【初心者の疑問】ストラディバリウスと書かれたヴァイオリンの価値は? | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

右も左もわかない初心者というのは何を質問していいかもわからないものです。働いているとよくある質問がありますので考えてみましょう。後半には上級者向けの内容もあります。


こんにちはガリッポです。

ヨーロッパの弦楽器店で働いていて問い合わせが多いのは「家に古いヴァイオリンがあって見るとストラディバリウスと書かれているが価値があるのか?」というものでしょっちゅうです。
クラシック音楽の歴史のある国ですから物置などに使わなくなったヴァイオリンが眠っているものです。故人の遺品として出てくることもあります。

電話で聞かれても答えることができません。なぜかというと偽造ラベルが貼られていることが多いからです。

弦楽器は左側のf字孔の穴からのぞくと紙切れが張り付けてあり作者の名前らしきものが書かれてあることがあります。見るとどこかで聞いたことのあるストラディバリウスと書いてあるように読めるのです。正しくはラテン語で『Antonius Stradiuarius』と書いてあるはずですが偽造ラベルではスペルの間違いもあり得ます。イタリア語ではアントニオ・ストラディバリと言い同一人物です。当時は正式な文書はラテン語で書くという慣習があったためストラディバリウスと呼ばれます。

ストラディバリウスと言えば高価な楽器として聞いたことがあるのでもしかしたら家にあるものがとんでもなく高価なものじゃないかと期待をして問い合わせをします。まさかそんなことは無いとも思うかもしれませんが聞くだけならお金もかからないしと電話してみるかというわけです。

それに対して実際にはラベルが偽造であるとその楽器自体の価値をラベルが表していないことになりますので楽器を見ないことには何も言うことはできないのです。


ストラディバリウス以外でも同じようなことはあります。

偽造ラベルでも価値はゼロとは限らない

書画でも有名な作者の作品の贋作というものがあって誰でも聞いたことがあるでしょう。何百万円とか何千万円とかするものですが、印刷であることが多くその場合には数百円にしかなりません。書画ではなく印刷物です。
それで「このヴァイオリンは本物か?」と言って持ってくる人もいます。
今はインターネットで1万円くらいのヴァイオリンも売られています。ヴァイオリンとして演奏できるものなら「本物のヴァイオリン」と言えるでしょう。おもちゃのようなものや飾りのようなものなら本物のヴァイオリンではありません。

偽造ラベルが貼られていたとしてもそのヴァイオリンには価値があります。1万円のヴァイオリンに偽造ラベルを貼れば1万円の価値がありますし、100万円のヴァイオリンに偽造ラベルを貼ると100万円の価値があります。
偽造ラベルがあっても価値は元のものと変わりません。つまり元のヴァイオリンの価値によって値段が変わってきます。


ただし元のラベルをはがしてしまったために作者が特定できなくなってしまうと価値が下がることがあります。一方確かな鑑定があれば違うラベルが貼ってあっても価値は変わりません。

弦楽器の業界では偽造ラベルを貼ることは半ば商慣習として行われてきたというほど頻繁に行われました。現代、食品のラベル偽造なら大きな問題となり、ブランド品のコピー商品を外国から持ち込もうとすれば税関で没収されます。しかし弦楽器に関しては偽造ラベルが貼られているのは珍しいケースではなく、いつものことで何もさわがれることではありません。弦楽器の業界は数百年前からそのようなことを日常的に行ってきました。多くの楽器には偽造ラベルが貼られて流通しています。

弦楽器の業界では良い楽器を作ろうという職人よりも、手持ちの楽器をできるだけ高い値段で売ろうという商人のほうがはるかに大きな努力をしてきました。ラベルを貼りかえるのはその努力の一つで少しでも高い値段にするために高い値段の作者のラベルを貼ります。たとえば5000万円の相場の楽器には1億円の作者のラベルが貼られています。そのようなことがよくあり名器の資料を調べていると作者名と貼ってあるラベルが異なることがよくあります。
楽器があるとラベルをはがして取っておいて良さそうな楽器を見つけては貼り換えていました。

古い楽器や古そうな楽器があった時に有名な作者のラベルを貼り付けて売るということも行われてきました。
200年以上前につくられた楽器を分解して修理するときにずっと有名な作者の偽造ラベルを貼るのです。
もっと手の込んだ方法ではあまり有名ではない作者のラベルをとても安価な楽器に貼ることもあります。有名でない作者は資料もなくニセモノかどうかも分かりにくいのです。


