考えてみると、私は「死」を考えないようにするために、

 

パチンコやパチスロに依存していたのかもしれません。

 

 

大学生の頃、自分が死んだ後、存在が消えてなくなってしまうと

 

考えると、夜眠るときに恐ろしくなりました。

 

パチンコにはまりだしたのもこの頃です。

 

パチンコをしている間は、「死」について考えませんでした。

 

 

15年間、パチンコ・パチスロに依存して、

 

「死」について考えてきませんでした

 

だけど、消費者金融の借金が返せなくなり、

 

再び「死」について考える機会を得ました。

 

 

もしかすると、私がパチスロ依存症から回復できたきっかけは、

 

「死」に対して向き合ったこと、

 

大学生の頃に考えていた、存在が消えてなくなる「死」ではなく、

 

「死」は「肉体」について起こる現象であり、

 

「魂」は死なないという考え方を自分の中で支持したこと

 

かも知れないと思うようになりました。

 

「問題は自分の外にあると考えるならば、

 

その考えこそ問題である」

 

といわれるように、

 

私は依存症を自分自身で創り出していたのかもしれません。