に構造や演奏上の欠陥があるものは避けたほうが良いと思います。初めからちゃんと作っておかないと修理で直せることには限界があります。そのため音が良ければ何でも良いというわけではありません。




現実的にはこれらの視点を総合的にとらえる必要があるでしょう。他者の視点を理解することが必要です。
職人が「上等な品」と思うものは上等です。上等な品物が持つ魅力はあります。音だけに興味があるなら無くても良い要素です。一方下手な職人が作ったものを「上等な品」というのは嘘です。700万円のイタリアの楽器でも下手な職人が作ったものなら上等な品物ではありません。誰でも作れるレベルのものに700万円出すのは意味が分かりません。


私はモダンやオールドの名器がこういうものだという理解があって、それに照らし合わせて近いものなら「良さそうだ」と考えます。そうすると何人かの演奏者が試奏すると中には「これは良い」という人が現れることが多いです。しかしたった一人の演奏者に絶賛される確率は高くないでしょう。昔の楽器のほうが作風がバラバラなので候補を絞るというよりは、欠点さえなければ良いという程度で、ひどくなければなんでも良いのです。

このような考えも私個人のものであり、全く別の考えの職人もいることでしょう。客観的な知識というわけにはいきません。


誰にとっても文句なく良い楽器というのがあれば良いのですが、現実にはそうはいきません。自分で気に入ったものを選ばなくてはいけないのです。