戦後77年目を迎え、7月下旬に石川県、お盆に寺井町(=地元町内)、そして昨日は能美市の戦没者慰霊式・追悼法要が催され、先日に和田山忠霊塔を訪ねた。

当初の能美市慰霊式は、8月5日に開催の予定であったが、前日の豪雨から順延開催...式辞で英霊へ哀悼の誠を捧げた後、法要挨拶では豪雨被害のお見舞いを申し上げ、英霊に復旧を誓った。
 

 

 

 

 

昨日、所要のため飛行機で上京...都内へ向かう途中に「夜遅くから明日朝に掛け非常に強い雨が降る予報」旨の連絡を受け、急きょ所要を前倒し、雷の影響を受けそうな空便から鉄路に変更して帰郷。

市内3か所に避難所を設置し、6町に「高齢者等避難」を発令して大雨と土砂災害に備えた...一夜明け、予報された程の雨量もなく安堵も束の間、今後の荒天に警戒する。  

 

 

 

 

 

 

豪雨被害の大きかった地区の復旧に一定の目処が立ったことから、同地区に設置した「ボランティア受付センター」を先週11日に一時休止することにしたところ、住民皆さんから御礼を伝えたいとの申し出があり、代表して町会長から謝意を賜った...これを受け、自らも被災しながら陣頭指揮に当たった町会長へ返礼、住民皆さまへの激励を込め、全員で拍手して復興を誓った。

先週12日から庁舎内に、被害相談や申告などを一括して受け付ける「災害手続きワンストップ窓口」を設置...市内を流れる清らかな用水は10日以上経っても濁っており豪雨の規模を察し、終戦記念日には半旗を掲げ黙祷を捧げた。

 

 

 

 

 

お盆には、「母実家」「良く遊んでくれたダンディーな叔父」「綺麗で優しかった叔母」の墓も訪ねる...母は2弟1妹の長姉で、当時の盆休みには夫々家族も含め総勢20名が集い、夕食や花火を楽しんだ。

初孫でもあった小生は、造り酒屋を営む母実家へ能美電(=北陸鉄道能美線)に乗って訪ねると、駅で祖母が待ち「ちぶてもん(=アイスキャンディ)」を買ってくれ、祖父は頬ずりした小生を小脇に抱え酒蔵を廻った...「ダンディーな叔父」はスキー、「綺麗な叔母」は小生の入院見舞いなど数々の思い出があり、双方とも40歳代で亡くなってしまい寂しく辛い時期もあった。

もう一人の「敬愛する叔父」は、酒蔵を後継した後に、辰口町教育長~助役~町長を歴任し、小生の人生すべての岐路を指導・支援してくれ、一緒の酒宴が楽しみとなっている...今年は祖父没49回忌(1974.8.18)を迎え、祖先・先代に感謝である。
 

 

 

 

 

 

 

今年は、2月に他界した父の「初盆」を迎え、墓石に法名を記し、近所の寺院を訪ね永代経を賜った...結菜&陽大もお手伝いしてプチBBQを味わい、息子3人はオセロゲームに没頭するなど家族団らんを過ごした♪