弦楽器の知識 超基礎編【第10回】音についての超基礎 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

音について言葉で語ると野暮になりますが、超基礎なんで話をする以前の大前提くらいなら言葉で語っても良いでしょう。
意外とプロの演奏家でもわかっていないこともあったりするものです。

良く考えたら教科書や教本にも書いていないし教わる機会がないんですもんね・・・


こんにちは、ガリッポです。

優れた演奏者でも音については意見が分かれるでしょう。
人それぞれこだわりがあって当然です。

それでも気づかない人も多いことを超基礎として頭に置いておきましょう。

美しい音?強い音?

「音が良い」とはどういうことでしょうか?

人によって意見が分かれるところですが、音の美しさを大事にする人と音の強さを大事にする人がいます。
使い古された表現でいうと、音が美しい楽器は室内楽向き、音が強い楽器はソリスト向きなどと言います。

またオーケストラでは、それぞれの楽器の音は客席で聞こえませんが、強さなどのニュアンスは指揮者の注文に答えるわけなので、音の美しさより強さが優先されるかもしれません。

ソリストでも美しい音を大事にする人とアグレッシブに音楽表現をすることに集中している人がいると思います。

またどの楽器を弾いても耳障りな音がする人とどの楽器を弾いても貧弱な音のする人がいます。
このような場合、楽器選びで優先される音も変わってきます。


かつては安価な弦はとても耳障りな音のスチール弦が普及していましたが、現在ではヴァイオリンではナイロン弦、チェロでは柔軟なスチール弦が開発され普及してきたためにそれほど耳障りな音を気にしなくてもよくなりました。

こちらヨーロッパでお客さんの反応を見ていると6:4から7:3で音の強さを優先する人が多い傾向があると感じています。
音の美しさに無頓着なことに弦楽器を愛する者として私はもったいないと思います。


音の強さについても気を付けることを次にお話しします。

遠鳴りについて

優れた楽器というのは遠鳴りすると言います。
これは、音が遠くまで届くことで、大きなコンサートホールの後ろの席でどのくらい聞こえるかということです。

これがとても難しいのは、「自分で自分の演奏を聴く機会は一生ない」ということです。

近い距離や狭い部屋であれば、安価な楽器でも子供用の小さな楽器でもそれほど遜色がないどころか、優れた名器よりもむしろ強い音に聞こえることもあります。


技術者の立場から言うと、はっきりしたことは分かりませんが、耳元で強い音の楽器は楽器が硬くて振動が楽器全体に伝わっていないように思います。
全体に振動が伝わる楽器では耳元ではエネルギーが逃げているように感じて手ごたえが無いように感じられると思います。

例えるなら、バチカンにミケランジェロ作の天井画がありますが、高い天井を下から見上げると迫力のある絵も、足場を組んで近くで見ると何が描いてあるの変わらないくらいぼやけて見えます。
逆に近くで見てはっきりと書いてある細密画を遠くで見ると何が描いているかわからなくなります。

科学的にどうしてそうなっているのかわかりませんが、弦楽器の音もスケールが大きい楽器の音は近くではぼやけてはっきりしません。
スケールの小さな楽器の音は近くではっきりして聞こえます。


楽器の性能を評価するにはホールに持って行って、複数の演奏者でお互いに聴きあうということをしなくてはいけません。


このような当たり前といえば当たり前のことですが、教えてくれる人もいなければ十分理解されているとは言い難いです。

もし人に聴いてもらいたいなら、演奏して自分に聞こえる音に執着しすぎず、腹八分目で満足して空間に音がどう広がっていくかに注意するべきです。

さらに、「あご当てを交換すると音が良くなる」という人がいますが、これに至っては骨伝導と言って音の振動が骨を伝わって耳に届いているわけで空間に音が出てもいません。

あご当ては楽器をしっかり支えて安定させることで、微妙な弓の力加減を可能にし良い音に貢献できると考えるべきでしょう。
つまりそれ自体の音というよりは、人によって形状が違うあごにフィットして支えやすいものを使えばよいわけです。

遠鳴りする楽器の構造

実際にホールに持っていけばよいわけですが、技術者の私が考えていることをお話しします。

遠鳴りの原理は良くわかりませんが楽器の構造で、古い名器のうち遠くまで音が届く優れた楽器を調べていくと共通する技術的な特徴が見つかります。
私がそれを再現した楽器を作れば、同様に遠鳴りする楽器になることで確認できます。

