日本でのチェロの修理 その2 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

ミルクールのチェロの問題点を見ていきましょう。100年前のチェロにしては状態は良い方です。もっとひどいものはたくさんあります。それでも多くの問題があります。

こんにちはガリッポです。

19世紀のフランスの楽器が一目置かれる存在であることはヨーロッパでは当たり前の事ですが現代の楽器製作の基本であるために我々は避けて通れない存在です。
先日もブランシャー(Blanchard)のヴァイオリンを上級者の人に弾いてもらいましたが目が覚めるような力強い音で優れたものだと認めないわけにはいきません。音は暗めで強い鋭い音ですから、低音もカラッと枯れた音です。高音は柔らかいというものではありません。フランスの楽器が全てそうだというわけではありませんが他にもそのような性格のものはあります。

見た目は遠目からでもフランスの一流の楽器とすぐに分かるもので、独特の雰囲気があります。精巧な加工と独特なニス、100年以上程度経っている古さも独特な雰囲気の根源です。

まともに行ったら新作ではかなわないでしょう。
フランスの楽器のコピーを作っても新作の中では優れたものになりますが、本当のフランスの楽器にかなうはずもありません。
新作を買うということはそれとは違う魅力を求めるということにもなります。

そう思っていましたが、今となってはフランスの楽器も高くなってしまいました。特にチェロは800万円くらいで高価だなあと思っていたのが今では1000万円では無理です。

特にヴィヨームのようなビッグネームは急激に上がっています。これも投機のターゲットになっていると思われます。ヴィヨームは本人が作っていたのは初期だけですから他の職人を下請けに使っていたのでしょう。彼らの楽器なら同じものでもずっと安いです。

弦楽器のことをかじり始めるとイタリアのものが最高だというところから始まって現代のマエストロのウンチクを鵜呑みにします。鵜呑みにするからウンチクというのですが。入門レベルの知識が一番確からしく思えるので一生それを信じて終わる人も多いでしょう。
それも東京などでは多くの人が持っているとなるともう少し古い時代のイタリアの作者の方に行くわけですが、平凡な楽器の値段が高いだけですね。

さらに詳しくなるとヴィヨームがストラディバリの精巧な複製を作ったというところまで行きます。それで値段が上がっているのでしょうが私にはフランスの楽器にしか見えません。
それは決して悪く言っているのではなくてフランスの楽器がそもそもとても優れていてヴィヨームもその一つであるということです。


フランス以外でもフランスで修業したような職人の楽器は性能面では遜色なく値段はずっと安くなるので、以前紹介したデンマークのヨルトのほかドイツのノイナーやゲルトナー、ハンガリーのユングマンなどはお買い得です。すぐに売れてしまいます。

そのように私のイメージではフランスに作風が近いほど音響的にも優れているという感じがします。

現代ではそれらの製法も忘れられてきています。オールドの製法が失われただけでなくモダンも失われてきています。
日本人の職人であれば当然伝統は無いわけですからヨーロッパに渡って修行した人たちがヨーロッパの現代の楽器製作の手法を伝えました。この時にはすでにフランスの教えは希薄になっているのです。

関東ではドイツのミッテンバルトで修業した人が職人を育成してきました。ミッテンバルトもヴィヨームの弟子であるルドビッヒ・ノイナーによってある時期急にフランス風の楽器製作に切り替わったのですが、ミッテンバルトのモダン楽器を見てもフランスでは無くてミッテンバルトの楽器に見えます。もちろんクロッツ家のようなオールドとは全く違い「フランス風」であることははっきりわかります。でもミッテンバルトなのです。

日本に入ってきたころにはすっかりフランス風ではなくなっています。とくに有名なのはヨゼフ・カントゥーシャという人で日本人の弟子を何人も育てています。カントゥーシャという人は理論家で過去の楽器には全く興味が無かったようです。そのため自分の楽器の音がどれくらいのレベルか分かっていなかったようです。ミッテンバルトは田舎ということもあって優れた楽器を見る機会もない事が問題なのだそうです。