ストラディバリウスの偽造ラベルを自分の楽器に貼って売った人もいます。
19世紀フランスのJ.B.ヴィヨームは自分の楽器にストラディバリウスのラベルを貼って売りました。ヴィヨームは19世にはとても有名になり偽造ラベルの貼られたものは現在では2000万円くらいはします。

またそれにならって他の職人や大量生産の工場でも同様のことが行われました。
その職人の楽器だということが分かればその職人の相場の値段になります。
ラベルの貼っていない状態で出荷して販売店が貼りつけることもありました。

弦楽器に限らず現在でも中国の製品を日本や先進国で売る場合にその国の販売業者が好きなブランド名を付けて売っていることはよくあります。世界各国のアマゾンを見れば同じ商品が別の名前で売られています。

日本は戦後工業国として成長したので「ブランド名=製造者名」というイメージを持っています。しかし今では生産を海外に移していることも多いです。そのメーカーが海外に工場を作っている場合はその通りですが、単に外国のメーカーに製造を依頼していることが多くあります。また部品を作ってるのは下請けだったり別のメーカーだったりします。
下請けのメーカーが設計から製造まで請け負うことがあります。さらに下請けメーカーが製品を開発した物をそのまま自社の名前で売る「商社」になっているメーカーもあります。
ブランド名が製造者名という時代は一時のものです。

ヴァイオリンでも中国人がアメリカで会社を起こして中国で製造したヴァイオリンにアメリカのメーカー名を付けて売っているものがあります。他の産業と同じで中国人でもアメリカ人やイタリア人のような架空の名前をメーカー名として商標登録することができます。ヨーロッパの個人の職人から名前の権利を買ったり、使用料を払うこともできるでしょう。ヨーロッパの職人も中国で生産したものに自らの名前を付けて売っています。

これらは犯罪でも何でもなく弦楽器以外の産業でも広く行われているものです。

従って偽造ラベルが貼られていたとしても必ず全く価値が無いということはありません

東ドイツの大量生産

偽造ラベルの楽器として数が多いのは1880年くらいから1940年くらいまでに東ドイツで大量に生産された安価な楽器です。そのためストラディバリウスと書いてあった場合ほとんどの場合がこのケースです。大量に作られたので類似性があり我々が見ればすぐにわかりますが、見ないとわからないので電話では答えられません。

東ドイツ地域のマルクノイキルヒェンとその周辺はザクセン州に属し楽器製造を地場産業としています。現在の国境ではチェコ共和国に含まれるボヘミアという地域もかつてはドイツ領で同じ流派です。戦前はヨーロッパやアメリカに楽器を輸出していました。戦後はドイツが東西に分かれたため東側になりソ連や東欧諸国に輸出していました。一部の業者は西側に移住しブーベンロイトというところで弦楽器の製造を続けました。日本で販売されたドイツ製の楽器と言えば多くはブーベンロイトのものです。ヨーロッパにはザクセン州の楽器のほうが多くあります。

ザクセンでは地場産業として町ぐるみで弦楽器を製造して、住人の多くが様々な形で弦楽器の製造にかかわったのです。大きなメーカーがあるというよりはギルドの様な組合が販売を取り仕切っていました。そのため楽器店が注文してもどこの工場の製品かまではわかりませんでした。商品を区別するためにカタログには木材の質やニスの色など仕様が書かれていて安価なものから上等なものまでラインナップされていました。その中でストラディバリウス、ガルネリウス・・・というのが商品の名前として書かれていました。戦前のマルクノイキルヒェンの業者のカタログです。左側がドイツ語、右側が英語です。

これを見るとおそらく左の数字が大きいほど上等なものになると思います。28までは指板やペグ、テールピースなどが白い木を黒く染めたもので本当の黒檀を使っていません。ストラディバリウスをはじめそうそうたる有名な作者の名前が付いています。

これは「モデル」と言われるもので平たく言うと高価な名器をイメージして作らたものです。ストラディバリをイメージして作ったということです。イメージと実際は違うものです。あくまでイメージです。

しかし本当にイメージして作られたとは限らずデタラメにラベルが貼られていることが実際には多いです。オリジナルの特徴を反映していなかったり、別のものに貼られていたりします。そのため有名な作者の名前が付いていても必ずしもイメージして作ったというより、携わっていた人達はどれがどの形なのかよくわかっていなくてデタラメに貼りつけたようです。

もちろん一般の皆さんもこのカタログに上がっている作者の名前を見てもどれがどう違うのかわからない人がほとんどでしょう。街ぐるみで産業に関わっていたわけですから専門家でない人が多かったはずです。

