こんにちは、元ギャンブル&アルコール依存症者ガネーシャです
自分に起こることは
すべて自分によいことだと認識しなさい
とインド哲学は教えている。
「起こることは何であれ、本人にとってよいことです」
と王様に教える大臣がいました。
あるとき、王様はサトウキビを薄く切っていて、自分の指を切ってしまいました。
大臣は
「指が切れたのは王様にとってよいことです」
と言いました。
王様は大変怒って、大臣を牢屋へ入れました。
大臣は
「自分が牢屋に入れられたことはよいことです」
と言いました。
王様は狩りに出かけました。
王様が森の中の木の下で休んでいると、その森の部族たちが、部族の神さまへ生けにえにするために、王様を捕まえました。
あわや首を落とされようというとき、王様の指が傷ついていることがわかりました。欠陥がある人間を生けにえとして捧げることはできません。
王様は解放されました。
王様は大臣の言葉を思い出しました。
指に怪我をしたおかげで、自分は助かったのだと悟りました。
王様は牢屋へ向い、大臣に、なぜ大臣が牢屋に入れられたことがよいことだと言ったのか、たずねました。
大臣は
「もし自分が牢屋に閉じ込められなかったら、きっと自分は王様と狩りへ行き、王様の代わりにとらえられて生けにえに選ばれていたことでしょう」
と言いました。
この話の教訓は、人は起こることの一切を、自分にとってよいことだと考えて、歓迎できるようになるべきだ、ということです。
この真理に気づくことが、神の恩寵を得る方法です。
きっと、僕がギャンブルや酒に溺れたりしたことも、自分にとってよいことだったのだ、と考えよう