ギャンブル依存症から回復し続けて8年。
パチスロをして借金するよりは、酒を飲んで家で寝ているほうがまし、
とのことで容認(?)してきたアルコールですが、
今ではアルコール依存症とも向きあうことになっています。
ギャンブル依存からアルコール依存という、
依存症の袋小路からの脱出についてぼんやり考えている時に、
故 河合隼雄先生の「ナバホへの旅 たましいの風景」を手にしました。
依存症は「本当の問題からの回避の結果、起こっている」といわれますが、
まさにそのことについて、飛び込んできた文章を
私の備忘録として書き込みます。
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ナバホへの旅 たましいの風景
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アルコール依存症の治療はなかなか困難である。
私にも本人やその家族に面接を続けた例があるが、
確かにそれは難しい。
よくなったと思っても再発がある。
薬物依存がよくなったと思っていたら、
アルコール依存になっていた、ということもある。
よくなった人たちは、私のお会いした人たちに限って言えば、
相当に深い体験をし、危険を克服していった人たちで、
それは長い道程であった。
後にも論じるように、それは「酒を飲まない」強い意志をもつ、
などという次元とは、まったく異なるものであった。
端的に言えば、これほど難しく苦しい道を歩むほどなら、
アルコール依存でいる方がまだ楽だ、
と言えるほどのものであった。
この問題の根深さを強く感じさせられることであった。
「アルコール依存症の問題の中核は、宗教性にある」
とは、C・G・ユングの言葉である。
この言葉が契機になって、
AA協会(アルコール・アナニマス)が設立されたと聞いているが、
確かにこれは意味深い言葉である。
ユングの言葉は、何かの宗教を信ずれば、アルコール依存症が治る、
などと言っているのではなく、
人間存在についての根源的な問いに答えようと努力することを、
宗教性と呼んでいる、と考えるべきだろう。
そんな問いにはほとんど意味を感じないという人もあるし、
ある程度のところで適当に答えを見いだしている人もあるし、
上手にごまかしている人もある。
しかし、人間のなかには、
この問いから逃れられない人もある。
と言って、答えが簡単に見つかるはずがない。
そこから逃れたり、あるいは答えが見つかったかのように瞬間的に感じたりするには、
アルコールはもってこいのものである。
河合先生がアルコール依存について書かれていること、
ユングの「アルコール依存症の問題の中核は、宗教性にある」という言葉、
今の私には難しい言葉ですが、
考えてみたいと思います。
