ギャンブル借金438万円を任意整理した

アラフィフ元依存症者ガネーシャですゾウ

アルコール依存から回復中アセアセ

47歳からの人生を模索中炎

 

 

仮面夫婦状態の奥さんと、ひたすら衝突を避けていた。

借金の負い目があり、何をいわれようが自分がつねに折れていた。

しかし、ユング心理学者の故 河合隼雄先生に教えられ、あえて衝突を避けることを止めてみた。

 

 

河合先生は、こんな話をしている。

正確にはぜひ先生の著書を読んでください!!

 

たとえば、自分が高校の教師だとする。

校内でタバコを吸っている生徒を見かけた。

そのときどうするか。

①規則に従い、職員会議に報告、生徒は処罰を受けてケリがつく

②面倒を恐れて知らんぷりする

①は校則に従い、②は校則を破ってはいるが、面倒なことを避けるという、一種の一般法則にしたがっている。つまり、どちらの場合もある種の一般法則が生きているだけで先生の「個人」は生きていない。

 

これに対して、生徒のそばへ行き、単にタバコを禁止するのではなく、話を聴くとするとどうなるか。生徒は卒業前に処罰されると、就職がダメになるから、今回だけは見逃してという。

③反省しているようだし、今回は見逃すことにする

この場合は、①②の場合より少し「個人」の決定がはいっている。しかし、

④生徒の気持ちはわかるが、やはり校則は大切だ

そう考えると、教師は葛藤状況に立たされ、簡単に答えは出てこない。

 

河合先生はいう。

あらゆる創造は葛藤に耐え、それを抱きかかえていることから生まれてくるのではなかろうか。

教師がその葛藤状況から、その生徒に対して、その場でもっとも適切な答を見出せたとき、それはひとつの創造と言っていいのではなかろうか。簡単な原則によって説明できない「個」のはたらきがそこに認められるからである。

「面倒なことは避ける」態度からは創造はでてこない。同じ生活を繰り返しているに過ぎないし、近づいてくる死を待っているに過ぎない、ということになる。

 

衝突を避けるのは、ある意味簡単だけど、それでは本当に自分の人生を生きていることにならないと教えてもらった。

 

河合先生語録

自分の人生こそが作品であり、それをかけがえのないものとするための努力がいる

 

今日一日を素晴らしい一日に照れ

 

 

 


人生が変わる一冊