チェロの続報とイタリアのモダンチェロの修理 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

チェロの続報があります。
ずいぶん前に途中までやっていたイタリアのチェロの修理も再開しました。
ブログを開設する前だと思うので修理前の写真とかが無くて申し訳ないですがイタリアのモダンチェロがどんなことになっているか見ていきましょう。





こんにちはガリッポです。
まずはチェロの続報です。


本人と家族は低音の魅力にすっかり魅了されたようでしたが、貸し出しましてチェロの先生にも試してもらいました。同じようなチェロはこれまで何人か教え子にも使っている人がいて先生は今までのものの中でも一番良いと言っていたそうです。

本人と先生の好みが合わないと悲劇ですから、今回のやり方には手ごたえを感じています。


何の説明もなく弾いてもらって気に入ってもらえるというのは光栄です。
そのあとでどうして音が違うのか聞かれました。
面白いのは表板が木目に特徴のある荒いもので木材のランクとしては悪いものになります。
それが一番音が良いなんてことになると何なんでしょう?



さらに去年に仕上げた赤いニスのチェロを使っている人も調整のためにやってきました。
こちらはすごく暗い音というのではなくてニュートラルなバランスに近い物でしょう。こっちの方が鳴り方は開放的です。柔らかい音で太く豊かな感じです。9か月くらい弾き込んでいるせいか取り立てて音量に不満を感じるということはないです。

前回も演奏者の好みにドンピシャリだったようです。
音を聞いていると演奏者とチェロの性格があっています。
柔らかい音の出し方なのですが豊かな量感を引き出しています。
エヴァピラッチゴールドもあっています。

今回不満点としてはD線に鋭さがあるということでした。
去年の夏は非常に湿度が高く、冬は寒く乾燥し両極端でした、トラブルが出てもおかしくありませんが駒の位置を修正してちょっと魂柱を外に引いて締め付けると「完璧だ」と言っていました。新しい楽器は変形してくるので魂柱は緩みます。初めから予想の内で外側に引っ張るときつくなるのです。

基本的にとても柔らかい音のチェロで平均からすると鋭い音でも何でもないのですが、その人にとってはそれでも荒っぽく感じるようです。改めて人によって感性が違うということを感じました。


演奏者が人によって音の出し方が違うということはおもしろいです。
皆同じ演奏なら誰の演奏でもいいわけですが、弾く人によって音楽も音自体も違っているというのはアコースティックな楽器を人間が弾くという魅力ではないでしょうか?


ラーセンの弦も柔らかさには定評のあるものですが寿命が短いことがあります。
古くなってくると金属的な嫌な音になります。
エヴァピラッチゴールドはそれよりは耐久性があるようです。もともとチェロ自体が柔らかい音を持っているので多少劣化して来てもまだまだ使えるという点では経済性で有利です。
荒々しい音で「ラーセンしかない」ということになると劣化してくるとすぐに許容範囲を超えてしまうでしょう。


どちらのチェロも出来上がって最初に弾いた人がすぐに気に入りました。運というか不思議です。去年買った人はそっちのほうが合っているんです。自分に合わない楽器なら加減して弾かなくてはいけません。こんな結果は私にはできすぎのようにも思えます。

同じように作っても弾き手が見つからないときは長い間店にとどまるときもあります。
そうなるとどう作ったら良いかいろいろ考えてしまうのですが、めぐりあわせなんですね。

弦楽器は価値がいくらだなんてことを言いますが、有価証券の売買のようなものではありません。しっくりくる持ち主が見つかるかどうかが重要なのです。


チェロの修理


次はチェロの修理。
チェロの修理は大変に手間がかかるので代金が高くなってしまいます。
今修理をしているチェロは表板の木目を調べてもらったところミラノのビジアッキのものと同じ時代の同じ産地のものだということが分かりました。したがってミラノなどのイタリアのチェロである可能性が高いわけです。

そうなると値段はずっと高くなりますから、大掛かりな修理も元が取れるということになります。

ただし・・・・楽器自体はひどい粗悪なものです。表板の修理はすでに完了しています。白く見える新しい木は私が追加したものです。

それにしてもこの仕事の粗さ。

ひどすぎるライニングはすでに交換してあります。

横板はうまく曲げられていないため割れていました。

修理はジグソーパズルのようでした。コーナーブロックを新しくしてそこに貼りつけてあります。こんなひどい加工でもイタリア人が作ったものは名品とされています。

向こうから見るとこうなっています。


裏板の削り残しの多さも量産品以上です。
それでも「イタリアのモダンチェロ」という言葉の響きが値段を釣り上げます。こんなものでも500万円とか簡単にしてしまうのかもしれません。

端まで彫っていません。


オークションのカタログには「interesting cello....」などと書いてこういうのがあります。
何が面白いのかわかりませんが、もしかしたら?というやつですから、楽観的で思い込みの激しい売り手は「これはあの作者のものに違いない」と飛びつくでしょう。中間業者なら好きなラベルを貼って「・・・どうだ?」という感じです。


修理も事故による損傷等ではなく、製造時のミスや作りの悪さからくる故障と過去のひどい修理のやり直しになります。普通は表板や裏板に割れが起きてそれを直すために表板や裏板を開けるのです。

今回の修理では表板や裏板に割れひとつありません。
ちゃんと作っていなかったところをやり直す修理なのです。
普通に考えればただのガラクタです。製造時にミスがあるのにイタリアのものなら名品とされます。イタリア以外の楽器なら修理することもないでしょう。

それでも個性的な楽器なのでどんな音がするかは興味があります。量産品ほど品質が高くないので間違いなくハンドメイドだとわかります。大量生産というのは各工程ごとに専門化するので職人の技能は上達するのです。安くするためにそれ以上に早く仕事をするので粗悪なものが作られました。ヘタクソな人のハンドメイドは量産品より落ちるのです。例えば・・・・具体的な名前はやめておきましょう。


