高いアーチのオールドヴァイオリン | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

100年前のヴァイオリンは新作に比べて音が強いという話でした。
さっそくヨーロッパに滞在中の方が滞在先の店でミハエル・ドゥッチュを試して私の言っていることを実感されたそうです。
このようなメリットは中級者くらいまでの方に特に求められるもので、価格的にもそのようなものです。同じように弾いても大きな音が出るということです。


それに対して上級者になるとまた違ってきます。
上級者なら何を弾いても大きな音が出ます。楽器が固いと限界が来てそれ以上になりません。限界がずっと遠くにあるのが最高の名器だと思います。ただし初心者が弾いてもうまく鳴りません。

誰もが知っている名門オケを辞めて自分が指揮者やコンサートマスターとして活動している常連のお客さんがいます。
初めて店に来たときはアンサルド・ポッジ(1893~1984年)のヴァイオリンを持っていました。時流に疎い私でもそれが値上がりの著しいものだということ知っていました。
メンテナンスの仕事をしてよく観察しましたが、一人前の職人の楽器であることは間違いありません。しかしその値段ほど他の職人より優れているということは認められません。
1970年のものだったと思いますが、普通の現代の楽器の音だなと思いました。オールド楽器とは似ても似つかないものです。その人のお父さんが新作として購入したものです。

ポッジには不満を持っていて、ヨハン・バプティスタ・シュヴァイツァー(1780~1865年)がハンガリーで作ったヴァイオリンに買い換えました。シュヴァイツァーはウィーンで修行してハンガリーのブダペストで活躍したモダンの作者です。
南ドイツのオールド楽器の繊細さと当時ウィーンにあったであろうストラディバリなどのクレモナの楽器を合わせたようなモダン楽器でとても美しいものです。

音も柔らかくて美しいものです。最近はガット弦のピラストロ・パッシオーネを使っています。バロックや古典派などの時はE線に裸のガット弦を張っています。そうするとバロックヴァイオリンに近い感じになります。

値段は現時点でポッジが1500万円程度、シュバイツァーが600万円程度です。安い楽器にグレードアップしました。

美しい音であることは間違いないのですが、コンサートマスターという職業柄もうちょっと芯のしっかりした音のヴァイオリンが欲しいというのが最近の状況です。そこでヤコブ・シュタイナー(1619~1683年)を試してみました。
シュタイナーはふわっと柔らかいシュヴァイツァーに対して細く強い音です。まさに希望通りです。

ミディアムアーチのシュヴァイツァーに対してシュタイナーは高いアーチのものです。高いアーチのほうが音が締まって強く、低いアーチのほうがふわっと柔らかいものでした。よく職人でも高いアーチの楽器は柔らかい音だというイメージを持っている人がいますが、逆です。シュタイナーのほうが強い音です。優秀なモダン楽器よりも強い音なのですから新作よりも強い音でしょう。
私も現代では珍しく高いアーチのヴァイオリンをいくつも作った事があります。
演奏者から高いアーチのもののほうが「力強い音だ」と報告していただくことがあります。ヴァイオリン職人の教育で教わるのはアーチは平らなほど音量がある、高いアーチは音量が無いので作ってはいけないというものです。演奏者からの声は全く逆なのです。
シュタイナーは締まった強い音でも音の質自体は美しいもので金属的な耳障りな音では全くありません。

今度はアレサンドロ・ガリアーノ(1655~1732年)を試してみました。アレサンドロはガリアーノ家の初代で、これも高いアーチのものです。
ガリアーノはシュタイナーの締まった音とは違い、もっと豊かにのびのびと音が広がる感じです。これも耳障りな音はありませんが、シュヴァイツァーよりは芯があるそうです。聞いているとシュタイナーよりもずっと豊かにスケールが大きいです。

再びシュタイナーを弾いて見ると、引き締まった音で箱庭的なこじんまりとした感じがします。相対的にはいわゆる室内楽用という傾向です。
ガリアーノはとても素晴らしいと言っていました。

