量産チェロを改造します (中編) | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

音について量産チェロを改造できる最大の要素は板の厚さです。
どんなことなのか詳しく見ていきましょう。

ヘルマン・ハウザーという作者のヴァイオリンも紹介します。




こんにちは、ガリッポです。

この前、100万円も出せばちゃんと作られたヴァイオリンがあるという話でしたが、まさにそんなヴァイオリンがありました。


これは1923年にミュンヘンでヘルマン・ハウザーという人が作ったヴァイオリンです。ヘルマン・ハウザーという職人は同じ家に3人いて年代から見て、この人は一番古い初代の人でしょう。ギター職人としてとても有名でヴァイオリンも作っていたようです。どこで習ったのかはわかりませんが、特に問題のある部分もありませんし、仕事も丁寧で繊細、きれいなものです。

裏板も輪郭のカーブがきれいです。形のバランスもとれています。

スタイルは特別にストラディバリなどの古い楽器をモチーフにはしておらず自分流に作っていたということでしょう。ストラディバリに似せなくてはいけないという決まりはありません。仕事はきれいにしてあり作りにもおかしなところはありませから、マイスターの資格を持っているかどうかには関係なく量産品ではなく、ハンドメイドの楽器つまりマイスター作品と考えます。

そうなると値段は80~100万円位してもおかしくありません。
特別有名ではないのでそれ以上の値段をつける理由はありません。

ギターならとても有名な作者のようです。
むしろギターの愛好家が検索して当ブログに来てくださっているのかもしれません。
ヴァイオリンの写真を見て行ってください。
ヴァイオリン界では無名です。


本物かニセモノかについても分かりませんが、ニセモノだとしてもちゃんと作られた楽器であることは変わりませんからそれほど値段は変わらないでしょう。

f字孔の左右の間隔が狭いですね。

ニスの雰囲気も100年近く経っていることもあって風合いが出てきています。ニス自体も量産品のようなラッカーではなく軟質系のものです。当時ドイツの量産楽器にはものすごく硬いラッカーのものがつかわれ、ハンドメイドの楽器にはすごく柔らかい油性のニスが使われることがありました。両極端です。

アーチは現代の楽器らしくきれいに仕上げられています。高さも教科書通りです。

スクロールは真ん中の丸が大きいので独特に見えますが、丸み自体はきれいにできています。丁寧な仕事です。


調べていくとはっきりした特徴が見つかりました。
表板の厚さを測ってみると、中央が厚く回りに行くにしたがって薄くなるという「グラデーション」という手法が見られます。

「グラデーション」はこの頃のドイツの楽器にはよく見られます。

アマティやストラディバリの時代のクレモナ派の楽器でも中央が厚く他の部分が薄くなっていることはあります。ただし、グラデーションというほどはっきりしたものではなく、何となく真ん中が厚いなという程度のものです。デルジェズともなると逆に真ん中が薄くて周りが厚かったりします。

19世紀のフランスのモダンヴァイオリンでは表板の厚さが全て2.5mm位のものがあります。これらはビオラのような深い音とともに優れた音量があります。特に音量には定評のあるものです。

フランスのヴァイオリンも20世紀に近くなると中央が厚いものもあります。グラデーションのようになっているものがあります。ドイツの20世紀以降の楽器でははっきりとグラデーションが見られます。

現在ではこのように表板の中央を厚くして周辺に行くにしたがって薄くされたヴァイオリンはよくあります。音には特徴があります。19世紀のフランスのものが「ビオラのような」暗い音であるのに対して、明るい音がします。板が厚い部分が多いからです。そういう意味ではいかにも現代の楽器の音という感じがします。ドイツの楽器が明るい音がするわけですから明るい音がするのはイタリアのものだけではないということです。古くなっていてバスバーもヘタっているので全くの新品よりは暗い音になるでしょう。

「ビオラのような」とカギカッコにしたのはビオラでもグラデーションを施したり板が厚ければビオラらしい音はしません。

それは良い事なのか悪い事なのかというのは決めることはできません。
好みの問題としか言えないからです。

従って約100万円以内の予算で楽器を探しているとき、試奏してこの楽器を気に入ったのならそれがその人にとっての良い楽器です。



日本にも戦後ドイツ・ミッテンバルトのヴァイオリン製作の手法が伝わったため日本の職人でもこのようなグラデーションを施す人は多くいるはずです。このような楽器は日本の職人の楽器と共通の基礎を持っていると言えます。ルーツを訪ねていくように興味深いものです。この人が誰に習ったのかはわかりませんが、ミュンヘンとミッテンバルトは近い地域ですので関連性があるのかもしれません。息子はミッテンバルトで学んでいます。息子をミッテンバルトで学ばせているということはミッテンバルトの楽器製作を認めていたということでしょう。


