私をゆるします。 | IDDM(一型糖尿病)・ipocoの暮らし

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こんにちは。ipocoです。


本日のテーマは、
怒りのイポニャンコをゆるす。」です。


図書館に行って、本棚の間を適当に歩き、適当にタイトルを眺めていたら「ゆるすということ」というタイトルの、薄い文庫本がありました。


タイトルの通り、これは「ゆるし」について書かれた本です。


自分の中にある怒りの対象をゆるすには…という内容でした。


…。


その本を手に取ったのは私自身が、何かをゆるしたい、どうしたらゆるせるのだろう…と思ってたからかもしれません。

そこで、試しにその本を借りて、じっくり読んでみました。


この本では、最初に「ゆるせない」と思ってるもの…をノートなどに書き出してみるよう書かれていたので、私も考えてみました。 


私は何をゆるせないのだろう?
人なのか、物事なのか?
私はしばらく考え、やがて気がつきました。


私がゆるしていなかったもの…
私の本当の怒りの対象…

それは、他人ではなく私自身でした。
私は病気の自分をゆるせなかったのです。

うまく体を管理できないことについて、怒りと苛立ちを感じていました。

血糖値を250にした自分がゆるせない。
血糖値を50にした自分がゆるせない。
ヘモグロビンが上がった自分がゆるせない。
それなのにそれを繰り返してしまう、
頭の悪い自分が情けなくてゆるせない。


なにしろ、私は30年近い病歴の患者です。
つまり、それだけの年数、失敗するたびに延々と自分を裁き、責め続けてきたわけです。


…積もり積もって、相当くるしい。


それを考えたら、喉をゆっくりとやわらかいもので押されるような感覚が、再び湧いてくるのを感じました。病気と共に生きてきた長い年月と、数々の失敗や苦悩や悲しみが思い出され、そこにはいつも、思い通りにならないことへの怒りがあったことが思い出されました。


私は、完璧でない自分を責め続けていたことに気がつきました。他人のことは「人は完璧ではない」と思えても、自分のことはゆるしていなかったのです。



ゆるすということは、もう起こしてしまったことについて責め続けるのはやめるということであり、完璧でなくても愛するということです。


だから、これからもなんとか上手くコントロールしていこうと、常に努力し続けることは変わらないのですが、

その上で、今後も確実に繰り返し起こすであろう高血糖や低血糖、あるいは起こったり進行していくかもしれない合併症について、そうなった時に防げなかった自分を、ゆるしてよいのだということがわかりました。


腹立たしいことをたくさんした家族のことを、愛情をもってゆるしてきたのと同じように、自分のことをゆるし、もっと大事にしようと思いました。



私は、
不出来な自分をゆるします。

全く完璧でない失敗だらけの人生をゆるし、
病気の苦悩だらけの人生をゆるします。 

そうして、この先も死ぬまで、日々ゆるし続ける努力をします。


あなたも、苦しいときは自分をゆるしてあげてください。自分を大切にしてあげてください。