弦楽器の知識 超基礎編【第12回】安い楽器のニスはプラスチックなの? ニスの材質について | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

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クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

ニスについてはこれまでも取り上げてきましたが、焦点を絞って改めてまとめていきます。

カバンやソファー、車の内装などが本革でできていれば値段が高く、石油から作られた合成皮革なら値段が安いのは誰もが知っているでしょう。

弦楽器自体は木で作られていても、ニスの素材が石油から作られた合成樹脂ならその楽器はいわばプラスチックでコーティングされているわけです。

素人の目ではそれが合成樹脂なのか天然樹脂なのかはわからないかもしれませんが、私のように自分でニスを作っていると目が肥えてきて安物や未熟な職人の楽器はすぐにわかってしまいます。



こんにちは、ガリッポです。

ここでニスについて取り上げるのは、ニスの製造や塗布技術自体がそれ以外の楽器の製造と同じかそれ以上の熟練や知識、経験を必要とするものであるからです。

塗装を除く楽器の製造法は、世界各国にある楽器製作学校や書籍でも学ぶことができますが、ニスについては短いカリキュラムの中ではおろそかになりがちです。
また、なかなか一人前の職人が教えたがらない”企業秘密”でもあります。

にもかかわらず、楽器の見た目の印象に大きな影響を与えます。
未熟なニスや安価なニスを使えば、どんなにすばらしい木工技術も台無しになってしまいます。

ニスとは?

まずそもそも「ニスとはなにか?」からです。
ニスは「ワニス」ともいい英語のバーニッシュ Varnish からきているそうです。

ニスは、元来植物の樹液の中の固形物である樹脂でできています。
塗るときには液体でその後個体に変化します。
硬化した後ある程度の厚みがあり、透き通っています。
色は無色から様々な色がありますが、基本的には色素が溶け込んでいます。
これに対してペンキや絵具は、顔料という色のついた粉末が混ぜてあるだけで溶け込んではいません。
ペンキはしばらく置いておくと顔料が下に沈んでしまいますが、ニスの場合は色が沈むことはありません。

※ニスに顔料を混ぜる方法もありますがペンキと区別するためにここではそのように説明しておきます。


ちょっとわかりにくいでしょうか?

液体で刷毛などを使って塗ることができ、あとで固まります。
固まった後は厚さができて、その層は透き通っていて下の木目が隠れることがなく見えます。
ペンキや絵具では木目が隠れて見えなくなってしまいます。

その厚みは樹脂という成分でできていて、そこに砂糖水のように色が溶け込んでいます。
ペンキは片栗粉を水に溶いたように濁って透明度がなく、色の粉が混ざっているだけでしばらくすると沈んでいきます。

1.天然樹脂と合成樹脂

まずはじめにニスの材料が天然樹脂か合成樹脂(人工樹脂)かに分けます。

①天然樹脂
これは古代から伝統的に用いられてきたもので、植物の樹液から得ます。
もっとも基本的なものは針葉樹から取れる俗にいう「松ヤニ」で、正しくはコルホニウムといいます。
さまざまな植物の種類などによっても異なる樹脂があり、硬さや溶融性、色など様々な違いがあります。
サンダラック、マスチック、様々なコパール、ダンマルなどがあり、お香の材料として仏教っぽい日本名があるものもあります。

また、コルホニウムが地中に長く埋まっていると、コパールや琥珀(こはく)という化石樹脂になります。
映画ジュラシックパークでも琥珀に閉じ込められた蚊から恐竜のDNAを採取するとか、そんな話だったと思います。

一つだけ例外的に昆虫からとれるものがあります。
シェラックはカイガラムシからとれます。
カイガラムシはセミに近い昆虫で植物の汁を吸って体内でシェラックを作ります。


天然樹脂を使用したニスは、塗料メーカーによってほとんど市販されいないので弦楽器の製作者が自分で作る必要があります。

一部で市販されていますが、大変高価であったり大量生産用のものであったり、一人前の職人ならニスも自作するほうが自分の望むものを得ることができると思います。

②合成樹脂
19世紀に化学が進歩すると、人工的に樹脂のようなものを作る方法が生み出されます。

ニトロセルロース
綿を強い酸で反応させて作るもので樟脳(しょうのう)と混ぜることでセルロイドになります。
1900年ころから楽器用に使われているようです。
ラッカーという呼び名のほうがなじみがあるかもしれません。
プラモデルを作ったことのある人なら、模型用の塗料に日本ではニトロセルロースを用いているためあの独特の臭いを知っているでしょう。