ミッテンバルトは古くからヴァイオリンの産地でクロッツ家などオールドの時代から弦楽器を作ってきました。19世紀にフランスのヴァイオリン製作がヨーロッパでもてはやされると、独自にフランスの楽器をまねたものが作られました。1860年代には古くから続くノイナー家からルードビッヒがパリのヴィヨームのところで修業しました。ノイナーはヴィヨームの楽器を代わりに作っていました。その後ミッテンバルトに帰ってきて、フランスの楽器作りを伝えました。ノイナー&ホルンシュタイナーという会社でフランス風の楽器が大量生産されました。
量産品としては良いもので上級品は1万ユーロに達します。(125万円くらい)
とくに子供用の分数楽器では上等なものは少ないのでノイナー&ホルンシュタイナーのものは古さがあって価値の高い物です。

ルードビッヒ本人はベルリンに自分の工房を構えヴィヨームとうり二つの楽器を作っていました。

ルードビッヒのヴァイオリンを見たことがありますが、まさにフランス風でヴィヨームと全く同じものです。当たり前です、ヴィヨームを作っていたその人なんですから。値段は1000万円以上するヴィヨームに比べればはるかに安く300万円もしないでしょう。ヴィヨームに比べると多少年代は若いのですがもの自体は全く同じです。こういうことを知っていると新作に300万円も出すのはばかげているという考えになります。だからと言って買おうと思っていつでもお店にあるというものではありません。逆に考えるとクレモナの現代の巨匠とされる人の楽器はなんで日本の店にそんなにあるんでしょうか?他の国の割り当てはないんでしょうか?


その後は世代を重ねるごとにフランスのクオリティはなくなっていきます。
いくつかのヴィヨームを調べたら表板にはグラデーションは全くなく厚さはだいたい同じ厚さになっていました。それに対してグラデーションという手法が19世紀終わりころから流行りだしたようですね。フランスの戦前の楽器でもそのようなものがあります。日本に伝わったのもそのようなものを基礎とするものです。このヴァイオリンもそういうものです。





他にも修理で来ていた楽器にはフランスの楽器かなと思うようなよくできたヴァイオリンがありました。ラベルは貼られておらず作者はどこの誰なのか全く分かりませんが、モダンイタリアの名工と言われているものと変わらないかそれ以上の美しいヴァイオリンであることは間違いありません。作者名が分からないので値段はさらに安いでしょう。
音は戦前のものだけに新品よりは強い音がしました。
明るい音で高音は耳障りに近いものでした。

強い音でよく鳴る明るい音の楽器です。一般的には優れたものです。
好みによっては優れたヴァイオリンですが、柔らかい音を望む人にはそうではありません。暗い音を望む人にとっても良いものではありません。

もはや心理学の話になりますが、これに有名な作者の名前のラベルを貼りつけて高い値段になっていたら「さすがに名工の楽器だ、力強い音がする」と感じるでしょう。


弦楽器は皆一長一短であり全てを備えたものはありません。
自分にとって何が重要かをはっきりさせれば幸運な選択ができるでしょう。
すべてを望むならいくらお金があっても足りません。
何十年も探して見つからないならその間音色の気に入った楽器を弾き込んでいれば音量も出ているでしょう。


良質な弦楽器を作れる人のうち有名になった人はごく一部でしかありません。
なぜか一流の腕前なのにラベルが貼られていない楽器があります。
業者に卸すときにラベルなしであれば業者が好きなラベルを貼れたのかもしれません。
ヴィヨームの下請けとして働いたフランスの職人も腕前は超一流でした。
腕前だけではビジネスにおいて成功し名声を得ることはできないようです。
楽器商はより多くのお金をもたらす楽器を好んで買ってきました。
ライブハウスにレコード会社の人が来て「君の才能にほれ込んだ。うちでデビューしないか?」という映画のような話は弦楽器の世界では無いです。
他人の成功に協力する人なんていません
偽造ラベルを貼れば高く売れるとの思惑からさらに買い叩くでしょう。職人に対する尊敬なんて楽器商にはありません。