これらの楽器の値段は品質のランクによって異なり今では修理済みであれば5~50万円くらいのものです。50万円のものが物置から出てきたとなると決してバカにできない価値のあるものです。楽器としても申し分なく作られていて音も良いものがあります。これが弦楽器の特殊なところで、現在の大量生産品の新品と値段が変わりません。もし上等なものなら新品を買うよりこれらを修理して使うことをお勧めする場合が多いです。ヨーロッパではこのような楽器から始める人も多いです。
状態が良いものでも当時のままのものなら消耗部品を買えて使えるようにするには5万円くらいはかかります。お孫さんなどにプレゼントするということはよくありますがさらに弓も必要です。弓はメーカー名が付いていなかったり偽造の印が押されていても中級品なら10万円以上、メーカー名が付いていれば20万円以上することがあってこういう楽器が出て来たらまず弓から見るほどです。偽造の印が押されていても30万円以上することもあり鑑定書が重要になります。毛の張り替えなどが必要でこちらも数万円修理代がかかります。


修理していないのなら必要な修理代を差し引いて考える必要があります。
実際に多いのは傷んでいて修理代が楽器や弓の価値を超えてしまうものです。これは価値はゼロとなります。日本でも中古楽器として販売されていることがあります。お店によっては「オールド」と称して売っている場合があります。我々の業界でオールドというのはおよそ200年以上前の1800年より前の時代のものを言います。戦前の大量生産品をオールドというのは業界の常識からするとおかしなものです。弦楽器の歴史からすると1900年前後というのは最近のことです。

物置から出てきた楽器が50万円、弓が20万円なら結構なお宝です。こういうことは割合としては多くありませんが絶対数も多いものです。

なぜこのような偽造ラベルが貼られたのかというのは、何も知らない消費者が店頭で楽器を買う時に何となく聞いたことがある名前だと良さそうだと思う心理を読んだものだと思います。全く聞いたことがない名前だと警戒心を持ちます。演奏会でもお決まりの作曲家の名前や有名な演奏家の名前が書かれていればお客さんが集まるのと同じです。

このように「ストラディバリウスを10本下さい」と注文すればストラディバリウスと書かれた大量生産品が10本納入されたのです。

ここからは上級者向けの話


先週も2件のニセモノ事件がありました。保険をかけるのに評価額を出してほしいという依頼です。
保険は楽器の評価額に応じて料金が決まるので高価な楽器では掛け金も高くなります。高すぎる評価額で保険に加入すると高い保険料を払うことになってしまいます。安すぎる評価額で保険に加入していると何かあった時に保証される金額が限られてしまいます。楽器の値段は変動していくので忘れていると評価額が安すぎる状態になっていることがあります。そのため古い楽器ではやや高めに設定しておきます。
自分の楽器をわざと壊す人はいないはずですので売買の時ほど厳密な鑑定は必要ありません。

しかしこのことを悪用すれば、高額な評価額を設定して保険金をだまし取ろうとする人がいるかもしれません。
このようなことは犯罪ですから我々も共犯として逮捕されればすべてを失います。そんなことはしません。


一つ目はフランスの1900年ごろの作者の名前が付いたヴァイオリンです。
作者はさほど有名では無く調べても記述は事務的なものしか書いてありません。楽器の写真はあり、いかにもフランスというきれいなもので2万ユーロくらいします。とくにフランスの楽器製作では1900年頃になるとストラディバリのコピーというよりは非の打ちようのない完全な美しさを目指したものになってきます。そのためそのヴァイオリンが「偽物」であることはすぐにわかりました。そのヴァイオリンは音もよくオーナーは愛用していますが、フランスの楽器の特徴がどこにもありません。フランスにもいろいろな作者がいたので中にはフランスらしくないものもありますが、この作者に関してはフランスらしいものなのでニセモノであることは間違いありません。ミルクールの特徴もなくかといってザクセンやボヘミアなどの特徴もなくどこのだれが作ったものなのかわかりません。ラベルはよく見ると本などの印刷にあるような「ドット」が見えます。昔は印刷所に頼んでラベルを作っていましたから偽造ラベルだと思います。紙も新しい感じがします。保険なので作者不明の楽器としては最大限の評価の1万ユーロほどにしました。

問題は二つ目。
ジェンナロ・ガリアーノのラベルの付いたヴァイオリンです。
韓国人の方で韓国で買ったときの証明書のようなものがあります。
それを見ると「ジェンナロ・ガリアーノのラベルの付いた」と英語で書かれています。つまりジェンナロ・ガリアーノ作ともイタリアのヴァイオリンとも書かれていません。しかし値段だけは「20万ドルの価値がある」と書かれています。さらに各部の材質やニスの色などについて記述されています。

