皆様こんにちは
お節介な神戸の母 小西杜未子です
昨日のブログ読んで頂きましてありがとうございます。
はじめての方はお越しいただきありがとうございます。
波乱万丈の人生パート2です。
その後、不動産会社と再契約を交わし、お好み焼き屋を再開しました。
当時の借金は、業者との売掛金を合わせて800万。
不安しかありませんでしたが、私の思いとは裏腹に再開の滑り出しは上々でした。近くに競合店も無く、団体様によく利用してもらっていたこともあり、売り上げは順調に上がっていきました。
お店がうまく回り始めたこの頃、現在の主人と出会い、お付き合いが始まりました。
3年間程付き合った頃に妊娠、結婚。普通の幸せが待っていると思いきや、これが更なる悲劇の始まりでした。
結婚後、主人から、主人の親と同居してほしいとの申し出がありました。新居の家賃がもったいないな、と言う思いもあり承諾しました。
新婚旅行から帰り、義両親との同居が始まりました。
優しいお義父さんとお義母さんなので上手くやっていけると思っていたのですが、
お義父さんはアルコール依存症でした。毎日昼からお酒を飲み、酔うとお義母さんに暴力をふるい、食器が割れ、それを私が止める・・・の毎日が始まりました。しかし主人は私をかばうことはなく、主人までもが私に暴力を振るうようになっていったのです。
加えて、お義母さんからも意地悪をされるようになりました。
何でこんな家に嫁いだのか・・・
私は、何故こんな人を選んだのか、毎日泣いて後悔の日々を送っていました。
悪い事は続き、更なる悲劇が私を襲います。最初の子どもを流産。
ストレスから過呼吸、不整脈、体の蕁麻疹と次から次へと体調がおかしくなり、
もうこの人と離婚しようと思った時に、妊娠が発覚。この時は実家に帰り、無事に出産する事が出来ましたが
体調は戻らず更にひどさを増していきました。
お店の営業、義両親との同居のストレス、子育て、体の異変、そのころからうつになり、もう心も身体もボロボロでした。
私の母がひどい状態の私を見るに見かねて、私と子供を引取りに来ましたが、主人は「子供を置いて、一人で出ていけ」の一点張り。
子供を置いて出て行けない私は、もう一度やり直すべく、義両親との同居を解消し、マンションを借りて主人、子どもの3人で住みはじめました。
そしてマンションに引っ越す当日、荷物を運んでいる時に、主人が交通事故にあいます。幸いけがは浅かったのですが、記憶喪失になり、2か月間の入院を余儀なくされます。
そして私自身も、新しい家に引っ越してから1か月位経った頃、ひどい腹痛に襲われます。病院に行くと緊急入院、
卵巣嚢腫で手術をすることに。
これだけの事が続くと、人は生きる力、ましてや自分の夢、自由な時間が欲しいとか
自分のやりたい事やしたい事が何なのか、なんて考える余裕もありません。
わたしの人生、ここから毎日死ぬことばかりを考え始まます。
そして「明日死のう」と思ったその夜、夢で私の母方のおじいさんとの会話により、人生の復活がはじまります。