このように高価な名器は単なる骨とう品ではなく本当に優れたものです。


このシュタイナーは音大教授が使っていたもので、それ以前はジョバンニ・バティスタ・ロジェリ(ca.1670~1705年)を使っていました。ロジェリはルジエリと間違いやすいですが別人です。どちらも二コラ・アマティの弟子とされています。ロジェリはアマティ的な楽器を作った人ですが、シュタイナーのほうが気に入ったので買い替えたのです。今はベネツィアのピエトロ・グァルネリ(1695~1762年)を使っています。
この人の評価ではロジェリ<シュタイナー<ピエトロ・グァルネリの順番です。

シュタイナーは今の国名で言うとオーストリアになります。
イタリアのロジェリとガリアーノやピエトロ・グァルネリの間に入ってくるくらいの実力はあるということです。イタリアの楽器がダントツに優れているというようなものではありません。ポッジとシュヴァイツァーの話でもそうです。

いずれも作者の相場の上限の値段ですが、ロジェリが6000万円、シュタイナーが3000万円、ガリアーノが4000万円、ピエトロ・グァルネリが1億2000万円といったところです。
値段の順に音が良いということではなく、ストラディバリやグァルネリ・デルジェズとの関係が深いほど高価だと言えば間違っていないでしょう。
ストラディバリはニコラ・アマティの弟子だと考えられているのでロジェリは兄弟弟子にあたります。シュタイナーやガリアーノよりも高いわけです。シュタイナーはイタリアではなくドイツ系のイメージが強いので安めです。ガリアーノは諸説ありますがどこで修行したかはよくわかりません。私の個人的な印象ではアマティの影響が強いと思います。広くアマティ派だと思います。ストラディバリとの関連性が言われますが、ガリアーノ家の作風からはあまり類似性は感じられません。
ピエトロ・グァルネリはもちろんデルジェズと同じ「ガルネリウス」ですから作風はデルジェズと似ていなくてもトップクラスの値段になります。




シュタイナーとガリアーノを比べると、どちらも同じようなアーチの高さです。ピエトロ・グァルネリもそうです。左がシュタイナー右がガリアーノです。
シュタイナーとガリアーノだと私の印象としてはシュタイナーのほうが窮屈なアーチの構造になっているように思います。ガリアーノのほうがゆったりしているように思います。ピエトロ・グァルネリもそうです。

シュタイナーのほうが工芸品としてみると『良い仕事をしてますね』という感じです。細部まで注意を払って緻密に作られています。頭のライオンなんて見事なものです。ガリアーノのほうはかなり雑にアバウトに作ってあります。結果として何百年も経ったときにシュタイナーはタイトな音になっていて、ガリアーノは豊かな音になっています。

これが私が言っている「キャラクターの違い」です。
シュタイナーでも強い音はします。音が出にくく鳴らないということではありません。
しかし、上級者が弾くと、ある所でリミッターがかかってそれ以上になりません。それがガリアーノやピエトロ・グァルネリになればもっとスケールの大きな演奏ができるのです。初級者が弾いて強い音がするという次元ではありません。

アーチの構造によってシュタイナーが制限を受けているのだとしたら、もっとフラットなモダン楽器のほうが自由に板が振動して優れているんじゃないかと理屈ではなります。実際にはシュヴァイツァーは音が柔らかすぎるというわけです。他のモダン楽器ならまた違うのかもしれませんが、アーチの高さによってはっきりした手ごたえのある音があってシュタイナーだとタイトすぎる、ガリアーノならちょうど良いという微妙なところです。

シュタイナーは採寸して体にピッタリの仕立ての良いスーツのような美しさがあるのに対して、ガリアーノはダボダボの作業服のようなルーズな感じです。
動きやすくするために作業服はダボダボに作ってあるのです。ガリアーノの仕事のルーズさが結果としてうまく作用したのです。
シュタイナーもガリアーノもどこで修行したかは不明ですが、アマティの影響が強いことは間違いありません。きっちりきっちり作ったシュタイナーに対して、いい加減にルーズに作ったガリアーノの音が良いというわけです。

