人は変われるか?
そんなテーマで話は進んでいます。
さあ、あなたが、誰かに何かをして貰いたいとします。
新幹線はレールの上を走ります。
そうしないと、脱線してしまいます。
前か後しかありません。
ステレオタイプです。
自由はどこにあるのでしょうか?
さあ、いくつかの概念があります。
<強制>です。
無理矢理やらせることです。
相手の意志なんてどうでもいいんです。
何度も書いてきたように、はじめは効果的です。
行動原理は恐怖が引き金です。
「……しないと、後で酷い目に遭うぞ!」
悪魔ややくざの常套手段ですね。
大阪の高校では、体罰も問題になっています。
ちょっとまえには、大相撲の世界で「かわいがり」なんてのもありました。
でも、強制には欠点があります。
長続きはしません。
次のレベルは<命令>です。
あるいは<禁止>です。
「……しなさい」
「……してはいけません」
孔子さんも、がちんがちんの儒教を作り出しました。
前にも書いたかもしれませんが、いくら規律や法律で縛っても、人は自由です。
みんな、同じ。
それは、無理です。
もちろん、効果的な部分はあります。
「青は進め、赤は止まれ」
みんなでルールを守らなければ、あちこちで交通事故です。
ただし、命令は、すべてがうまくいきません。
命令の問題点は、出している人にエビデンスがあるか?
たとえば、今度の選挙で、民主党から自民党に政権交代をしました。
子供手当はどうなったの?
また、学校で心のノート復活?
消費税は?
原発は?
……
指令を出す人が変わる度に、内容が変わってしまうのでは、現場が混乱をします。
朝令暮改では、やがて、だれも、言うことをきかなくなってしまいますね。
次のレベルです。
<指導>です。
わたしたちも、「歯磨き指導」なんて言葉を使います。
「歯科保険指導教育論」なんて教科書もあります。
指導は、知らない人に教えてあげる。
そんなニュアンスでしょうか?
でも、大事なことがあります。
命令も指導も、相手の意思確認をしていません。
主人公は、教える側です。
これでは、やがて破綻をします。
そして、<教育>になります。
みんな、<教>の、教えることばかりに夢中になってしまいます。
まだ慣れていない、若い先生方なんて、みんなそうです。
教えることばかり一生懸命になって、学生さんがついてきているのか、まったく考えていません。
<教育>の<教>は、あくまでも<育>の形容詞です。
主体は、学生を育むことですね。
さあ、お釈迦様も、イエス・キリストも、なにかを強制したでしょうか?
命令をしましたか?
指導なんてしました?
もちろん、はじめは、悟りの道を「教えてあげたい」なんて、情熱に溢れていましたが……。
でも、いくら、「悟りの道」を人に説いても、なかなか、耳を傾けてくれないことに気がつきました。
いいことをすれば、極楽(天国)に行けるよ。
でも、悪いことをすれば地獄に堕ちるよ。
いくら、褒め殺しをしても、脅してもダメです。
……。
そして、最後に、極意に達したんですね。
えっ?
どんな、極意かって?
それは、また次回。
そんなテーマで話は進んでいます。
さあ、あなたが、誰かに何かをして貰いたいとします。
新幹線はレールの上を走ります。
そうしないと、脱線してしまいます。
前か後しかありません。
ステレオタイプです。
自由はどこにあるのでしょうか?
さあ、いくつかの概念があります。
<強制>です。
無理矢理やらせることです。
相手の意志なんてどうでもいいんです。
何度も書いてきたように、はじめは効果的です。
行動原理は恐怖が引き金です。
「……しないと、後で酷い目に遭うぞ!」
悪魔ややくざの常套手段ですね。
大阪の高校では、体罰も問題になっています。
ちょっとまえには、大相撲の世界で「かわいがり」なんてのもありました。
でも、強制には欠点があります。
長続きはしません。
次のレベルは<命令>です。
あるいは<禁止>です。
「……しなさい」
「……してはいけません」
孔子さんも、がちんがちんの儒教を作り出しました。
前にも書いたかもしれませんが、いくら規律や法律で縛っても、人は自由です。
みんな、同じ。
それは、無理です。
もちろん、効果的な部分はあります。
「青は進め、赤は止まれ」
みんなでルールを守らなければ、あちこちで交通事故です。
ただし、命令は、すべてがうまくいきません。
命令の問題点は、出している人にエビデンスがあるか?
たとえば、今度の選挙で、民主党から自民党に政権交代をしました。
子供手当はどうなったの?
また、学校で心のノート復活?
消費税は?
原発は?
……
指令を出す人が変わる度に、内容が変わってしまうのでは、現場が混乱をします。
朝令暮改では、やがて、だれも、言うことをきかなくなってしまいますね。
次のレベルです。
<指導>です。
わたしたちも、「歯磨き指導」なんて言葉を使います。
「歯科保険指導教育論」なんて教科書もあります。
指導は、知らない人に教えてあげる。
そんなニュアンスでしょうか?
でも、大事なことがあります。
命令も指導も、相手の意思確認をしていません。
主人公は、教える側です。
これでは、やがて破綻をします。
そして、<教育>になります。
みんな、<教>の、教えることばかりに夢中になってしまいます。
まだ慣れていない、若い先生方なんて、みんなそうです。
教えることばかり一生懸命になって、学生さんがついてきているのか、まったく考えていません。
<教育>の<教>は、あくまでも<育>の形容詞です。
主体は、学生を育むことですね。
さあ、お釈迦様も、イエス・キリストも、なにかを強制したでしょうか?
命令をしましたか?
指導なんてしました?
もちろん、はじめは、悟りの道を「教えてあげたい」なんて、情熱に溢れていましたが……。
でも、いくら、「悟りの道」を人に説いても、なかなか、耳を傾けてくれないことに気がつきました。
いいことをすれば、極楽(天国)に行けるよ。
でも、悪いことをすれば地獄に堕ちるよ。
いくら、褒め殺しをしても、脅してもダメです。
……。
そして、最後に、極意に達したんですね。
えっ?
どんな、極意かって?
それは、また次回。