リアルでの会話は双方向性があるけど、メールではそうではないよね。
そのはずなんだよ、きっと。
受信者が自由に裁定できるわけで、必ずしも双方向性でなければならない理由はないよね。
よく言われることだけど。
ミクシィとかアメブロとかニコニコの生放送とかあてはまる。
別にコミニティーを作るのは双方向性があるのとほぼいっしょなきがする。
自分でも何を言いたいのかわかってなくて、なら書かなければいいだけの話なのだけれども、書かずにはいられないという何ともわがままな。
一方的に見たい。
これが俺のネットの考え。
とりあえず今は。とりあえずね。
今は一方的に見たいし、見られたい。
ねっとはどっちもいけるからいいな。
話が変わって、リア充という言葉の認知度って結構高いよね。
結構ネット用語とかは割かし最近、浪人中に知ったんだけど、それまではリアでもないし、ネットでもない、ただ宙ぶらりんに生活していて、でも最近思うのは、リア充という言葉が死につつあるんじゃないかってこと。
具体的にどういうことか?って僕のおつむじゃ説明できないけれど、ただ純粋にそう思う。
境界線がなくなりつつあるのでは?
僕が最近ネットにはまっているからそういう考えに至ったのではなく、ただ純粋に感じただけ。
深める肉付けは何もない。
討論は面白いね。
そういう類のもの好きって結構いると思う。
ニコニコ動画面白い。
今日はずっとひろゆき関係の動画見てたけど、面白いわ。
脳の知的な部分が刺激される気がする。
まぁ知的という表現はふさわしくないけ気もするけど。
しゃべり場とかも好きだったな。
討論したい人はかなりの数いると思うな。
でもそれを表に出さない今の人々。
昔の学生は盛んに議論していたという。
昔っていつだよって感じだけど。
でも、今度誰かにふっかけてみようかな。 優しさはせめぎ合いのなかで出てくるもんだろ。
温かさにある優しさに嫌気が差してきた今日この頃。
みんなやさしいな、ホント。
やさしさの笑いで溢れてる。
言ってみれば、みんな笑ってあげている感じ。
話変わって、やっぱ現状打破するには、くよくよ考えないでとりあえず行動することが大切なんだろうけど、何をしたらよいのかわからない。
指示待ち人間なんだよな、俺は。
そういう教育を受けてきましたゆとり世代です。
閉塞感はいつの時代もあった。
結局何もかわらない。
どう楽しむか。
でも俺は何が楽しいの?
無邪気になれるものは何?
ごめちょふ。