ネジが緩んでしまった。
その場所も時間もわからない。ただ緩んでしまったという感覚だけはわかる。
音を立て一気に壊れたわけではない。ガン細胞が体を徐々に蝕んでいく。緩んだ場所からじわじわと悪性の何かが体を侵食していった。その何かを知るため、そして、その何かを消し去るために何かをしなければならなくなった。何か何か何か。
何かという言葉の持つ曖昧さを、都合良く利用してきた。何かとは何か。
曖昧さの中に含蓄があるように錯覚させてしまう。
蓋を開ける事ができない、誰も中身を知らない箱の中に閉じ込められたものは、ある何かではなく、僕自身なのかもしれない。
この箱の中から脱出しなければ、何かかから永遠に逃れる事はできないのかもしれない。
何かには実体がない。それ故捉える事はできない。捉えたつもりになる人は数多くいる。その人達は、プールの中で水を手に汲んではしゃぐ子供たちのように無邪気なのだ。無邪気さを否定するわけではない。否定しているのはプールサイドに立つ傍観者だ。

どうすれば口下手を克服できるのか。難しいです。

・相手の気持ちを考える

・伝えたい要点を確実に把握する

・話の意図を正確に把握する

・物事を正確に理解する(理解したつもりにならない)

・自信持つ

・話のまとまりを意識する→優先順位、構造を意識する


話し上手になるための努力を怠ってきたからできない。意識的に取り組むことで克服していこう。

あと本読もう。大学生なのに読んでない、まずいよこれ。

コツコツといきましょう、ポジティブに。

マック赤坂ですよ、目指すところは。

自分勝手になりつつある。
最近、自分本位の思考になりつつある気がする。まるで理不尽なおっさんのように。
こんな事は以前はあまりなかった気がする。
駅の狭いホームや、狭い道路で俺の前をちんたらと歩く人に対してイラつくということ。
しかも時間に追われているわけじゃないのにもかかわらず。
どうしたんだい?いったい。
広い、ゆとりある心の状態でいたいと
思う今日この頃。

ある一定のプロセス、手順を踏んである答えにたどり着く事は難しい。
ある答えが浮かんで、その答えに対し、そこまでにたどり着くプロセスや手順を論理的に肉付けしていく事も難しい。
とりあえず表現力が欲しい。頭の中の漠然とした物を形にする、言語化していく事が苦手です。
そんな能力を身につけたい。