クラウドアトラスという映画では、様々な人の人間模様が描かれました。
さて、ここには、二つのタイプの人々が出てきました。
他人の自由を奪っても、自分の権力が欲しい人々。
そして、自由を奪われながらも、自分を探し、本当の意味での自由を見つけようとする人々。
その二極性です。
私は、孟子のように「性善説」を信じていますが……。
彼は、四端の心と唱えました。
それは、あらゆる人に善の兆しが先天的に備わっているとする説です。
・惻隠 …… 他者の苦境を見過ごせない「忍びざる心」(憐れみの心)
・羞悪 …… 不正を羞恥する心
・辞譲 …… 謙譲の心
・是非 …… 善悪を分別する心
明らかに、クラウドアトラスの、トム・ハンクスやハル・ベリーはこちらですね。
紆余曲折はありましたが、最終的には、この境地に達しました。
一方で、荀子は「性悪説」を説きました。
「人の性は悪なり、その善なるものは偽なり」です。
ここでの悪は、「(人間は様々な意味で)弱い存在」という程度の意味と考える人もいます。
でも、キリスト教ではどうでしょうか?
人間は、エデンの園で犯した罪(原罪)を、子々孫々まで引きずっているんです。
イエスは「汝の罪許された」って言ったはずなんですけど……。
さて、もっと簡単に書きます。
二人の人がいました。
地位も学歴も同じだったとしましょう。
でも、あるとき、一人が出世して上司になりました。
さあ、何が起こるのでしょうか?
まさに、半沢直樹のような状態になります。
ユングはペルソナという表現を使いました。
ペルソナとは、自己の外的側面です。
例えば、周囲に適応するあまり硬い仮面を被ってしまうなんて表現で説明されます。
何度も書いてきたガラスの仮面ですね。
でも、これって、起こりやすいんです。
お医者さんは、白衣を着たらなんとなく医療従事者に見えます。
公務員は公務員に。
料理人は料理人に。
肩書きを貰うとそれらしく……。
当然、普通の社会ではこれがプラスに働きます。
でも、そうでないこともあるんです。
心理学者フィリップ・ジンバルドーは、1971年、アメリカ・スタンフォード大学心理学部でこんな実験をしました。
普通の人が特殊な肩書きや地位を与えられると、その役割に合わせて行動してしまう事を証明しようとしたんですね。
まさに、この今書いているブログのテーマそのものです。
彼は、模型の刑務所(実験監獄)を作りました。
スタンフォード大学地下実験室を改造しただけで、もちろん本物ではありません。
そこに、新聞広告などで普通の大学生など被験者21人を集めました。
その21人を、11人を看守役に、10人を受刑者役にグループ分けました。
それだけです。
ほんとうに、たったそれだけなんです。
そして、その役割を演じさせました。
と、時間が経つに連れ、看守役の被験者はより看守らしく、受刑者役の被験者はより受刑者らしい行動をとるようになったんですね。
でも、二週間の予定の実験は、たった6日で中止されました。
あまりにも極端な危険性のある結果になってしまったからです。
実際に、このテーマで映画も作られました。
・2001年のドイツ映画『es [エス]』
・2010年のアメリカ映画『エクスペリメント』
そして、こんな結果になりました。
◎権力への服従
強い権力を与えられた人間と力を持たない人間が、
狭い空間で常に一緒にいると、
次第に理性の歯止めが利かなくなり、暴走してしまう。
◎非個人化
元々の性格とは関係なく、
役割を与えられただけでそのような状態に陥ってしまう。
あれ、身近なところで感じていませんか?
肩書きを与えられると、「偉くなった」ような気がします。
と、そこから行動します。
・後輩が出来た歯科衛生士さん
・院長になって、歯科衛生さんをやとった
あれあれ。
だから、ご用心ご用心なんです。
「あなたの心にご用心」
そのためのブログなんですよ(笑)。
さて、ここには、二つのタイプの人々が出てきました。
他人の自由を奪っても、自分の権力が欲しい人々。
そして、自由を奪われながらも、自分を探し、本当の意味での自由を見つけようとする人々。
その二極性です。
私は、孟子のように「性善説」を信じていますが……。
彼は、四端の心と唱えました。
それは、あらゆる人に善の兆しが先天的に備わっているとする説です。
・惻隠 …… 他者の苦境を見過ごせない「忍びざる心」(憐れみの心)
・羞悪 …… 不正を羞恥する心
・辞譲 …… 謙譲の心
・是非 …… 善悪を分別する心
明らかに、クラウドアトラスの、トム・ハンクスやハル・ベリーはこちらですね。
紆余曲折はありましたが、最終的には、この境地に達しました。
一方で、荀子は「性悪説」を説きました。
「人の性は悪なり、その善なるものは偽なり」です。
ここでの悪は、「(人間は様々な意味で)弱い存在」という程度の意味と考える人もいます。
でも、キリスト教ではどうでしょうか?
人間は、エデンの園で犯した罪(原罪)を、子々孫々まで引きずっているんです。
イエスは「汝の罪許された」って言ったはずなんですけど……。
さて、もっと簡単に書きます。
二人の人がいました。
地位も学歴も同じだったとしましょう。
でも、あるとき、一人が出世して上司になりました。
さあ、何が起こるのでしょうか?
まさに、半沢直樹のような状態になります。
ユングはペルソナという表現を使いました。
ペルソナとは、自己の外的側面です。
例えば、周囲に適応するあまり硬い仮面を被ってしまうなんて表現で説明されます。
何度も書いてきたガラスの仮面ですね。
でも、これって、起こりやすいんです。
お医者さんは、白衣を着たらなんとなく医療従事者に見えます。
公務員は公務員に。
料理人は料理人に。
肩書きを貰うとそれらしく……。
当然、普通の社会ではこれがプラスに働きます。
でも、そうでないこともあるんです。
心理学者フィリップ・ジンバルドーは、1971年、アメリカ・スタンフォード大学心理学部でこんな実験をしました。
普通の人が特殊な肩書きや地位を与えられると、その役割に合わせて行動してしまう事を証明しようとしたんですね。
まさに、この今書いているブログのテーマそのものです。
彼は、模型の刑務所(実験監獄)を作りました。
スタンフォード大学地下実験室を改造しただけで、もちろん本物ではありません。
そこに、新聞広告などで普通の大学生など被験者21人を集めました。
その21人を、11人を看守役に、10人を受刑者役にグループ分けました。
それだけです。
ほんとうに、たったそれだけなんです。
そして、その役割を演じさせました。
と、時間が経つに連れ、看守役の被験者はより看守らしく、受刑者役の被験者はより受刑者らしい行動をとるようになったんですね。
でも、二週間の予定の実験は、たった6日で中止されました。
あまりにも極端な危険性のある結果になってしまったからです。
実際に、このテーマで映画も作られました。
・2001年のドイツ映画『es [エス]』
・2010年のアメリカ映画『エクスペリメント』
そして、こんな結果になりました。
◎権力への服従
強い権力を与えられた人間と力を持たない人間が、
狭い空間で常に一緒にいると、
次第に理性の歯止めが利かなくなり、暴走してしまう。
◎非個人化
元々の性格とは関係なく、
役割を与えられただけでそのような状態に陥ってしまう。
あれ、身近なところで感じていませんか?
肩書きを与えられると、「偉くなった」ような気がします。
と、そこから行動します。
・後輩が出来た歯科衛生士さん
・院長になって、歯科衛生さんをやとった
あれあれ。
だから、ご用心ご用心なんです。
「あなたの心にご用心」
そのためのブログなんですよ(笑)。