気楽にストラディバリを味わう【第10回】製作中ヴァイオリンの紹介 前半戦 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

ストラディバリの複製を作っていますがこれまでの経過を紹介します。
製作日記みたいなのは他でもあると思うので、大雑把にいきます。

作りながら考えていることも表明してしまいます。



▽ 気楽にストラディバリを味わう ▽

ブラインドテストで低い評価を受けるのがしばしばのストラディバリウス。
「そんなもの研究しても意味ないじゃん?」と頭の良い人は指摘するでしょう。
そう固いことを言わず、何億円もかけずにストラディバリを味わって楽しんではいかかでしょうか?




こんにちは、ヨーロッパの弦楽器工房で働いているガリッポです。


これまでもちょくちょく作っている楽器を紹介してきましたが今回どんとこれまでの経過を紹介します。

弦楽器の音というのは人によって感じ方がものすごく違います。
私にとっては耳が痛くなるような音でも「もっと強い音が欲しい」というお客さんもいますし、ちょっとでも輝かしいと「耳障り」だと敬遠する人もいます。明るい音が好きという人もいれば、ビオラのような暗い音のヴァイオリンが好きという人もいます。

私はどちらかというとビオラのような低音の深々としたヴァイオリンを作っています。そういう楽器は200年以上前のオールド楽器に多いのですが現代ではそういう楽器を作れる人が少ないのに、ヨーロッパではそのような音を好む人が多くいるからです。
明るい音が好みの方はいくらでも手に入ります。

私はチェロのようなビオラを作って好評でしたし、バスのようなチェロも好評でした。
もちろんお客さんの要求に応じて明るい音の楽器を作ることもできます。

では逆に、ヴァイオリンのようなビオラはどうでしょう?
想像してみてください。







私の勤めている店には先輩の職人が作った明るい音のビオラが10年以上売れずに残っています。
低音が出ないビオラを望んでいる人がこれまで現れていません。


オチが決まったところで(?)さっそく、これまでの経過を紹介します。

表板の接ぎ

今回裏板は一枚の板を使いましたが、表板は2枚の板を張り合わせて作ります。



今回表板に使うのは30年以上前に伐採されたアルプス産の木を使います。たいてい表板はドイツトウヒという木でスプルースともいう針葉樹です。

まず板を平らにします。


接着面を加工します。

伝統的には木製の長い西洋カンナを使うわけですが、これは歪みが生じて誤差が出やすいです。これは金属製のカンナなのでとても正確に加工することができます。チェロにはもっと長いものを使いますが、ヴァイオリンくらいなら38cmのこのカンナで十分です。

しかし調整が大変でカンナ自体が狂っていると何回削っても接着する面ができません。カンナが調整できていれば「ちょちょいのちょい」でできます。

私の職場にヴァイオリン製作学校の学生が研修できていましたが学校で苦労していたと話していました。学校にカンナをきっちり調整できる人がいないでしょうからね。平らな台の上にサンドペーパーを敷いてカンナを前後に動かしてゴシゴシとこすることでカンナを削っていくのが有名な方法ですが、そんなやり方では無理です。

木製のカンナなら私の金属製のカンナでカンナを削れば簡単にカンナを平らにできるのですが・・・・それがないから木製のカンナを使っているわけなんですけどね。

学校のレベルではカンナの調整や管理は無理でしょう。


このようにぴったりつくっつけることができます。
私は伝統に従って「にかわ」という動物のタンパク質でできている接着剤を使います。木工用ボンドに比べると接着力が弱いのできっちり正確に加工されていなくてはいけません。

現代の大量生産品の多くは木工用ボンドのようなものを使っています。外国にはいろいろな接着材のメーカーがあります。
天然のにかわでなく、これらの接着剤を使われると修理の時に困ります。メーカーは自社の製品の修理なんて考えていないのでしょう。

この張り合わせはトラブルの起きやすいところで加工が不正確だと、剥がれてきてしまいます。

裏板と表板の輪郭が完成

前にも紹介しましたが、裏板と表板を型紙にしたがって切り出して荒く加工します。


徐々に厚さを薄くしていって、輪郭を正確にかつ美しく仕上げます。輪郭が仕上がると今度は横板の加工に入ることができます。

ポイントはエッジの付近をちゃんと完成を想定して周囲を一周ぐるっと溝を彫ってあることです。一般的にはまっ平らにしてパフリングを入れてから加工します。

私は荒削りからの勢いを大事にしているので完成時がイメージできるようにします。こんなことどうでもいいと思う人が多いのかもしれませんが私の異常なまでのこだわりの部分です。この溝が200年以上前の楽器と現代の楽器との構造の違いとして重要な部分です。