>>入門レベルの知識が一番確からしく思えるので一生それを信じて終わる人も多いでしょう。
先ほどの話ですが職人もそうです。初めて教わった知識が一番確かに思えるものです。そうやって師匠から弟子へと鵜呑みした入門レベルの知識が伝えらえ信じられていくのです。



その後はクレモナに修行に行く人も増えました。
クレモナは楽器製作が途絶えていて、20世紀はじめにはハンガリー人の職人がいるだけだったそうです。そこで他のイタリアの地域から先生を招いて工業高校でヴァイオリン製作を教えることになりました。その時の初期の生徒が一番古株として日本で巨匠とされています。当然後の世代でも同等やそれ以上の職人がたくさん生まれています。スポーツでもそうですが若い世代がどんどん記録を更新していきます。


このような状況で修業すると職人ももはやフランスの楽器について知ることもありませんし、それが優れたものであることも知りません。修理しても気にも留めないのです。特に日本で就職すれば「イタリアの楽器が買えなくてしょうがなく買うもの」と思い込まされるので初めから尊敬の目を持って見ることもないでしょう。

それに対して私は一目見た瞬間にその精巧さにびっくりしたものです。ストラディバリもびっくりしましたがまたそれとは別の驚きです。
19世紀のフランスのモダン楽器もクレモナのオールド楽器も我々が教わって作ったものとは違うのです。そんなことなにも気にせずに生涯を終える職人が多い中私にとっては大きな問題です、そのような素晴らしいものがこの世に存在するのに無視して生きるわけにはいきません。オールドのイタリアの楽器、モダンのフランスの楽器というのは今でも私の頭の中の世界で重要なランドマークとなっています。それらに対して自分はどういうものを作るかと考えるのです。

こうなると自惚れて自分の作るものを過大評価することもなくなるのです。それに対して稚拙なものを作っているのに自分の楽器を自画自賛して最高だと思っている人は後を絶ちません。


古いものと新しいものとどちらが優れているかという議論はありますが、私は過去のものと比べられないのならはるかに低いレベルでもそれが新しいというだけで優れたものだと考えられてしまうと思います。

「後の時代に生まれてきた人が作った」というだけで自動的に優れたものになるのならそれも次の世代によって価値は無くなります。

一方で神聖視されすぎるのも問題です。
ただ単に無造作に作られたものを「すべてを知り尽くした天才が計算し尽くして作ったに違いない」と考えるのはばかげています。
チェロなんかはだいたいチェロくらいの大きさで深く考えずに普通に作ったものなら200~300年もすれば世界中の名演奏家がこぞって欲しがるものになります。

私からすれば自分勝手なイメージで見ることで冒とくしているようなものです。
オールド楽器にはとてもバラつきがあり特別なこだわりのない人にはモダン楽器のほうが優れているとさえ思います。「同じ予算で買える楽器の場合」となるとさらに複雑化します。

古いものと比べられるということはそれだけ厳しい目で見られるということでそのジャンルは成熟していると思います。初めからどちらかを排除せずに古いものと新しいものの両方を知った上で議論されることが重要です。それが古い名品と並ぶものなのか、過去とは違う方向を目指したものなのか、いずれにしても過去に数えきれない人が同じような試みをしてきたのにそれを「新しい発想」と勘違いするようなのは単なる無知です。無知ほど自信に満ちることができますから、入門レベルのウンチクを鵜呑みにした人が雄弁に語っていることでしょう。

19世紀以降にはいろいろな「音を改善する」工夫が行われました。
しかし実際には地理的に離れたいずれの産地の楽器にも「よく鳴る楽器」があり、普通に作ってあるだけで十分ということを経験しています。変な工夫がされている楽器は今では売り物にしずらいものがあります。

「音を画期的に良くする方法」というのは弦楽器を知らないメディアに取り上げられることもあり理系趣味の人たちは案の定飛びつきます。未来の人から見れば「余計な事をしなければ良い音になったのにもったいない」と思われるでしょう。