このようなものは70~80万円が限度でしょう。
500万円を超えるようなイタリアのヴァイオリンと楽器のレベルは変わりません。名前が無いから安いのです。演奏者にとってはお買い得ですね。



また別のエピソードです。
あるヴァイオリン教授の人が代々続いてプロの演奏家に愛用されている有名な弓職人に弓製作を依頼しました。値段はいくらになっても良いから最高のものを作ってくれとの依頼でした。

できるまでのあいだ無名なドイツの安い弓を使っていてもらいました。

弓が出来上がっても全く取りに来ないので聞くと安い弓が大変に気に入ったそうです。注文した以上引き取ってもらわないと困るので引き取ってもらいました。安い弓も所有することになりました。

しばらく経ってその人の弓を見ると有名な職人の新しい弓には全く使った形跡がありませんでした。安い方の弓しか使っていなかったのです。

一流の弓職人で、代々家には弓の設計法や出来栄えをチェックする基準があるはずです。
にもかかわらずその弓は使われることがありませんでした。


一流の弓職人が最高の材料を使い万全を期して作ったものでも演奏家に気に入られないということがあるのです。弓に精通している人が手がけても、手にとってさえももらえないほど微妙なのものです。

私が弓について話題にするのを避けるのは弓職人ではないからです。
弓に生涯をささげていないヴァイオリン職人が上から目線で良し悪しを語るのは典型的な無知です。私はプロフェッショナルとはそういう事だと考えています。それとは逆に自分を簡単にプロだと思っている人はいくらでもいます。どんな分野でもかじり始めたくらいが一番はっきり良し悪しを言う事ができます。なぜか初めて知った知識は疑いもなく受け入れたのに、それを覆すには完璧な反論を必要とするのです。私が当ブログで苦労しているのはそこです。

根拠が無い噂はすぐに信じるのに、それが間違っているとわかってもらうには苦労するのです。
不正確な情報の多いネットの時代には深刻な問題の一つでしょう。戦争の原因にもなりかねません。弦楽器の場合、ネットに記事を書いて収入を得ることはできません。



話はそれましたが弦楽器もそういうものです。
作っている人はなぜかわからないけど全く同じように作っても音は微妙に違います。
有名な作者のものを探しても意味が無く、ヴァイオリンなら安いものの中にも気に入るものがあるかもしれません。


これがチェロになると全く状況は違います。値段のゾーンが違います。
安いものと言っても200~300万円くらいにはなります。
それでもヴァイオリンと違って滅多にまともに作られたものが無いです。

ビオラも過去に作られた古いもので自分の望むサイズとなると本数が桁違いに少ないです。

グラデーション


グラデーションについてですが、私はやってもやらなくてもどっちでもいいと考えています。いつもの「ひどくなければ何でも良い」というあれです。
これをやったからと言って音が特別良いということはありません。私はヴァイオリンの表板でグラデーションを施したものも、ほとんど同じ厚さのもの、逆に周辺のほうが厚いものも作ったことがありますがグラデーションを施したものが特に音が良いということはありませんでした。
周辺のほうが厚いデルジェズのコピーは音大教授の方にとても気に入ってもらいました。
何でも良いというのはこういうことです。

音にははっきりした性格が出ると思います。明るい音で独特の鳴り方をします。
良いとするか悪いとするかは弾く人の好みです。


良くないのはグラデーションをあまりにも厳格に0.1mmまで正確にしようとするとき、厚くしすぎてしまうことです。アマティ派のように厚みの差が小さければ何となく真ん中が厚いというくらいにしかできません。
周辺に行くにしたがって徐々に薄くなるということを厳密に行いたければ厚みの差が小さいとやりにくいのです。あまりにも微妙になると加工が難しいのです。




ヴァイオリン製作を習う時にこういものを教わってしまうとグラデーションをやらなければいけない、それを厳密にやるほど音が良いと思い込んでしまいます。

私個人的にはグラデーションを厳密に施した楽器の音はあまり好きではありません。明るいからです。暗い深みのある音のほうが好きなので厳密なグラデーションで作ることはまずしません。

違うものを作ってみればわかりますよね?