ある音大で何人かの職人による新品のヴァイオリンの展示会をしたことがあります。
私の楽器は展示した部屋で演奏しても他の楽器に比べて特に目立つこともなく地味な存在でした。
ところがコンサートホールで試すと圧倒的に遠鳴りしてヴァイオリン教授たちにも認めてもらいました。


その技術的な特徴というのは様々な楽器の構造がある一定の範囲に収まっているということです。
「板の薄い楽器は耳元では鳴るが遠鳴りしない」などと言う俗説を信じてドヤ顔で説教してくる関係者もいるかもしれませんがこれは完全な見当違いです。


具体的にはこれからこのブログで解説していきます。


ただし、そのような構造で遠鳴りする楽器というのは私の理想の楽器であって、そうでないからと言って悪いものだと言うつもりはありません。。
職人にもそれぞれ言い分や考え方があります。

明るい音と暗い音

単純に考えればバランスとして高音が勝っていることを明るい音、低音が勝っていることを暗い音と言います。

そしてもっとも根本的には、明るい音は板が厚いことに起因し暗い音は薄いことに起因します。
また楽器が古くなることによっても暗くなっていきます。

オーストリアの弦メーカー、トマスティクの人が言うには、日本などアジアでは明るく鋭い音が好まれるのに対し、ヨーロッパでは暗く柔らかい音が好まれるそうです。

世界で弦を売っているメーカーが言うことなので間違いないでしょう。

ヨーロッパで働いている私も店頭で暗い音の楽器が喜ばれることをよく経験しています。

なぜ日本で明るい音が好まれるのかについて日本の業界関係者に尋ねると答えをはぐらかされます。
状況証拠から考えると、お金になる売りたい楽器に明るい音の楽器が多く、暗い楽器の良さを知られてはまずいから宣伝しているのでは?という疑念がわいてきます。
それに対して「明るい音」について難解な解釈で言いわけをしてくるかもしれません。
私が疑い深すぎるのでしょうか?

いずれにしても日本で絶賛される明るい音の楽器を持って、ヨーロッパに行ってもあまりうらやましがられることはないということです。

低音と高音

これは工業技術に親しんでいない人にはわからないことかもしれません。

工業技術において、強度を高くすれば重くなり、軽くすれば弱くなる。
また軽くて強い素材を使えば値段が高くなる。

このような相反する要素の中から、目的に応じて妥協点を見つけるのが普通です。

弦楽器の音もあるところが優れていれば別の部分には欠点が生じてしまいます。

ここで紹介するのは、力強い低音の楽器は高音が耳障りであり、高音が柔らかい楽器は低音が貧弱であるということです。

逆のパターンに出くわしたことはありません。

人間の耳の感度にも原因があると思います。
人間の耳は女性が悲鳴を上げるような音域の音に対してとても感度がよくそれ以外は鈍感です。
弦楽器の音では高音は感度が良く、低音では感度が悪いです。

したがって高音では刺激的な音を感知しやすいのに対して、低音で耳障りということはあまり感じません。

下の3本の弦が力強くて最高音の弦だけが耳障りな残念な楽器があります。
「これで高音もやわらかければいいのに」と思うんですが、原理的に有り得ません。
購入後調整で何とかなるんじゃないかと思ってもどうにもなりません。
高音の弦に柔らかい音の弦を張って多少なりともごまかすことはできますが、他の弦もパワーダウンしてしまいます。
逆に、最高音の弦がしなやかで気に入っても低音がもやっとして不明瞭なケースもあります。

「低音が力強く高音がしなやかな楽器があるはずだ」と思って探し続けても永遠に手に入れられないかもしれません。

このような事実もあらかじめ知っておいてある程度覚悟したうえで自分はどっちを優先するのか決めなくてはいけません。


これらに対して作られて200年以上経ったような古い楽器の中には、これらの相反する要素をいくらか両立できる楽器があると思います。
このような楽器は大変高価です。


私たち職人はこの矛盾に対して取り組む必要があります。
有名な例はチェロのC,G線に硬い音の弦を張りD,A線に柔らかい音の弦を張る方法でチェロを弾く人にはおなじみかもしれません。
ただ意味も分からず、有名な演奏者がそうしているからと真似しているだけの人もいるかもしれませんが…