問題のチェロ




これを見ただけでもミルクールのチェロだとわかります。それくらい特徴があります。

アーチはペタッとしたフラットなものでプレスなのか削り出しなのかも見ただけではわかりません。フラットなのでプレスっぽく見えます。プレスのミルクールの楽器を見たときの印象が思い起こされるからですが、当時としてはプレスでも削りだしの楽器に見えるように努力したのでそんなに見た目に違いが無いものができたのでしょう。

ボタンは割れていました。これはネックごと外れてボタンもろともちぎれたということです。ボタンだけでネックを支えているわけではなくて全体に力が分散しています。ボタンもその一つです。例えばネックが横方向に力がかかった場合にはネックが胴体から外れるのを防ぐ働きはかなりあると思います。

しかしネックが胴体にきちんと接着されていなければ胴体から外れたときにボタンだけでは耐えられずに一緒に壊れてしまうのです。

この状態ではただ接着しただけなので強度が全くありません。

裏板の合わせ目が黒くなっています。隙間があるからです。私はカンナの調整がいかに重要かということを言って来ていますが、チェロでは多くの場合、合わせ目に問題を抱えています。その後の修理にも問題がありました。過去には裏板を開けて修理をした形跡があります。

表板を開けてみると合わせ目はとても多くの木片で補強されています。隙間が空いているので接着はあきらめて木片で強度を持たせようという発想でしょう。修理は荒いです。

製造時のブロックの加工は荒いものです。

木の繊維の向きに沿って割れたままになっています。繊維が真っ直ぐになるように木を取っていないことも原因ですが自然のものなので完全に真っ直ぐにはなりません。その場合は薄く削ることによって割れを防ぐことができます。一気に厚く削ろうとすれば繊維にそってぱっくりと割れてしまいます。切れ味の悪い刃物で一気に刃を入れたら割れてしまったということですが、そんなことはお構いなくというものです。こんなのはフランスの一級品では考えられません。使用しているブロックの材質も荒いものです。

他の部分も同様です。これも割れて一部が無くなってしまって横板が顔を出しています。材質は先ほどと違い柳です。場所によってスプルースと柳が混在しています。私はこのようなもの始めて見ました。部品ごとに荒加工したものを取り付けたのでしょうがその時に異なる材質のものが混ざっているのです。

別の角度で見てもいかに仕事が粗いかということが分かります。

こちらも加工の粗さが分かります。現代では機械で加工されているので中級品なら均一には加工されています。
このようなものは中国製の一番安い楽器に見られるものです。

これはまずいです。上部ブロックが割れています。ネックはグラグラとして固定されていませんでした。音響面でもエネルギーのロスになります。調弦が狂う原因にもなりますが、放置すればちょっとした衝撃で大破する可能性があります。

ネックは木の棒を釘のようにして留めてありました。ブロックが割れてネックが外れたときにおそらく穴をあけて棒で留めたのでしょう。


どうせ割れているのでブロックを破壊してネックを取り外しました。おそらく過去の修理ではオリジナルのブロックを途中まで削り落としてその上に新しいブロックを取り付けたようですが、全く接着面があっていません。

ネックとブロックの間にも隙間があり木の棒で留まっているだけでした。

これまでで修理の必要性は
・裏板の合わせ目を接着しなおす
・上部のブロックを新しいものにする
・裏板のボタンを補強する
・ネックを入れ直す
というものです、さらに


バスバーも古く朽ちたものであり、仕事のタッチもブロックなどと同様に荒いものです。




バスバーと表板の境目が黒い線に見えるのは隙間が空いているからです。きちんと加工されていない証拠です。

中央の高さは18mmほどで現在では23mm位が標準ですから現代のスチール弦に対しては弱すぎるでしょう。

このようなバスバーを「オリジナルだから変えるべきではない」とこのチェロを売った業者は言っていたそうです。私なら1~2時間で同じレベルの仕事ができるでしょう。しかし楽器商は現代の職人には到底まねでできない高度な技術だと考えているようです。

