さあ、あなたの選択の結果の責任は誰にあるのでしょうか?
 自由の責任はだれにあるのでしょうか?
山田隆文の歯医者さん日記

 ちょっと、待って!

 人のせいなんて言ってませんね?
 誰かのせいなんて言ってませんね?

 ドラえもんのジャイアンじゃないんですから、
 「人のものは俺のもの、俺のものは俺のもの」では困ります。
 「うまくいったら、俺のおかげ、
  失敗したら、おまえが悪い」でも、困ります。

 でも、そこに、私たちの陥りやすいヒューリスティクスがあります。

 選択をします。
 もし、うまくいったら、自分の責任。
 失敗したら、自分とは別の処に、何か、問題があったに違いない。

 人は、ついつい、そう思ってしまいます。

 だって、いつもいつも、そんな話ばかりきいてきたからです。
 これも、知らないうちに身についてしまった修飾ですね。

 今の、自分の不幸は、誰か別の人の責任である。
 レミゼラブルで搾取されるフォンティーヌみたいですか?
 パン一個を盗んだ罪で、一生追われたジャン・バルジャンですか?
 ジャベール警部の正義の信念は、何が原動力だったんでしょう?

山田隆文の歯医者さん日記

 さあ、自由のための第三の極意です。

 自由ですが、自由ではありません。

 それって、矛盾してるじゃん。
 そうです。
 でも、それが、一番強いエネルギーを持っています。

 これまでを振り返ってみましょう。

<第一原則>
 人は、原則的に自由である。
<第二原則>
 ただし、自由にはルールがある。
 他人の自由を奪ってはならない。

 でしたね。
 第三の原則は、第一の原則も、第二の原則も、覆してしまいます。

 レミゼラブルのフォンティーヌはどうでしたか?
 ジャン・バルジャンはどうでしたか?
 ジャベールは?

 彼らは、自分のために、自分の自由を主張したでしょうか?
 フォンティーヌはコゼットのために。
 ジャン・バルジャンも、姉の子供たちや、フォンティーヌやコゼットやマリウスのために。
 ジャベールは、官吏のために?

<第三原則>
 人は、誰かのために自分の自由を行使する自由を持つ。

 飢えたトラの前に身を投げ出したお釈迦様の前世の姿。
 子供を守る、親。
 学生を守る、先生。

 人は、その自由を誰かのために使った時、最強になるのですね。


 人は、誰かの自由を奪おうとすると、それは、最低です。
 レミゼラブルのテナルディみたいです。
 人は、誰かのために自分の自由を使おうと思うと、最強になれる。

 何度も書いてきたように思います。
 誰かのエネルギーを奪い合うのではありません。
 誰かのエネルギーを奪っても、奪っても、あなたの心は満たされません。
 でも、自分のエネルギーを、誰かのために使ってみてください。
 あなたは、あなたの心の中に、無限のエネルギーの源泉を感じます。
 火事場のくそ力です(笑)。

 とげとげの心は、エネルギー奪われたり、守ったりすることで、ぎざぎざです。
 でも、本当の心は、まん丸です。
 あんぱんまんです。
 困っている人に、あげてもあげても、あなたの心は、いつまでもまん丸です。

 面白いでしょう?