同じように弾いて大きな音がするということではなく、力のある演奏者が弾いた時に限界を露呈しないのがスケールの大きな楽器だと思います。初心者が弾いても限界までいかないのでうまく鳴りません。むしろ限界が近い楽器のほうが音が出しやすいです。


ストラディバリもアマティに比べると造形に自然さがあってルーズともつながります。デルジェズはもうルーズさには定評があります。


じゃあルーズに作ってある楽器が全部音が良いかと言うとそんなことは無いです。ガリアーノ家の楽器にはいい加減さが悪い方に出ているものもあります。アマティの基礎のうえで少しルーズなのです。

経験でも同じ師匠の弟子の中ではルーズな職人の楽器の音が良いことはあるように思います。評価は低かったりしますが音となると話は別です。
だから私は、凡人の作った楽器の音が良いということはありえると考えています。有名な師匠よりも下手くそな弟子のほうが音が良いということがあり得るのです。ただし全くの独学でとなると次元が違います。

いい加減すぎてもダメです。弦の力に耐えられないと楽器が持ちません。

だから普通に作ってあれば十分だと言っています。キャラクターには違いがあります。


一般論としてオールド楽器ではドイツのものは周囲が堀のような溝に囲まれた台地状の「四角いアーチ」になっています。これはシュタイナーの特徴を誇張したものです。それに対してイタリアのものは緩やかに膨らんでいます。

しかし実際にはドイツの楽器でもこんもりとしたものもあるし、ロジェリのようにイタリアのものでも窮屈なものがあります。最終的には個別の楽器を見る必要があります


私も高いアーチで作るとミディアムアーチのものより、はっきりした手ごたえや味のある音がします。窮屈すぎればシュタイナーのようになってしまうので、同じ高いアーチでもルーズなものを作るべきだと考えています。
しかし別の人が作った楽器だとミディアムアーチでもはっきりした手ごたえのある音になったりします。私がミディアムアーチで作るとシュヴァイツァーみたいに柔らかい感じになります。
それも聞く側からすれば素晴らしいのですが、今回の件ではコンサートマスターの仕事をするためにもうちょっと手ごたえが欲しいというのです。
ポピュラー音楽のコンサートでは自分の声がステージで聞こえるように、モニタースピーカーが歌手のほうにむけられています。よく足で踏みつけて歌っているのを見ます。
さらには動き回っても平気なように耳の型を取った特注のイヤホンをつけていたりします。

究極的に音が良いというのと仕事で使うのに適しているというのでまたちょっと違うのです。


悩みの種は音が良い楽器は値段が高すぎるのです。
現実的に買える楽器を探すとなるといろいろなものを試すしかありません。
演奏技量とともにステップアップしていくものでもあります。無理して高価な楽器を買っても良さが分からずに高いだけのものを買ってしまうかもしれません。

売れる楽器というのは初級者~中級者が弾いて強く感じられる楽器です。中級者でもヴァイオリン教室の先生くらいは十分できます。職人が自分で弾いて感じるのも同じです。
しかし究極的に音が良い楽器というのは数百年経ったときに上級者が弾いてどうなるかという話です。

その時にニスの材料が何だから音が良いとかそう次元ではないと思います。
楽器自体が持っている固有の音と音の空間での広がり方などを私はイメージして考えて作っています。

近代の楽器ではアーチが低いので窮屈になることはあまり多くありません。しかし独学のようなものがあってイタリアのモダン楽器やアメリカの楽器などで見たことがあります。
ヴァイオリンのモデルを設計するときに見よう見まねでやると幅が狭くなってしまうものです。ストラディバリモデルのモダンヴァイオリンはとても幅広いものです。これをイメージだけで設計すると思っていたよりも細くなってしまうのです。
フリーハンドでヴァイオリンの絵をかいてみると大抵細くなりますからやってみてください。

広い幅で美しい形にするのは難しいものです。幅がとても狭ければミディアムアーチでも窮屈になることがあります。


私は職人が楽器に与えられるのはキャラクターだと考えています。もともと持って生まれたものがあって名器へと成長していくのだと思います。