先日、舞台を映画化したアンドリュー・ロイド・ウェーバーの<ジーザークライストスーパースター>を見ながら考えていました。
伝えることの難しさです。
ミュージカルの中で、ジーザークライスト=イエス・キリストは考えます。
せっかく良いことを学んだ。
これを、みんなに伝えたい。
でも、伝わりません。
ユダは、「あなたのやり方は間違っている」と、裏切ります。
弟子の一人なのに、捕まりそうになると、イエスのことは「知らない」なんて言ってしまいます。
実際に、ビデオも録音も出来ない、ネットもない時代に、伝え聞いた言葉だけで、彼の言葉はどこまでみんなに伝わったのでしょうか……。
解釈の違いで、沢山の宗派があります。
手塚治虫さんの<ブッダ>を読んでいても、言葉や気持ちの伝わらないブッダが、悶々としているシーンが描かれています。
でも、どれくらい伝わったのでしょうか?
仏教だって、大乗仏教に小乗仏教、日本にだって、中国から持ち帰った(って、サンスクリットを中国語の漢字に直して、さらに、日本語に翻訳した……)僧によって、みんな、違う宗派になっています(汗)。
まず、伝えると言うこと。
これは、伝える側の意志です。
無理矢理伝えることは、もちろん、できます。
でも、それが、相手に理解されたのかは全く別の問題です。
命令や禁止など、強制しても駄目なことは、孫子の兵法の逸話で書いてきました。
さあ、伝える側の意志が出てしまうことは<説得>と言います。
相手のことは考えていません。
相手が、受け入れて、<納得>してくれるまでは、大事な条件があるのですね。
それは、相手が聴きたいと思っていること。
相手が、知りたいと思っていること。
相手が、変わりたいと思っていること。
聴きたくないのに、聴かせることが出来ません。
知りたくないのに、教えることも出来ません。
変わりたくないのに、変える事なんて絶対に出来ません。
だって、私たち自身もそうだからです。
だいたい、多くの人は、自分のことを放っておいて、他人には無理強いをしてしまいます。
受け入れるためには、レセプターが必要なんですね。
受け入れるためには、受容体が必要なんですね。
私たち自身もそうでした。
さあ、では、どうすれば伝わるんでしょうか?
答えは、<待つ>です。
答えは、<置いておく>です。
情報を受け入れるには、タイミングがあります。
その人が、欲しいと思わなければなりません。
その人が、自分に足りない部分があると気がつかなくてはなりません。
だから、それまでじーっと待つんです。
だから、その時に、欲しい情報がすぐに手に入る用に、そっとアイテムを置いておくんです。
もちろん、その相手の成長に合わせて、ぴったりの情報を用意しておかなくてはなりませんから、テクニックも必要ですよ。
でも、もし、イエス・キリストやブッダが現代に生きていたらどうなるんでしょうね。
情報は、リアルタイムに、客観的に世界に広がります。
それを見た人は、他の情報と見比べて、自分に必要な情報かどうか判断することが出来ます。
面白そうですね。
もちろん、このお二人は、2000年も前に、私たちに必要なアイテムを置いておいてくれたんですが(笑)。