私の方法では形をしっかりとつかんでいます、一般的な方法では何となくこんもりしているだけです。この後パフリングをふちに埋め込んだ後仕上げていくわけですがここから荒削りを始めるのは穴が開いてしまったり削りすぎてしまったりするリスクが高いので何となく仕上げて終わりになってしまいます。こうなると量産品の上級品とハンドメイドの作品の違いも分からなくなります。
はっきりとアーチの形を作っていくと音のキャラクターもはっきりしていきます。

特に周辺の溝の彫り方が表板裏板の強度に直結してきます。
ここを現代風にしてしまうとそれ以外をどう作っても現代的な楽器の音になってしまいます。
もちろん現代的な楽器の音のほうが好きという演奏者もいるでしょうから、間違っているというわけではありません。好みの問題です。

研修に来ていた学生も、私の楽器を弾いて驚いていました。「学校で作った楽器はどの生徒のものでも明るく硬い音で深々とした低音が出ない」のだというのです。典型的な現代の楽器の音ですが、学校だからスタンダードなものを教えるのが普通でしょう。

学校の作り方を聞いて「なるほど」と思いました。
この例でも分かるように多少の上手い下手は品質や故障の少なさに影響しても音にはあまり影響しないということです。
学校では結構細かく指示されて作っているようです、そうなると皆同じ音になってしまいます。

弦楽器は神秘的なものではなく技術的なものだとわかってもらえたでしょうか?


めずらしくイタリアの現代の楽器が修理に来ていましたが、もっと「明るく硬い音」で音も重く出にくい物だったです。構造を調べて原因は特定できました。上記のことに無頓着な作者なんでしょう。あれだけ重いと「個性」というレベルではないと思います。それ以外は問題なく作られているだけに残念でした。

別にイタリアの人だからといって、アマティやストラディバリなどの古いイタリアの楽器の音からまったくかけ離れていてもかまわないのですが・・・古いイタリアの楽器のファンとしてはちょっとがっかりです。
演奏者の人は全員が古い楽器のファンでもなければ求める音も違うのでしょうけど。


まあ、この辺のことはこれだけで一つのテーマになるのでいずれ詳しく紹介します。

それとも企業秘密にしておこうかな・・・



ともかく日本ではこのような「明るい硬い音」の楽器が多く出回っているためオーケストラ全体でもそういう音の傾向があるそうです。
ウイーンの弦メーカー・トマスティクも日本市場向けには同じ銘柄でもヨーロッパで売られているものと音を変えているのだそうです。

「暗くて柔らかい音がヨーロッパ人の好きな音で、明るくて硬い音が日本人の好きな音」だとオーストリア人に言われると私は「日本人でも人それぞれでしょ?」と思ってしまいます。


横板

裏板と表板の輪郭ができると横板を作ることができます。

普通は横板を先に作ってそれに合わせて裏板と表板を作るわけですが、正確な複製を作るために表板裏板を先に作りそこに横板を合わせていきます。

横板の材料は今回、裏板を切り出した残りを使います。
一枚の板の場合、あまりが多く出るので裏板の残りから横板を切り出すことができる場合が多いです。

ノコギリでこのように切っていきます。

切った後はカンナで大まかに平らにし薄くしていきます。

先ほどよりは短いカンナが適しています。
横板にカンナをかけると杢が深い良質な材料ほど割れてしまいます。

そこでこのアイテム。
これはチップブレーカーといい、割れを防ぐもので刃の上に取り付けます。日本のカンナにも明治時代にとり入れられ裏金と呼ばれています。
さきほどのカンナはアメリカの工具メーカー、スタンレー1950年頃の英国製品ですが、チップブレーカーは標準装備のものより改良されたものが発売されています。写真のものはアメリカのリー・ニールセン社のものです。

割れないようにするのにはやたらに刃を鋭く研ぐという手もありますが、合理的に作業を進めるにはカンナの仕組みを理解してきちんと調整されたカンナを使うのが効果的です。


最終的には1mm強の厚さにします。この段階になるとペラペラになってくるので、このようにカンナを使います。横板の幅に比べて刃の幅が十分広いので効果的に作業ができます。


木枠を作ってそこに先ほどの薄い横板を曲げて形にします。枠ももちろん自分で作るわけですが問題なのは裏板と表板の形が違うことです。枠も裏と表で微妙に形が違うことになります。


薄い横板だけでは強度が足りないのでブロックという木片を6か所つけます。

材料は、今回ストラディバリの複製ということで「柳」をつかいます。
一般的には表板と同じスプルースを使います。アマティやストラディバリは柳を使ったようです。だからといって音が良いとか悪いとかは関係ありません。グァルネリ・デル・ジェズはスプルースを使っていますから。

柳は繊維がうねっていて繊維を真っ直ぐにとろうとすると大きな塊から少ししか材料が取れません。木口の加工は楽ですが、柔らかい素材なので初心者は削りすぎてしまう危険な材料かもしれません。