音を良くするというよりは楽器として使えるようにするのが今回の修理です。
こちらにもイタリア製の古いチェロであるということに目がくらんでしまう人はいるはずです。
売ってくれということで頼まれているので廃墟になった欠陥住宅を人が住めるようにするようなそんな修理が必要です。よそからやってくる人には魅力的な物件に見えるでしょう。



表板は何年も前に私が修理を終えて他の仕事に追われて放置されていました。
裏板は本来なら開ける必要はないです。大体どちらかだけ開ければ修理はできます。

ところが・・・・




横板の裏板との接着面がガタガタなのです。これは過去の修理なのでしょう。
裏板と横板が点でしか接していないのでにかわが付かないのです。過去に何度も何度もにかわを入れ直して隙間を埋めようとしたようです。こうなると裏板を開けるしかありませんが、簡単に開きました。しっかり接着した裏板を開けるのはとても難しいです。ぴったりくっついていたらなかなか開きません。こんなに簡単にチェロの裏板が開いたのは初めてです。


表板の中央には板を張って厚くしてあります。私がやったのではなくて過去の修理です。特に表板に割れなどの損傷は無く、これまでグラデーション理論の話をしてきましたが、そのような考え方を信じていた人が厚みを増したのでしょう。外して薄すぎたら困りますからこのままにします。開けたら最後です。


アルコールニス

東ドイツのクリンゲンタールというところのバロックヴァイオリンがありました。作られてそのままの状態でモダンに改造されていません。1800~1850年くらいのものでしょう。バロックヴァイオリンとしてはそれほど古いものではありません。せっかくなのでバロックヴァイオリンとしてそのまま使うことにしましょう。ところがニスを見ると裏板だけ色が違うのです。これはおそらく過去に修理で塗られたニスが裏板だけ日に当たって色があせてしまったのでしょう。紫外線を当ててみると蛍光の仕方から他の部分とニスが同じものだとわかります。色が裏板だけ灰色なので日に焼けてしまったのでしょう。こういうのも非常に困ります。

どうにも見苦しいもので、その変色したニス自体がオリジナルではないので上からニスを塗って色調を変えようと思いました。このためにアルコールニスを使いました。ふつう修理では乾燥の早いアルコールを使うことが多いです。ただしアルコールニスは広い面積をむらなく塗るのがとても難しいのです。今回は裏板をそのままトーンを変えるために均一にニスを塗る事が求められました。

結果は悲惨なことになってしまいました。私はアルコールニスで裏板全面を塗るのは久しぶりで新作では7~8年前からオイルニスを使っています。オイルニスなら均一に塗って色調を変えるのは簡単でアンティーク塗装では重宝するテクニックです。鮮やかなオレンジになってしまうと新しく見えますから均一に緑がかった暗い茶色で塗って色調を落ち着かせると古く見えるのです。
これをアルコールニスで行うのは不可能に近いです。一回刷毛で塗ると縞模様になってしまいます。もう一回塗るともっとひどくなりました。アルコールニスは塗るときにそれまで塗った層を溶かすのでうまく塗れなかったときにやり直すとこれまで塗った層も溶けてしまうのです。大参事です。
何とかごまかしてニスを変えてやり直して何とかなりましたが3週間もかかってしまいました。乾くのが早いアルコールニスでも3週間もかかるならオイルニスのほうが早かったです。

アルコールニスの場合には塗った後はこのように刷毛の跡が付きます。これをすべて研磨しないと表面にすじが残ってしまいます。耐水ペーパーを使うとツルツルになっていかにもアルコールニスという感じになります。

普通の修理でもニスが剥げ落ちて木がむき出しになった場合には同じようにアルコールニスを塗って保護します。難しいのは表面にすじができてしまうのです。もちろん研磨するわけですが新しくニスを塗っていないところまではみ出して研磨しないとハケの跡が消えません。そうすると塗っていないところのニスが剥げてしまうのです。

体が触れてニスが剥げてしまうところですから厚めに塗っておかなければまたすぐに剥げてしまいます。正直にやったら2~3週間かかります。やってるそばからまた剥げてきますから終わらないです。

クリーニングに持ってきてその日のうちに持って帰りたいという人がいます。
汚れでコーティングされていて汚れをと取ると木の地肌が出てしまうのです。クリーニングもやってみないとわからないのです。

いい加減な職人はポリッシュ液でベトベトにして終わりです。

祝日も仕事の毎日

このチェロも早く売り物したいところです。ビオラの製作と他にビオラの修理もしています。なかなか仕事がはかどりません。

ショッピングセンターの様な所に行くと在庫処分セールが行われています。ワゴンに山盛りにして衣類などが格安で売られています。品物は良いものではないので何回か洗濯したらしわしわになってしまうでしょう。生産国は南アジアあたりが多いですね。インドやバングラディシュのことを扱ったドキュメンタリー番組を見ると皆良いシャツを着ています。欧米のメーカーがこぞってシャツの工場を持っているからです。かつてのイメージなら貧しい国はボロボロの服を着ていたり、時代遅れのものでした。むしろ彼らの方が良い服を着ているのです。それなのに教育や医療を受けられなかったりするのです。社会が均等に発展するのではなくシャツしか作っていないのです。そのシャツは世界の最先端の流行のものなのです。

世界の人たちが仕事を得るためにものがたくさん製造されています。
生産能力が余っているので安い商品が雪崩のようにあふれています。


ますます物の価値は希薄になっていきます。


できるだけ修理して使えるものは使えるように、新しい楽器も長く使えるようにきちっとしたものを作っていきたいですね。