というわけでバスバーも交換した方が良いでしょう。特に今回耳障りな金属的な高音になっていますがバスバーの交換でこれが和らぐことは多く経験しています。新品の量産チェロでもバスバーを私が付けるとギャーという鳴り方が落ち着きます。

バスバーの交換とネックの角度を正しくつけ直すことで楽器をベストの状態にすることができます。さらに損傷を受けている部分、接着の開いているところを直せばエネルギーのロスを無くせるでしょう。

100年も経っている楽器なら無傷のように見えてもこのようなオーバーホールをすることで楽器が健康な状態になります。楽器を売るとしたらこの状態にしてから売るべきです。販売店を職人ではなく商人が取り仕切っているならそのような事には興味がないでしょう。職人でもお金のことしか考えていない人もいます。

板の厚み

以上の修理でも楽器の持っている能力は発揮されるようになるでしょうが、これが雑に作られた量産楽器であることを考えると製造時の問題も改造してあげることで上等な楽器に近づけることができるでしょう。

特に大きな問題点は板の厚みです。量産楽器では作業時間を短縮するために板の厚みを薄くする作業を途中でやめてしまいます。その結果板の厚い楽器が作られます。現在では機械で加工するので機械にプログラムすればどのような厚さにもできますが、かつては手作業で行っていたので板を薄くするほど時間がかかったのです。時間がかかるほど能率が下がりコストになります。

ハンドメイドの楽器でも急いで作ったものは板が厚くなります。飽きっぽいせっかちな性格の人もそうです。代々楽器製造法が受け継がれていく中でせっかちな人が含まれていれば板は厚くなってしまいます。90%完成していればいいやと皆が考えれば世代を重ねるごとにだんだん板は厚くなっていきます。クレモナでも1600年代のものは特に薄く1750年頃になると厚くなっていく傾向があります。フランスでも1800年ごろは薄かったのが20世紀になると厚くなっています。それがドイツに伝わるとさらに厚くなっています。

板が厚ければ明るい音となりいわゆる新作っぽい音ということになりますが、明るい音の楽器が欲しいならドイツの楽器にも注目すると良いでしょう。最初に言った関東の職人もドイツの流派の人が多いので明るい音がするものが多いはずです。


我々も板を薄くすることは不安になります。楽器が変形したり割れたりしないか、失敗して削りすぎてしまわないか心配になってしまいます。特に日本の気候は湿気があるのでヨーロッパより危険が多いと言えます。厚い方が良いという理論が出回れば渡りに船です。


ただしヴァイオリンの場合は小さいので仕事が雑な人が薄く削りすぎてしまうことがあります。そのため大胆な作風の楽器でもみな厚すぎるということもありません。一か所だけ不用意に大穴を開けてしまいごまかすために他も薄くするケースもあります。そのため必ずしも雑な楽器の板が厚いというわけではありません。しかし古い量産品チェロの裏板では確実に厚いものが多いです。
ヴァイオリンの場合には明るい音が好きという人もいてもおかしくありませんが、ビオラやチェロになるとずっと少なくなるはずです。


ともかく多少厚くても薄くてもそれは音の好みの問題ですが、厚すぎる場合には問題になります
この楽器もやはり厚すぎるものでドイツやチェコの量産品と全く変わりません。そのためこのようなミルクールの楽器を試してもそれを「フランスの楽器の音」と考えてはいけません。フランスの一流のチェロとは全く違うクオリティのものであり、これは単なる量産品の音と考えるべきです。この音でフランスの楽器の音としてしまうことは音痴な一人の歌手を見てその国の人を全員音痴だと思うようなものです。