私は、高い音の美しさに焦点を当てた楽器を作り低い音はある程度あきらめるのが良いと思います。
特に新しい楽器の場合、弾き込みによって全体的に音が強くなってくると高音が耳障りになってきます。
低音の弱さは弾き込みによって改善してくるからです。

演奏者によって音が違う

これも改めて知っておくべきことです。

未熟な演奏者が人によって音が違うのは当然弓の使い方が未熟だからということも原因します。
しかし上級者であったとしても皆が同じ音を出すわけではありません。

また楽器はそれぞれ最適の弓の加減が違います。

私の楽器を使っている人は、私が新しい楽器を作って試しに弾いてもらうとすっと弾きこなしますが、違うタイプの楽器を使っている人が私の楽器を弾いてもなかなか弾きこなせません。
また、300年前の名器を試しに弾いても今使っている楽器とギャップが大きければうまく音が出せません。

非常に癖の強い楽器でも長年使っているとうまく弾きこなす人がいます。
他のだれが弾いてもどうしようもない耳障りな音の楽器でも所有者が引くと柔らかい音がしたりします。

表板や裏板が大きく膨らんでいる高いアーチの古い名器を使っているあるソリストの人は私が同様に古い楽器を模して作った楽器を「音が良い」と大変気にいってくれましたが、一般的には弾きこなせない人が多いです。

楽器を選ぶときに難しいのは今使っている楽器にタイプが近ければ音が出しやすく、いくら優れたものでもタイプが大きく違えば音が出しにくいわけです。


恐ろしいことに最初に手にした楽器がその人の楽器選びに大きな影響を与えてしまうということです。
安価で粗悪な楽器を使っていたならば高価な楽器を購入するときに試奏して気に入った楽器が、値段が高いだけで同じように粗悪な楽器かもしれません。


新しい量産楽器を使っていた人がステップアップするのに、古い量産品か新しいハンドメイドの楽器かは迷うところです。
即戦力では古い量産品のほうが良く感じられるかもしれません。
しかし、新品でも良質なハンドメイドの楽器では簡単に音は出なくても、作りの良い古い楽器と音の出し方が似ています。
そのため十分弾きこなせるようになれば、さらに高価な楽器にステップアップするときに楽器選びで良い物を選びやすくなると思います。

もちろんそこまでお金が無くても十分弾きこなせるようになればその時点で良い音が出ているわけです。
良質な新しい楽器のメリットはこのようです。

売れる楽器と理想の楽器

楽器を購入する決定権を持っているのは演奏者自身だとすれば売れる楽器は耳元で鳴り、手にしてすぐ強い音がする楽器ということになります。

それは当たり前のことで、私もそのような期待に応えるために研究しています。


逆に遠鳴りする耳元では弱い楽器も、弾き込んでいったり古くなったりすることで耳元でも強く感じられるようになっていくことが多いです。
初めから強い音がする楽器はさらに音が強くなるともはや耳障りな音になっていきます。

新しい楽器では柔らかすぎて弱く聞こえるような楽器のほうがそうなったときは理想的なわけです。


私が改良を目指しているのは、遠鳴りを犠牲にすることなく将来耳障りになることなくいくらか耳元でも手ごたえを感じられるようにすることです。

とても難しい課題で、たとえばいずれ交換したり修理するところに工夫をして新しいうちでも耳元で手ごたえを感じられるようにすることが考えられます。

そのような研究を5年くらいやっていて私が過去に作った楽器を使っている人には、成果を認めてもらっています。
しかしながら、他の無数の楽器を圧倒するほどの成果にはなっていません。

もし何十年研究して成果があったとしても新品の状態で平凡な100年以上前の楽器を圧倒することは難しいでしょう。

何か研究して「画期的に音が良くなる方法を発見した」とか「ストラディバリの音を超えた」とか自信過剰な職人もいますが、私は結果に対して謙虚になる必要があると思います。
20世紀以降画期的な方法が生み出されて世界の弦楽器製作の歴史が変わった例はありません。





<あとがき>
音については人それぞれこだわりがあると思います。
演奏の腕に自信のある職人は自分が弾いた音だけで判断してしまいがちです。
職人というものは、聴く側の立場で演奏者の弾く音を聴き、また演奏者の意見も聞くことで総合的に楽器の音を判断していく必要があると思います。
それがプロフェッショナルだと思います。



次回は、弦楽器は趣味で人に聴かせるなんてたいそうなことはできないという人にも、趣味として楽しむ方法を考えていきます。