ヴァイオリン製作の世界ではこういう当たり前のことが通用しないのです。
偉い師匠に「グラデーションが良いんだ」と教わってしまうとそうでない作り方は間違ったものだとその流派では考えられてしまうのです。これは宗教のようなもので教えに反して異なる作り方をするのは許されません。


偉い職人が言ったことが正しいことだと信じられているのがヴァイオリン業界です。



やってみればわかることのなのに、やることすら煙たがれるのです。失敗したくない常識を持った職人はその流派(宗派)で間違っているとされるやり方で作ることはしません。私のような頭のおかしい人だけです。


グラデーションを施したものとそうでないものを作れば音が全然違うものができます。両方作って好きな方を選べば良いと私は考えます。私のような考えは非常識な頭のおかしな職人のすることです。


職人とはそういうものだとわかってもらいたいです。

職人だけではないでしょう。
世の中には「時代の流れ」というものがあって皆同じ方向に流れていきます。
文化や工業製品では世界中で同じ方向に流れていきます。世界に一社くらい違う方向に行っても良いと思うこともありますがそんな会社は潰れてしまいます。

私は「人間は時代の奴隷」と感じることがあります。
その人の日々の行動や抱く夢はその人の意志ではなく生まれた時代によって決まるのです。

日本だけにいると時代の変化も日本だけの流行かと思いきや外国に住んでみると外国でも同じような流行があったことを知ります。日本で流行を作り出す最先端にいたように見えた人は外国の流行をいち早く日本向けにアレンジした人だったのです。ですから時代というのは「国」というレベルよりも強力な文化圏なのです。どこの国の人かということよりも、どの時代の人かということの方が大きいということです。

こっちのラジオでは懐メロのように昔のヒット曲を流します。
そうすると『ランバダ』とか『マカレナ』とかをしょっちゅう流しています。
なんで当時日本でも連日強制的に聞かされていたのでしょうか?
誰が聞きたかったのでしょうか?
おそらくオシャレな人たちなんでしょうね。


時代というものが持っている無言の圧力に逆らうには強いエネルギーが必要です。


現代の作曲家のインタビューを聞くと「自由」という言葉を口にして重要性を訴えています。
でもその人の作品を聞いてみると、なぜか評価されている他の現代の作曲家と方向性が同じなのです。もっと自由にやれば良いのにと思います。
もしくは自由なんてことを言わなければ良いと思います。自由と言っておきながら時代に強制されているのです。時代の奴隷に自らなっているのです。そのような作風は100年も続いていて古いのです。自由に新しいものを考えたらどうですかね?



私の楽器製作はまさに時代を無視したものです。保守的な正しいとされるものにも「自由であるべきだ」という100年前の考えにも縛られません。良いと思うものは何でも良いのです。
なぜ同じようなものが作られないかと言えば私だけが乱暴なことに時代を無視しているからです。

私のような楽器をヴァイオリン製作コンクールに出しても予選落ちです。
時代からかけ離れているからです。


グラデーションという手法も20世紀の職人にとっては単なる選択肢ではなく、絶対に正しいものだと経典のように信じられていたのです。今でもです。


現代の楽器でもはっきりしたグラデーションが無い楽器があります。
古い楽器がそうなっているわけですから研究すればわかります。
そういう楽器を見たときには「この人分かっているな。」と私は思います。
そういう流派があれば洗練された流派だなと思います。



私にとっては単なる選択肢でしかなくグラデーションは好みの問題と考えているのでその時の気分次第でどっちでもいいです。ただビオラやチェロのような楽器にグラデーションを厳密に用いることは不幸な結果をもたらすことが多くあると思います。




チェロの場合


さあいよいよチェロの話です。

グラデーションを表板に施すと明るい音になります。
ビオラやチェロの場合明るい音を好む人はヴァイオリンに比べるとずっと少なくなるでしょう。ビオラやチェロの音が好きで始めた人にとってはそのような楽器は残念な楽器ですね。
正しいとされる理屈にしたがって真面目に丁寧に作られた楽器なのに明るい音がしてしまうのです。

なぜそんなに私が気にするかといえば、私自身がかつてそういう楽器を作ってしまったからです。

自分が作った楽器の音に対して非常に肯定的な人もいます。
自分の楽器の音を良い音だと考えていくのです。
たまたま自分が習った作り方で出る音の特徴を優れた音とするのです。
たまたま鋭い明るい音のする楽器を作る師匠に教わったために、「楽器の音の良し悪しで重要なのは音色ではなく音の強さだ!!」と主張するようになるのです。