逆もしかりです。
陸上短距離選手のトップがみな黒人だとしても運動音痴の黒人もいるのです。

フランスで作られたとしても十分な品質が無ければ一流のフランス楽器と同じ音の傾向を備えていることにはなりません。特にフランスの楽器の場合には一流の職人によるハンドメイドの楽器は極めて高いクオリティで作られています。その品質に達していなければ他の国の職人のものと変わりません。
そのためフランスでも2流の楽器ならイタリア製のものでもハンガリー製のものでも違いがありません。


削っていくわけですが柄が長いノミは横板が邪魔になって使えないのです。裏板を外さないと作業はやりにくいのですが修理もあまり大掛かりしてはお金がかかりすぎていしまいます。偉そうに言っている私でさえ削る作業は途中で嫌になってきました。豆カンナのようなものでは本人の努力に比べるとわずかにしか板が薄くなりません。ノミで彫らないと厚みをしっかり出せないのです。ノミを使いこなせていないことも厚い板の楽器が作られる原因です。ノミはフリーハンドの道具なので穴をあけてしまわないか心配になるものです。ビビッてカンナを多用すると厚い板の楽器が出来上がります。

近現代の楽器製作では表面をデコボコなく滑らかに仕上げることを良しと考えているためノミを大胆に使って形を削りだすというのは現代の人たちは苦手です。苦手意識からカンナを多用します。カンナを多用するとアーチは特徴が無くなり板を薄くするのが大変になります。これが現代の楽器の特徴です。




表板は木の表面から変色していきます。深いところほど色が白いので多く削ったところは白く見えます。表板の半分から下は駒の来る中央と下の端はあまり削っていません。その間を薄くしました。ここは多くの量産品で厚すぎることが多い場所です。

思ったよりも板は厚くてちょっと薄くするという程度では済みませんでした。このようなことからしてもこの楽器はプレスではなくて削り出しによるものだと思います。プレスの場合にはあまり急なカーブは作れない事、あまり厚いものは曲げられない事、ペラペラで強度が無いのに対してこれは表板を外しても狂いが無くしっかりしていることなどからおそらくプレスではないと思います。繊維の向きなども見分けるポイントですがよくわかりませんでした。

数字で確認


まずは裏板の厚さです。

左が修理前、右が修理後です。見れば当然薄くなっていますが上側の中央は6.3mmが3.7mmになっています。40%以上薄くなっていますから強度に違いが無いはずはありません。その二つ下は8.0mmが5.0mmになっています。37.5%薄くなっています。逆に中心は9.8mmが8.6mm になっているので薄くはなっていますが12%しか薄くなっていません。裏板は魂柱を受ける中央付近はしっかりとした厚さが必要でそれ以外は強度はあまり必要が無いのでごっそり薄くしてしまうのがフランス的な考え方です。薄いところでは3.5mmを切るところもありますが力が集中するところではありません。したがって均等に中心から外側に向かって板が薄くなっていくわけではありません。私は多くの楽器で実験したり古い楽器を調べた結果このような方法は深い低音を出すのに有利な方法だと理解しました。普通弦楽器について書いてある本だと「中央は厚く端に行くにしたがって薄るする」と書かれています。このような浅い知識を真に受けて作られることも多いです。

今度は表板です。同様に上側の中央が6.5mm のところが3.9mmで40%薄くなっています。コーナーから上の部分とf字孔の周辺より下の部分で5mmを超えるというのは厚すぎます。今回特に暗い音という希望があったので4mm以下の部分が多くなっています。3.5mm程度までなら薄くしても大丈夫でしょう。板自体は堅さがあって同じくらいの年代の他のチェロに比べてもしっかりしています。柔らかい木なら4mm以上する場合もあります。中央は駒が来るところであまり薄くしたくないので6.4mm を5.8mmにして10%以内に留めています。表板も駒の来るf字孔の間のところを厚くしてそれ以外はスッと薄くしています。ここでも規則的に徐々に周辺に行くにしたがって薄くするというものではありません。フランスの楽器には表板の厚さがどこも同じものがありますが、古い楽器を修理していると魂柱やバスバーのところに割れがあったりしてf字孔の間はもう少し厚い方が長持ちしそうな感じがします。厳密にフランスの一流のものと違ってもバランスが取れていれば大丈夫だと思います。
以前紹介した1906年製のフランスのヴァイオリンでは中央は少し厚くなっていました。
https://ameblo.jp/idealtone/entry-12273288930.html