見分けるときも見た目の印象のほか、臭いで明らかになります。

これは特にドイツの大量生産に用いられたので安物の代名詞となっています。
天然樹脂に比べ丈夫で傷がついたり剥がれたりしにくく、安価な楽器を大量にアメリカに輸出していましたが、まさにぴったりのニスでした。
ただし、音については硬すぎて振動を妨げてしまったり耳障りな音になりやすいと思います。

そこでラッカーには柔軟剤として、柔らかい材料を混ぜたりしていました。
戦前のドイツのラッカーは、ラッカーとしては質が良くひび割れが剥離が起きにくい物でした。

戦後も根強く使い続けられましたが、50~60年代のものはひびが入って割れてボロボロになっているものをよく見ます。


安物として有名なラッカーも、エレキギターの世界では伝統的なニスとして重宝されているようです。
アメリカのギター製造でもドイツ移民が技術を伝えたそうです。

ラッカーには毒性があり、作業員の健康に悪影響があります。

アクリル
第2次世界大戦でアメリカは日本に天然ゴムの生産地である東南アジアを抑えられていたため、ゴムの確保に苦労していました。
ゴムは兵器に欠かせないもので、科学者に人工的に作り出すように命令したとのことです。
こうして石油から人工的にゴムを作り出すことに成功したそうです。

これらの技術を応用して様々な合成樹脂が開発されました。
塗料としても1960年代くらいから広く使われるようになって現在では楽器用にも多く使われていると思います。

これは完全に石油から作られた合成樹脂なので、冒頭でプラスチックだと言ったのはこのためです。

工業製品や住宅など楽器以外の用途では硬さや耐久性はとても重要で、ラッカーもアクリルも天然樹脂のものよりはるかに優れています。
しかし楽器用としてはこれも硬すぎて音響面ではあまりよくないと思います。

また、プラスチックは紫外線などで劣化していきます。
100年後どのようになるのかまだわかりません。

ラッカーに比べ、毒性が少ないのも優れた点です。




ラッカーとアクリルの間の期間アルキド樹脂という純粋に化学薬品の反応によって作り出された合成樹脂も使われました。

合成樹脂は大量生産品に用いられたため、合成樹脂のニスが塗られていれば即安価な楽器とみなされてしまいます。

このような合成樹脂のニスは個人で作るのは難しく完成したものをメーカーから購入することになります。
染料を加えて色を変えたり、柔軟剤を加えたりもできるかもしれません。



楽器用に使用する木は軽くて強度が高いもので木材の色が白い色をしています。
これを高級木材のような色合いにするには色のついたニスを塗る必要がありますが、層の厚さにムラができると色ムラができて見苦しくなってしまいます。

ニスをムラなく均一に塗るのは大変難しく、これらの合成樹脂のニスはスプレーによって塗られることも多くいのでその風合いから安物だとすぐにわかってしまいます。



2.天然樹脂ニスの種類

ハンドメイドの楽器は天然樹脂のニスでなければ高級品とは言えません。

天然樹脂を使うニスにも種類があります。

①オイルニスとアルコールニス

オイルニス
オイルニスは油性のニスのことで、古くは古代エジプトの時代から西洋で使われてきたものです。
主に亜麻仁油などの植物性の乾性油を使用します。
これは、紫外線に当てると酸素と結合して固まります。
油だけでニスになるわけではなくて、樹脂に流動性を与えて塗りやすくした後で油が酸化すると樹脂本来の硬さになるということです。

1000万円を超えるような古い楽器ではほとんどがオイルニスで塗られていたと考えてよいでしょう。
「塗られていた」というのは、演奏に使われ続けた楽器はその多くが剥げ落ちてしまい300年前に作者が塗ったオリジナルのニスはほとんど残っていないからです。

オイルニスの特性は、ムラなく塗るのが簡単で、特に広い面積では圧倒的に作業時間が短縮できます。
新しいうちは、ぼってりと厚みがあり独特の光沢や色調が得られます。
刷毛で塗った形跡も独特の風合いになります。

その代わり製造法が難しかったり、天候に恵まれなくてはいけなかったりと難しさがあります。


アルコールニス
溶剤としてエタノールなどのアルコールに樹脂や染料などニスの材料を溶かし込んで作ったものです。
揮発性であるアルコールが蒸発することによって固形物が残るわけです。

古くはエタノールの蒸留技術が未熟で濃度の高いエタノールを得ることが難しかったり高価だったそうです。
ヨーロッパでペストが流行した時に、純度の高いアルコールがペストに効く「命の水」として広まったそうです。