私の場合にはイメージ通りでなかったらガッカリします。
明るい音になってしまったらショックで落ち込んでしまいます。

かつてグラデーションをやってしまってそういうチェロやビオラを作ったことを今思うと顔から火が出るほど恥ずかしいです。

そうやってちゃんと自分に正直に落ち込んだから壁を乗り越えて行けるのでしょう。



技術というよりは心理学の話です。




チェロの場合に問題は弦の圧力が強すぎて表板をつぶしてしまうことです。
音量に優れ暗い音を持つフランスのモダンヴァイオリンのように表板をすべて薄くしてしまうとスチール弦の強い力に負けてへこんできてしまいます。グラデーションをやってもアーチが不自然だとつぶれます。ちゃんとやってもある程度はつぶれます。全く潰れないようにしたら音が悪くなってしまいます。

ただ耐久性を考えるとあまりにも真ん中を薄くすることは危険です。特にチェロの場合材質による強度の違いも大きいです。同じスプルースの表板でも木によって硬さに違いがあります。柔らかい木で中央を薄くしてしまえば弦の力に耐えられません。

そういう意味で表板をすべて薄くすることはチェロではやりたくてもできないことです。

そのため中央は厚くしなくてはいけません。
ところが全部厚くしたら明るい音になってしまいますから、他のところは薄くすれば低音が出やすくなります。

じゃあグラデーションにするしかないのでしょうか?


グラデーションは中央が厚くて周りに行くにしたがって徐々に薄くなるものです。それに対してできることは徐々にではなくて急に薄くすることです。ただし段差ができるほど急だとウィークポイントができて力が境目に集中して変形してきます。そのため段差を作るほど急ではないですがグラデーションとはっきりわからないくらいの変化をすればいいわけです。

つまりクレモナ派のオールド楽器のスタイルです。
ストラディバリを見るとそうなっているものがあります。


「ストラディバリと同じだから正しい」と言っているわけじゃないですよ。
結果としての音が気に入らなければガッカリするのですから。


ドイツの量産楽器

量産楽器の修理がありました。90年代のものに見えますがはっきりは分かりません。今でもごく一般的なドイツの量産品です。

見た感じは加工も悪くないです。

裏板はバーズアイメープルが使われています。ニスはスプレーで塗られたもので見るからに量産品という感じがします。

ブーベンロイトのものは日本にも多く輸入されてきました。
日本でドイツの楽器と言えばブーベンロイトの量産品をイメージします。
統一後はマルクノイキルヒェンもあるでしょう、もちろんミッテンバルトもです。
いずれも量産品で価格が安いので日本の業者も販売します。

優れたモダン楽器も作られてきたのに日本では量産品しか作られていないと思われています。
現代のマイスターの楽器はイタリアのものに比べて高く売れないので仕入れることもないでしょう。マルクノイキルヒェンのかなり安上がりに作られたものが輸入されているくらいです。

先ほどのハウザーは氷山の一角にすぎずドイツ各地の都市でハンドメイドの楽器が作られました。
主要な都市にはどこの街にも腕の良い職人がいたのがクラシックの本場なのです。それらは日本では全く知られていません。ヴァイオリンなら上等なものでも100万円、有名なものでも200万円くらいのものです。ノイナーでも300万円を超えません。チェロでそのようなものは極めて珍しくプロのオーケストラ奏者に最も求められているものですが既に持っている人が手放すことはありません。



このチェロは西ドイツの流れをくむ工業製品ということもあってか比較的外観はきれいにできています。ニスの塗装法は独特のスタイルがあるためにすぐにドイツのものだと分かります。ドイツの量産品は塗装が独特なので、量産品の中で上等なものと安価なものの見分けがつきにくいということがあります。工場の経営者はマイスターの資格を持っているためラベルにはマイスターの名前が入っていることもあります。それでも安価なものもあります。ミルクールや戦前のドイツ、チェコ、中国のものなら悪いものは見るからに悪いのですが、そこが西ドイツのクオリティということで安いものもわりときれいに作ってあるのです。

ただし問題もあります。

厚みを測ってみました。
そもそも持ってみると重いので板が厚いことはすぐにわかります。
板は削って行ってだんだん薄くなっていくわけですから短時間で作ると厚くなるのです。表板で面白いのは中央よりその上下が厚くなっています。チェックポイントの真ん中だけちゃんと測ってあるのでしょう。

