自己紹介その2 | 建築とアルファロメオとツエーゲン金沢と

自己紹介その2

大学を卒業してから、東京の設計事務所で働かせていただきました。

大学では建築ではなく都市計画を勉強していたのですが、設計事務所への就職を希望しました。
バブル真っ盛りの頃でしたので、研究室にきている求人は一流企業の待遇もいいものばかりでしたが
建築、デザインをやりたい気持ちが強く、待遇が見劣りしますが、自分で建築雑誌を見てアトリエ系の
事務所へ問い合わせして、当時アバンギャルドな建築をデザインする事務所に内諾を受けました。

ちょうどその頃、大学の就職担当の教授と就職について面談したとき、私の夢を理解してくれ、
『君の10年後が楽しみだ』『君のような学生がこの大学にいてうれしい』
と言ってくれ、日本大学理工学部建築学科のO先生を
紹介してくれました。早速、アポイントをとり先生に会いにいきましたら、
『建築学科に入り勉強してから、社会に出なさい。』
と言われました。でも、
『1年で建築学科を出た人間を追い抜きます』
ほぼ、はったりのようなことを言って引き下がらなかったら、
『いままでどこの事務所に面接に行きましたか』
と聞かれ、何社か言いましたら、そのうちの
武蔵野美術大学の教授の三輪正弘先生とは知り合いとのことで、
『よく言っておきます』
と言われました。
そしたら、翌日、三輪先生の事務所から会いたいと連絡があり、
早速、事務所に行きましたら、就職が決まっていました。
自分にとっては、非常にラッキーで、同期で入った他の3人のうち
2人は武蔵野美術大学でとても優秀な人で、
もう一人は高い倍率のところを一人だけ合格したひとでした。
運命は自分で切り開くものでもありますが、いろんな方のおかげで
自分の夢が叶っていくものだと感じました。

大学を卒業して、建築設計の仕事をがんばって、4年がたったとき
自分を『君の10年後が楽しみだ』と言ってくれた教授が亡くなりました。

10年経ったら、
『僕はここまでがんばりました。これからも先生の期待に応えられるようにがんばります。』
と報告しようと、あえて会いにいかなかったのです。
亡くなった事を知ったとき、感謝の気持ちときちんとお礼を言っていなかった事への後悔で
号泣してしまいました。(今、この文章を書いていても涙が出てきます。)
葬儀に参列して、今までの報告と、今後の意気込みを誓ってきました。

O先生とも年賀状でやり取りをさせていただき、
私が1級建築士をとった事を報告すると、
『よくがんばりましたね。君のような例はまれです。今後、精進してください』
と言ってくれました。

O先生との話で、自分に建築学科ではないという、コンプレックスができたのですが、
そのおかげで、人一倍がんばれ、優秀なスタッフがいる事務所でも、1年目から
プロジェクトをまかされるようになれたと思います。

今日はこのへんで、また書きます。