人は自由です。
何を選ぶのも自由なんです。
そう書いてきました。
だから、神さまは、自由をくれました。
マット・デイモンの「アジャストメント」みたいに、神さまが人間を管理しているんじゃないんです。
もちろん、天国や極楽に住むのも自由です。
だから、自ら地獄を選んでも良いんですね。
ダンテの神曲の、地獄や煉獄にいた人々です。
もちろん、キリスト教のモーゼの十戒もあります。
・わたしのほかに神があってはならない。
・あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
・主の日を心にとどめ、これを聖とせよ。
・あなたの父母を敬え。
・殺してはならない。
・姦淫してはならない。
・盗んではならない。
・隣人に関して偽証してはならない。
・隣人の妻を欲してはならない。
・隣人の財産を欲してはならない。(カトリック版)
仏教にもあります。
従全戒ともいいます。
・不殺生 …… 故意に生き物を殺さないこと
・不偸盗 …… ふちゅうとう。自分のものじゃないのに、それを自分のものとしちゃダメ
・不邪淫 …… 不倫をしちゃダメだよ
・不妄語 …… ふもうご。嘘をついちゃダメだよ
・不綺語 …… ふきご。中身の無い言葉を話しちゃだめだよ。まあ、嘘をつくなってこと
・不悪口 …… ふあっく。乱暴な言葉を使っちゃだめだよ
・不両舌 …… 他人を仲違いさせるようなことを言っちゃダメだよ
・不慳貪 …… ふけんどん。必要以上に欲ばらないようにね
・不瞋恚 …… ふしんに。怒ってばかりじゃダメだよ
・不邪見 …… 誤った考え方や勝手な解釈を持たないようにね
西洋のキリスト教も、東洋の仏教も、似ているところがありませんか?
面白いですね。
さあ、ここには何が書いてあるんでしょうか?
あなたが、そして、あなたの周りの人が自由でいるための戒めですね。
前回、書いた、自由にはひとつだけ、条件があることを忘れないでください。
他の人の自由を奪ってはいけないんです。
どちらの十戒にも、他人の自由を奪うなって書かれていますね。
さあ、もう一度、自分と、周りの人々を見回してください。
幸せな人もいます。
不幸な人もいます。
大道を歩いている人もいます。
脇道にそれちゃった人もいます。
路端のどぶに落っこちて、泥だらけの人もいます。
袋小路に入り込んだ人もいます。
お山の大将も。
奴隷のような生活を選んだ人も。
楽しんでいる人も。
悩んでいる人も。
……。
あなたは、介入して良いんでしょうか?
それとも、あなたは、自分が悩んでいる時に、その悩みを、誰かに代わりに肩代わりをして、解決をして貰いたいですか?
それは、その人のためにはなりません。
もちろん、あなたのためにもなりません。
では、人生の泥沼にはまった人に、あなたはどのように対応しますか?
「なんで、そんなところでうろうろしているんだ!」
でしょうか?
あなたの部下が、あなたの言うことをきいてくれません。
「なんで、ちゃんと仕事が出来ないんだ!」
でしょうか?
大事なことがあります。
どんな環境を選んでいても、それは、その人の自由なんです。
その自由を奪うことは出来ません。
その人が良い選択をしたとします。
あなたは、その自由を選択してあげる自由があります。
その人が、もしかして、間違った選択をしているかもしれません。
でも、あなたは、その人が、間違えた人生を選択している自由を認めてあげる自由があります。
「あなたは、こうすべきよ」
なんて、言ってはいけません。
相手は、もっと依怙地になります。
「じゃあ、相手を変えられないじゃないか!」
そんな、声が聞こえてきそうです。
変えることは出来ません。
だって、その人の自由意志です。
だから、その人が、自分の意志で変えようと思わない限り、その人の現実は変化しません。
面白いですね。
だからこそ、次のテクニックがあるんですね。
何を選ぶのも自由なんです。
そう書いてきました。
だから、神さまは、自由をくれました。
マット・デイモンの「アジャストメント」みたいに、神さまが人間を管理しているんじゃないんです。
もちろん、天国や極楽に住むのも自由です。
だから、自ら地獄を選んでも良いんですね。
ダンテの神曲の、地獄や煉獄にいた人々です。
もちろん、キリスト教のモーゼの十戒もあります。
・わたしのほかに神があってはならない。
・あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
・主の日を心にとどめ、これを聖とせよ。
・あなたの父母を敬え。
・殺してはならない。
・姦淫してはならない。
・盗んではならない。
・隣人に関して偽証してはならない。
・隣人の妻を欲してはならない。
・隣人の財産を欲してはならない。(カトリック版)
仏教にもあります。
従全戒ともいいます。
・不殺生 …… 故意に生き物を殺さないこと
・不偸盗 …… ふちゅうとう。自分のものじゃないのに、それを自分のものとしちゃダメ
・不邪淫 …… 不倫をしちゃダメだよ
・不妄語 …… ふもうご。嘘をついちゃダメだよ
・不綺語 …… ふきご。中身の無い言葉を話しちゃだめだよ。まあ、嘘をつくなってこと
・不悪口 …… ふあっく。乱暴な言葉を使っちゃだめだよ
・不両舌 …… 他人を仲違いさせるようなことを言っちゃダメだよ
・不慳貪 …… ふけんどん。必要以上に欲ばらないようにね
・不瞋恚 …… ふしんに。怒ってばかりじゃダメだよ
・不邪見 …… 誤った考え方や勝手な解釈を持たないようにね
西洋のキリスト教も、東洋の仏教も、似ているところがありませんか?
面白いですね。
さあ、ここには何が書いてあるんでしょうか?
あなたが、そして、あなたの周りの人が自由でいるための戒めですね。
前回、書いた、自由にはひとつだけ、条件があることを忘れないでください。
他の人の自由を奪ってはいけないんです。
どちらの十戒にも、他人の自由を奪うなって書かれていますね。
さあ、もう一度、自分と、周りの人々を見回してください。
幸せな人もいます。
不幸な人もいます。
大道を歩いている人もいます。
脇道にそれちゃった人もいます。
路端のどぶに落っこちて、泥だらけの人もいます。
袋小路に入り込んだ人もいます。
お山の大将も。
奴隷のような生活を選んだ人も。
楽しんでいる人も。
悩んでいる人も。
……。
あなたは、介入して良いんでしょうか?
それとも、あなたは、自分が悩んでいる時に、その悩みを、誰かに代わりに肩代わりをして、解決をして貰いたいですか?
それは、その人のためにはなりません。
もちろん、あなたのためにもなりません。
では、人生の泥沼にはまった人に、あなたはどのように対応しますか?
「なんで、そんなところでうろうろしているんだ!」
でしょうか?
あなたの部下が、あなたの言うことをきいてくれません。
「なんで、ちゃんと仕事が出来ないんだ!」
でしょうか?
大事なことがあります。
どんな環境を選んでいても、それは、その人の自由なんです。
その自由を奪うことは出来ません。
その人が良い選択をしたとします。
あなたは、その自由を選択してあげる自由があります。
その人が、もしかして、間違った選択をしているかもしれません。
でも、あなたは、その人が、間違えた人生を選択している自由を認めてあげる自由があります。
「あなたは、こうすべきよ」
なんて、言ってはいけません。
相手は、もっと依怙地になります。
「じゃあ、相手を変えられないじゃないか!」
そんな、声が聞こえてきそうです。
変えることは出来ません。
だって、その人の自由意志です。
だから、その人が、自分の意志で変えようと思わない限り、その人の現実は変化しません。
面白いですね。
だからこそ、次のテクニックがあるんですね。