裏板も厚いです。量産品は古いものほど手作業の割合が多く板を薄くする作業は時間がかかるため厚いものが多いです。
「安物は板が薄いが安っぽい鳴り方だ。」などと言う人がいますが、測ったことがあるのでしょうか?厚すぎて鳴らないイタリアの新作を売るためのセールストークと考えた方が良いでしょう。「厚い板が本物」と考えている人には本物のドイツの量産品がおすすめです。

表面には回転式の機械で研磨した磨き傷が見えます。
これは木の表面に付いた傷の上から塗装して強調されてしまったのでしょう。手作業で同じカーブの傷を並べることはできません。


板が厚すぎることと、スプレーで塗ったニスに量産品の特徴がはっきり出ています。
表面の仕上げに機械で研磨した跡が見られます。
せっかく外観はわりときれいに加工されているのにもったいないように思いますよね?
もうちょっと頑張っていいものを作ればと思いませんか?

それができないのが量産品なのです。


もうちょっと板を薄くして上等なニスを塗ったらずっと良いチェロになると思いませんか?
だから私がそれをやっているのです。

工場でもちゃんと仕上げまで作業をすれば良いと思うでしょうがすべての楽器でそれをやったら会社の経営を圧迫するでしょう。量産品は販売店に卸すので仕入れ値が安くないと買ってもらえません。ハッタリは売る方でいくらでもつけられるのに対して、仕入れ値が安くないと買いません。

ルーマニアのチェロの改造


ルーマニアの楽器製作は西ドイツのようなしっかりしたものではなく何となくアバウトな感じがします。量産品でも外観がキチッとして、頑丈に分厚くできているのはドイツ製品らしいですが楽器にとっては頑丈なのはよくありません。そういう意味ではルーマニアの楽器には独特ないい加減さがあるように思います。ある種イタリア的とも言えます。

工場の指導者のセンスによっては甘い仕事でも雰囲気でよく見えます。
ニスにはドイツの量産品の伝統が無いのでドイツ的な量産品臭さもありません。
うちの会社ではセンスも良く板も薄めのものを選んで買っています。
中にはすごく板の厚いものもあっていかにも量産品という音のものもありますから悪いものがあるのはどこの国でも同じです。

材料の産地でもありチェロのような大きな楽器では木材の値段はバカになりません。
ルーマニアの木材はアルプスやボスニアのものに比べて安いぶん、量産品にも上等なものを使うことができます。

それを改造していきます。


グラデーションを厳密に施す例を示してみます。

グラデーションは中央が厚く周りに行くにしたがって薄くなるというのを理屈通りやったものです。確かに量産品よりは厚すぎる部分が少ないです。これを厳密に行えば現代ではハンドメイドの楽器として通用するものになるでしょう。言い換えればドイツの量産品はこのようなものを急いで不正確に作ったものだと言えます。


それに対して今回私が仕上げたものは…

ずいぶんとシンプルなものです。
一番厚いところ(表板は魂柱のところ)と、一番薄いところの厚さは同じくらいです。
一番薄い3.5mmのゾーンが圧倒的に広いです。4mmのラインも中心に近い方に来ています。等間隔ではなく急に薄くなり、薄い部分が広いということです。駒や魂柱のところは厚くなくてはいけません。裏板も中央が厚くないと裏板は魂柱に押されて曲がってきてしまいます。魂柱を押し返す反発力が無く頼りないものになってしまいます。したがって中央は厚い必要があります。

それに対して裏板のエッジ付近は3.0mmまで薄くなっていて前回アーチのところで説明したようにチャネリングを彫り込むことも影響しています。裏板のこの部分が薄ければ音は深みのある音になるでしょう。
一方表板のほうは3.7mmと裏板より厚めになっています。チェロの場合柔らかすぎると強度が不足して音も柔らかくなりすぎてしまいます。どうなるかは実験です。

今回の表板は硬い材質のものでできるだけ薄くしたいところですが、これ以上薄くするのは不可能に近いですね。


裏板のグラデーションを施したもので5mmのところは今回のものでは4mmになっていますから1mm違います。表板でも4.0mmのところが3.5mmです。中間がずっと薄くなっています。量産品は6㎜位ある場合もありますから厚すぎます。