現在のヨーロッパでは安く濃度の高いエタノールが入手できますが、日本では酒税の関係でとても高価です。


アルコールニスは、製法が比較的優しくプロの職人でもアルコールニスから初めて、熱心な人はオイルニスにステップアップしていくというケースが多いでしょう。

アルコールニスはムラなく均一に塗るのが難しく、チェロなどの大きな楽器を塗るのはとても時間がかかります。

私もかつてはアルコールニスをとても注意深く塗り、薄く何十回も塗り重ねることでなんとかきれいに塗っていましたが、オイルニスを使用するようになってからはもう二度とアルコールニスを使いたいとは思いません。

またアルコールニスで天然染料を使うと濃い茶色を作るのが難しく、明るいオレンジ色の楽器が多いです。
また濃い色はそれだけムラが目立つので濃い色は難しいです。

溶剤がそれまで塗った層を溶かしながら塗っていくのでハケの跡が残ってしまいます。
これを取り去るには研磨する必要があります。

研磨すると表面が平らになりすぎてプラスチックのような質感になってしまいます。
研磨すると多く削ったところは色が薄くなり・・・・本当に大変です。
その上乾燥するとアルコール分が蒸発しニスの層が薄くなってしまいます。

それほど研磨しなくてよいオイルニスでは表面が軽くうねっているので揺らめく水面のようにぎらぎらとした光沢が得られます。


②伝統的なオイルニスと近代的なオイルニス

伝統的なオイルニス
先ほど古代エジプトの時代にはすでにあったというのは伝統的なオイルニスの製法です。
これは酸化しやすい性質を持った植物性の乾性油に樹脂を溶かし込んで作る方法です。
樹脂に下処理をした後、油とともに加熱させて溶かします。
火加減や加熱時間が大変難しく、温度計もない時代には鳥の羽を触れさせて焦げ方を見るなどしていたようです。
また材料も不純物が多いものや粗悪なもの、偽物など不確実な要素が多かったと思います。


近代的なオイルニス
蒸留技術が発達すると、油性の溶剤も手に入るようになります。
ルーベンスがテレピン油を多用した初期の画家として知られていますが、それが1500年代です。
テレピン油やアロマテラピーで使うような精油などの溶剤にニスの材料を溶かして作ります。
性質はアルコールニスに似てきますが、乾性油を混ぜて流動性を増して塗りやすくすることもできます。

19世紀には工業用としても広くこのようなオイルニスが使われ、これに顔料を加えたものをエナメル塗料といいます。

オイルニスについて書かれた19世紀文献には大概このようなニスの製法が書かれています。

今では人工樹脂のニスにとってかわられてしまいましたが、当時は工業用として大変高い次元まで製法が研究されていたようです。

この近代的なオイルニスの製法では、そのままでは柔らかい樹脂しか使用できません。
自称専門家が油絵の画材の知識で偉そうに楽器用のニスの製法を教えたり本を書いたりしてしまいますが、多くの場合硬い樹脂を溶かす方法を知らないのでとんでもなく柔らかいニスが多いです。
ケースの跡がついたり、べとべとして汚れが付着したり、乾燥が遅く亀裂が入ったりすぐに剥げてしまったりしやすいのです。




これら二つのオイルニスは製法がかなり違い、混同すると発火などの危険があります。
アマチュア製作家や製作学校の学生さんなどは、良く理解してから製造するようにしてください。

この2種類のオイルニスは混ぜることもできます。
そうなるとニスの材料や製法の組み合わせは無限になります。

組み合わせが無限にあるので、ニスの研究ばかりに明け暮れている「ニスマニア」になってしまう職人もいます。

3.天然染料と合成染料

ニスに色を付けるのは染料を使います。
ここにも天然と人工のものがあります。

①天然染料
古代から染料というのは衣服などを染めるために使用し、珍しいものは大変高価で服の色が身分を表すほどでした。
現在では人工的に安価なものが量産できるので、服が色によって値段が違うなんて想像もつかないかもしれません。

弦楽器に使われているのは植物由来のものが多いです。

基本的には染料は別の液体に溶け込むわけでそれ自体に厚みや強度はないわけですが、ものによっては樹脂の成分も含み厚みを持つものや、色がついている樹脂を積極的に利用することもできます。
こうなると、色を加えたことによってニスの硬さや弾力など性質が変わってくることになりますので、色によって樹脂の配合も変える必要があります。