鑑定書としてはおかしいです。
どこのだれが作ったものなのかわからないのに値段だけは20万ドルもするのです。

一般の人は「ラベルが付いた」という記述を、その作者の作ったものだと勘違いしてしまうかもしれません。
それ自体は正直な申告で、問題は値段です。

私が見た感じでは確かにガリアーノ家の特徴があります。しかし大げさすぎるように思います。
先日はジュゼッペ・ガリアーノが手元にありましたが私には別物に見えます。エッジなどは古くなって摩耗したのではなくはじめからそう作られたように見えます。
したがって特徴を誇張して作られた典型的なフェイクでしょう。こういう楽器はいかがわしい業者が興味を示すものです。仕入れるときは数十万円で売るときは桁が一つ二つ違うのですから、鑑定が確かな楽器よりも「興味深い」楽器です。
韓国の法律がどうなっているのか知りませんが、日本の場合には詐欺の場合は事件として騙す意図があったということを立証しなくていけないようです。作者の名前を偽っていないので詐欺には当たりません。商品の値段は日本では自由につけることができますからいくらと書いても構いません。おそらく法律を熟知して勘違いしてくれたらラッキーとこういう文書を作っているのでしょう。
日本なら作者名を偽って売っても「偽物とは知らず、騙す意図は無かった」と言い張れば無罪です。私のところでは専門店として看板を出していたら裁判では「偽物とは知らなかった」というのは通用しないそうです。「偽物が見抜けない専門店」と自ら主張しているのですから間抜けな業者です。

当然「20万ドルの評価はできません」と回答するしかありません。それを聞いてからオーナーが修羅場を迎えることになります。



このようなことはよくあって、初めのケースでは買った方も本物だと思っていませんから問題はありませんが、二つ目のケースは深刻です。実際いくら払って買ったかは知りませんが「20万ドルの楽器が今ならたったの・・・」、それでも実際の価値の10倍くらいは払っていることでしょう。
お金の問題もさることながら初めのケースは音を気に入って買っているのに対して、あとのケースでは「高価な名器だから音が良いに違いない」と決めつけて買っています。作りの悪い楽器なら練習してきた時間を無駄にしたことになります。


同じニセモノでも前者は歴史のある国の買い方で、後者は後発国の買い方の典型ですね。
作者名を見ずに音が気に入ったという理由で選び、作者不明の楽器として適正価格で買えば偽造ラベルが貼ってあっても何の問題もありません。名前に惹かれて楽器を買ってラベルが偽造なら何も残りません。

まとめ

ストラディバリウスと書かれた楽器があった場合値段は0~10億円の可能性があります。
0円か10億円かのどちらかではなく、その間もあります。ヴァイオリンというのは質によって値段が違うので偽物だとしてもそれが何なのか調べる必要があります。
ストラディバリ以外の名前についても同様です。
多いのはガルネリウス、アマティ、シュタイナー、マジーニなどのほかありとあらゆる偽造ラベルがあります。そのためラベルに書いてある名前を見ても価値はわかりません。

現代の産業は大企業が自分のメーカーの名前を付けて売っていますのでメーカー名を見ればどの会社の製品かわかりますが、弦楽器の業界は中小零細企業が無数に存在していたためメーカー名を見てもどこの製造者のものなのかわかりません。
日本の場合にはまだ同じメーカーのものが多く輸入されてきたので同じメーカーのものを見ることは多くあるでしょうが、ヨーロッパになると過去まで含めると業者の数が多すぎて訳が分かりません。そういう中古品をガラクタのような値段で買ってきて結構な値段で日本で売っている業者もあります。うちの店にも日本の業者が訪ねてきたことがあります。私から見て鑑定の確かな優れた楽器を紹介しようとしたら「もっと安いものは無いか?」と興味のあるものが違ったようです。



なんかのきっかけで私のブログに来てしまった人もいるでしょうが、難しくてついていけないという人もいるかもしれません。敢えて難しくしてひっそりやろうとしていたのですがあまりにも気の毒なのでこういう記事も入れていこうかと思います。意外と上級者にとってもためになることもあるでしょう。
ガリアーノなんて当たり前のように書いてきましたが、初心者にとっては初めて聞く名前かもしれません。それがイタリアのオールドの作者だと知っているのを前提としてこれまでは書いてきたのでした。

マニアのような人ほど知識が偏っているものですから初心者向けの知識で目を覚ましてもらいたいものです。