グラデーションを施したからと言ってひどく悪いということはないでしょう。そのようなものでもめったにないので上等な楽器として愛用されているケースも多いと思います。

しかし私のようにずっと中間を薄くすれば明るい音ではなくなり、深みのある暗い音になるでしょう。狭い部屋で弾いたときの音の強さではむしろ量産品のほうが強く感じることもあります。古い量産品であればさらに強く感じます。
鳴り方や音の質は違うと思います。
どれが好きかはご自分で好きな音のものを選んでください。私に強制する権限はありません。



まとめ

グラデーションというのは板の厚さの分布をわかりやすく説明しやすくしたもので、実際のオールド楽器やモダン楽器の名器では当てはまりません。

私も作ったことがありますが、特に音が良いということはありませんでした。

厚い部分が多くなるため音は明るくなります。それは好みの問題であり、嫌いと言う人もいるものです。


「正確にグラデーションを施しているから音が良い」と説明するとそれは嘘をついていることになりますが、量産楽器はそれよりも厚い部分がある場合が多く、グラデーションを施してあるものでも優秀なハンドメイドの楽器に違いありません。

私はグラデーションはやってもやらなくてもどっちでもいいと考えています。
あとは弾いてその楽器の音を気に入るかどうかだけなのです。


もし「グラデーションを行うのが正しい作り方」と信じているとすれば音のバリエーションには限界ができます。



弦楽器にはなぜその音になるのかよくわからない部分も多くあります。
板の厚さに関しては割と傾向がつかめます。厳密にはできてみないとわかりません。
ピッチャーに例えると外角低めにピンポイントで投げるのは無理です、ストライクに入るか入らないかくらいです。

板厚以外にもいろいろな要素がありそれについて作り方の特徴と音の規則性はよくわかりません。分からないほうが多いです。

板厚についてだけはいくらか分かるという程度のことですが、明るい音の楽器があって気に入らないときに、暗い音にしたければ板を削って薄くするしかありません。他の方法ではどうにもならないのです。したがって楽器の音の一つの要素として無視することはできません。


日本で「明るい音=良い音」と考えられて、それが前提で話をしているのならグラデーションを施したり厚い板の楽器が良しとされるでしょう。これまではそうであったのです。

よく言われてきたのは薄い板の楽器は初めは鳴るけどそのうち鳴らなくなるというものです。
これがおかしいと感じるのは薄く作っても、ヨーロッパの水準ではそれほど鳴る部類には入りません。「薄く作ると鳴る」ということにまず「?」と思います。そんなに鳴らないと思います。

それを日本の人は鳴ると言うのなら日本にある楽器のレベルが相当低いですね。

厚い板でそれより鳴らないのならヨーロッパでは全く通用しない楽器となります。

そうでなくて理屈が間違っているのかもしれません。
私の先輩でも厚い方が低音が出るというイメージを持っている人がいました。
ただのイメージですね。やってみると違います。
厚い板の場合低い弦を弾いたときに倍音によってその音が強く聞こえることはあります。高い音域の音が同時に鳴っているので低い弦を弾いたときに強く聞こえるのです。

音響工学的にみて純粋に低い音域の音が出やすいのは薄い板です。
そのことが必ずしも低い音を弾いたとき強く感じるのとは違います。
薄くすれば良いってものでもないのです。
薄すぎて柔らかすぎれば反発力が無く腰のないチェロになってしまいます。


薄い板の楽器も新しいうちは鳴らないもので、弾き込みによって改善してくるというのが私の経験からくる感覚です。それより鳴らないものは話になりません。




これまでの日本の常識とは違う可能性を私は探っています。

出来上がったらどんな音になるでしょうか?
偉そうに語っておきながら失敗だったら考えは改めます。固執はしません。


<追伸>
さらに面白いのは1500年代後半のアンドレア・アマティのチェロがオーストリアのナショナルバンクのコレクションにあって、それが今回のものとほとんど同じ厚さなのです。わずかにアマティのほうが薄いです。それを見て作ったのではなくて、あとで見たら同じなのです。私もびっくりです。
そのチェロで驚くのはサイズが今のチェロの標準と全く同じなのです。ストップも1mmしか違わないのです。400年以上経っているのに壊れていないです。

私は何の技術革新も起こしてはいません。450年前にすでにあった技術です。



次回はニスのお話です。
完成して音が出ているかはまだ不明です。