詳しくはよく見てください。測定には誤差がありミドルバウツのエッジ付近では修理後のほうが厚くなっているところがありますが、測る地点が少しでもずれると急に厚みが変わる部分です。広いところはそうでもないのですが急なところは誤差が多くなります。

裏表ともにエッジ付近を1mm程度薄くしています。量産品では端の方まで仕上げていないことがあり厚くなっていることがあります。現在の楽器にも多いものでサッコーニの本にはここを厚くするように書かれていますが、新作らしい明るい音になります。

この結果は私の経験では特別薄いということもありません。楽器自体が100年くらい経っているので新品よりは落ち着いた音になるであろうと思うからです。
私のイメージではごくオーソドックスな普通の厚さで、フランス的な考え方によるものです。1900年頃のフランスのものはこんな感じだというイメージです。

特にチェロの場合0.1mmまでこだわっても意味がありません。全体的にザックリと厚みが出ている必要があります。それでも左右の対称性などはおおむねできています。厚みにムラが大きいと濁ったような音になると考えています。安価な量産品ではアーチのカーブが不規則だったり厚みのムラが大きかったりして、音程とは関係のない雑音が多いケースがよくあります。

また板が薄いものは響きが抑えられ澄んだクリアーな音になります。

そのため楽器によって音程がずれて演奏した場合にすぐに合っていないなとわかるものとそうでないものがあります。子供用の小さな楽器ほど音程は分かりにくいものです。耳がすごく良い人にとってはどちらでも構わないのかもしれませんが一般の人には音程が取れているかわかりやすいのはうれしい反面、失敗がはっきり出るので厳しくもあります。

修理は続きます

フランスの一流の楽器は人類の歴史上最も精巧に美しく作られたものです。現在のわれわれでも同じレベルのものを作れと言われれば自信がありません。フランスの場合には腕の良い職人だけが選別され一人前になることが許されたからです。それ以外の時代や地域で腕の良い職人だけが選抜されるということはありません。特に現在では自由な社会なので腕の悪い職人に楽器製作を止めさせることはできません。演奏であれば音大受験などもあるかもしれませんが楽器製作ではそのような選抜が行われることはありません。ドイツのマイスター試験でもヘタな職人がたくさん合格しています。

そのためフランスの19世紀のように高い水準の楽器が安定して作られることは無くなりました。ヴィヨームの工房では相当な量の楽器が製作されましたがその水準はとても高いものです。日本のヤマハのような会社でも及びません。日本人の優秀な職人を組織すればそれに対抗できるかもしれませんがそのような動きはありません。

一方でフランスの楽器は画一的でどれも同じように見えます。現代の楽器がどれも似たようなものである根源もフランスにあります。

しかしながら上等なフランスの楽器は出回っている楽器の中では珍しいものであり、チェロはとても希少です。安定して高い水準で作られたチェロというのは非常に希少です。

それに対してミルクールの量産品はただの量産品です。一流の楽器に比べるとクオリティははるかに落ちるものです。ただし、一流の楽器のクオリティが非常に高いので落ちるとは言ってもほかの国の楽器に比べると外見はきれいに見えます。一流のフランスの楽器を知らなければそれはクオリティの低いものに見えないかもしれません。他の国ならハンドメイドの高級品に匹敵するレベルです。特にイタリアの楽器・・・。

しかしながら今回のものでは中身は雑な仕事であるため、ドイツやチェコのものと何ら変わりはありません。

また現代の機械で作られたチェロはずっと優秀になっていて当たり前のように音が出ます。状態の悪かったり品質や設計に問題のある古い量産品に比べればはるかに問題がありません。

修理の結果どうなったかは次回です。お楽しみに。