楽器を見て単純に赤いからニスが柔らかいとかそういう言うことは言えません。
その赤を何から得ているか、別の材料の配合などは完成した楽器を見ただけではわかりません。

もちろん色によって音がどうだとかを言うことはできません。
心理的には影響を与えるのでイメージには作用するかもしれません。


色調は、天然のものは不純物が多いせいかくすんでいて原色のような鮮やかさでは人工のものに劣るようです。
逆に言うと深みのある色調で個人的には味わい深い趣があると思います。



②合成染料
これも合成樹脂と同じように、人工的に染料を作り出したものです。

特定の成分の純度が高いため、色調は大変鮮やかではっきりした色になります。
個人的には、ケバケバしい色調であまり好きではありません。

溶かして使う粉末のものや液状のものがあり、楽器用として特別に販売されているものもあります。
粉末のものでも注意するのは、顔料とは違うということです。


1960年代くらいにアニリン染料というのが広まり、弦楽器にも使われました。
これは光が当たると色があせやすいもので、当初はオレンジや赤茶色の楽器でも、赤や黄色が退色して、緑や灰色がかった色合いになってしまったものがあります。
光の当たり方によって違うので、表と裏で色が全然違う場合もあります。

天然染料でも色があせることはよくあります。
100年くらい前のイタリアの楽器では黒ずんだ色のものが多く、あご当ての下だけ赤かったりすることもあります。
天然染料で色があせて黒ずんでもアニリン染料のような見苦しさにはなりません。
鮮やかなオレンジや黄色に対して赤が退色し黒ずんだ黄色は、黄金色とか琥珀色と言われて美しいものです。


大量生産品ではほぼ間違いなく合成染料を使っていると考えてよいでしょう。
ハンドメイドの楽器にも合成染料を使う人もいるでしょうが、合成染料だけを使うと混合比率を調整しても大量生産品のような印象の楽器になってしまうことが多いと思います。

色調を微調整したり天然染料で得にくい色だけ人工のものを使うのなら私は合成染料の使用もありだと思います。
あくまで最後の手段として…

音と価値

ニスの材料については以上のようですが、それぞれ音の違いや値段の違いについてはどうでしょうか?

①音
ニスはその成分の配合を変えることによっていずれの材料のニスでも様々な質のものが作り出せます。
また楽器本体の持っている音との相性というのも重要で、ある楽器に塗って良かったニスを別の作者の楽器に塗っても良いとは限りません。

一般的に、天然樹脂では極端に硬いものを作るのが難しいです。
合成樹脂ではとても丈夫で耐久性に優れたニスが開発されました。
これは家具やその他の木工製品には大変優れたものですが、楽器用としては硬すぎて耳障りな音になったり振動を妨げたり、低音が出にくくなったりする傾向があると思います。

ただし、現在ではしなやかな音の弦が開発されているので以前ほどは「悪い音」と断言しにくくなりました。
少なくとも耳元では音が強く聞こえるので好感する人も少なくないです。
「コンサートホールの後ろの席でも強く聞こえるか?」といえば疑問があります。

一方天然樹脂のニスでは耐久性が弱く、ちょっとしたことでニスがはげたり、手や体が触れる部分が摩耗したり汚れが付着しやすかったりします。


天然樹脂を使ったオイルニスとアルコールニスではどちらが優れているとか音の傾向がどうだとか言うことはできません。
ものによりけりであり、楽器との相性の問題でもあります。

古い名器の修理で楽器を保護するために薄くニスを塗ることがあって、修理には乾きの早いアルコールニスを使うことが多いですが、アルコールニスを塗ると音が悪くなるということはありません。
②値段
合成樹脂や合成染料を使った楽器では大量生産品とみなされるので中古市場でも値段は安くなります。

作者個人の名前が入った楽器でも、合成染料のニスやスプレーで塗った雰囲気があれば高級品とは認めがたいものです。


天然樹脂のオイルニスとアルコールニスで値段が違うこともありません。

まとめ

冒頭で本革と合成皮革の話をしましたが、弦楽器でも同じです。

天然樹脂ニスは・・・

扱いがデリケートでまめに手入れや修理が必要。
不良品のような失敗もおきやすい。
生産コストが高く値段も高い。


このような欠点があることを理解したうえで楽器を購入していただきたいものです。


私が自作した楽器です。
写真ではわかりにくいですが、オイルニスを使用しています。
$ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート
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私個人としては、デジタル温度計や精密なはかり、電気のコンロや紫外線を発生させるライト、質の良い材料の製造など現代の技術は、使われなくなったオイルニスが復活するチャンスを増やしていると思います。


今回はだいぶ技術的な内容が多くなりましたが、ニスの製法まで書いたら本が何冊もかけるでしょう。

次回は修理によって音をよくする方法を考えてみたいと思います。