このように裏板の形に合わせて加工します。

ラインに合わせます。表板と裏板の形が違ってもこれでコーナーの真ん中に横板の合わせ目がきます。


横板はベンディングアイロンという専用の器具で曲げていきます。木を濡らしてアイロンで加熱することで木を曲げることができます。
問題はカエデの場合杢があって長時間濡らしてしまうとうねってしまいます。
一般に木工で木材を曲げるのは、蒸して柔らかくすることができますが、極力濡らさずに曲げるというのがポイントです。

古い楽器の場合長い年数が経っているので木の繊維の癖で自然とうねっています。したがって多少はうねったほうが雰囲気が出ます。うねりすぎると塗装がうまくいかなくなるのでその辺のさじ加減が職人の「勘」です。


一周曲げた横板を取り付けて、上と下の面を平らにすると同時に高さを出します。


横板だけでは表板と裏板を接着する面が足りないのでライニングと呼ばれる帯をつけます。

これが安い楽器ではちゃんとくっついていないことがあってビリついたり、表板や裏板がはがれる原因になります。

カーブがエレガントであるとともにすべての接着面がぴったりくっついているとトラブルが少ないです。完成した楽器では見えないところですが、安い楽器の表板を開ければひどいことが多いです。特に外枠式で作られた量産品ではコーナーのブロックが全然あっていないか、全く入っていない場合があります。そうなると衝撃や乾燥に弱く横板の合わせ目が割れてしまいます。

表板と裏板の形が違うのでこのように横板を斜めにすることでつじつまが合うようになっています。

裏板と表板の形に横板がうまく合っています。複製の場合この後表板や裏板のエッジを摩耗したように削ってしまうのでそんなにあっていなくてもいいのですが、このようなアバウトな作り方の割にかなり正確になっています。

まとめ

またこれからも作業を紹介していきます。

弦楽器の製作は音に関係する部分はわずかであとは膨大な作業が待っています。
そのわずかな音に関わる部分を間違えると膨大な作業が無駄になります。

「現代の有名な職人の作ったスタンダードな楽器が良い楽器だ、有難く弾かせていただきなさい」と宣伝されてそればかり出回ってしまうと、画一的になってしまいます。「日本のオーケストラは明るい音」とヨーロッパ人に言われてしまいます。


職人の世界の常識が演奏者の求めるものとかい離しているため、日本とは対照的にヨーロッパでは新作の楽器が年々売れなくなってきています。

ちょうど作曲家に似ています。
現代の作曲家は自分たちは正しいと思って曲を作っていますが、聴衆の求めるものと違うために昔の作曲家に比べると全然人気がありません。「聴衆は愚かで無知でセンスもなく何もわかっていない。自分たちが正しい。」と主張するかもしれません。
そういう作曲家がいてもいいですが、全員がそうである必要はないと思います。自由な社会ですから。

弦楽器職人も「演奏家が愚かで無知でセンスがない、下手くそで楽器を弾きこなせていない、自分の楽器が正しいのだ。」と言い続けても良いでしょう。ただそういう職人は私以外にたくさんいるので私がするまでもありません。
私は「人間というものは愚かで意地悪でだらしなくどうしようもない存在だけども、そればかりではなくて素晴らしいところもたくさんある」そう考えています。極端な理想主義ではなく、かといってただ優しいだけでなく、熱い情熱を持った人たちの人々の心を魅了するようなものを作りたいです。もっと弦楽器を音楽を芸術を好きになってもらいたいです。

私の楽器を使うようになってから熱心に取り組むようになって上達していく人たちを見ていくのも私の喜びです。演奏者が見違えるほど上達すると同時に楽器も弾き込みによって新品のころとは見違えるような音になっていきます。「好きなことは仕事にするな。」「我は殺せ、働くのはお金のためだ。」とよく言いますけど、心から仕事をして、すべてがうまくいったとき最高の喜びとなります。

演奏者は極限の演奏技術が無ければプロにはなれませんが、小さい時から厳しい練習をしてきたのにプロとして通用しないとわかったとたんに演奏を辞めてしまう人がいます。
プロになれないからといって音楽を楽しむ資格がないというわけではないと思います。そういう人たちにこそ弦楽器や音楽の奥深さを知ってもらいたいです。音楽が好きで大人になってから始めた人のほうが音楽の素晴らしさを分かっているのかもしれません。


私は職人として常識はずれの異端です、ヨーロッパのお客さんが求めるものを目指せば当然目指す音は変わってきます。古い楽器の構造を理解するのはそう難しいことではありませんが、これを妨げるのは常識です。

楽器の構造もアマティやストラディバリのような古い構造にしています。現代の楽器とは構造が違うため音も違います。もし古い楽器のような構造のものが作られなければ今後ストラディバリが古くなって使えなくなったときにそのような音は失われることになってしまいます。

そんなことを考えて楽器を作っています。


来週私の楽器を使って音楽を楽しんでいる方のコンサートがありますのでその模様を紹介しましょう。