変化する。
これは、世の中の常です。
一個の種が、根を出し、芽を出し、葉を出して、成長して、つぼみを作り、花が咲き、花が枯れ、実を結び、種ができて、新しい世代が育つ。
卵がかえり、幼虫が成長し、サナギになり、蝶になり、卵を産む。
春が来て、夏になり、秋になり、冬が来て、また春が到来する。
当たり前のことですね。
時は、刻々と変化していきます。
世界も、刻々と変化をしていきます。
一瞬たりとも、立ち止まったりしません。
人の心を除いて……。
人は、何を握りしめているのでしょうか?
だから、仏は、様々な姿に形を変えて、ありとあらゆる方便を使い、わたしたちに本当の姿を示そうとします。
でも、なかなか、私たちの凡庸な心には響いていきません。
わたしたちは、いやでもアイデンティティの階段を上がってきました。
第5のステップの終点まで来たら、今度は、自分の意思で、その先を探さなくてはなりません。
とたんに、変化が怖くなります。
私の部屋に来る学生さんたち。
今、国家試験のための勉強で一生懸命です。
「ずーっと、学生でいたい!」
なんて言っています。
「卒業したら不安。」
「歯科衛生士として、やっていけるんだろうか?」
そんな気持ちもあります。
そして、もちろん、新しい世界に踏み出す「わくわく」もあります。
面白いですね。
そんな、学生さんたちの、芽を、すばらしい花が咲くように育てていきたいです。
さあ、問題は、そこで怖じ気づいてしまった人たちです。
変化を望みません。
だって、住み慣れた環境がいいんです。
こんな例を書くと、ちょっと、不謹慎になるかもしれませんが、お許し下さい。
地震で家を失いました。
たくさんのニュースを見ました。
ある人は言います。
「新しい人生を探さなくちゃ」
別の人は言います。
「どうしたらいいんだろう」
こんな人も居ます。
「また、元の生活を取り戻したい」
どれが正解なのでしょうか?
時間も空間も変化します。
過ぎ去った、どこかの時間のどこかの空間に、いつまでもとどまっていることはできません。
昔とった杵柄と言うことは、残念ながら、人生には通用しないんですね。
自分の人生を振り返ってみて下さい。
私の子供の頃。
まだ、家の前の地面は、土のままでした。
仲良しの犬だって、放し飼いです。
家の電話は、ダイヤル式の黒電話。
テレビだって、もの心ついて、ようやく、カラーになりました。
中身は、真空管です。
ほんの数十年。
携帯電話も、鞄みたい大きさからあっという間に小さくなって、スマートフォンになりました。
真空管で、ビルみたいな大きさのコンピューターは、今では、タブレットで持ち歩きができます。
リニアモーターカーができて、宇宙に人が飛び出す時代になりました。
自分の生活は、どれくらい変化をしましたか?
気がつかないうちに、人類の歴史の中でも、加速的な変化の時代に住んでいますね。
でも、心だけが、変化を求めていません。
面白いですね。
心だけが、過去に生きています。
そして、変化を恐れています。
でも、否応なしに、変化は訪れます。
学生さんは卒業をします。
仕事についていれば、転勤があるかもしれません。
転職があるかもしれません。
結婚もあります。
子供が生まれます。
やがて、子供が成長をします。
あなたは、その、子供の成長を通して、時間の流れを知ります。
そして、いやでも、定年の年になります。
さあ、あなたの、自由な時間が訪れます。
何をしてもいいんですよ。
もう、仕事をしなくてもいいんですよ。
仕事の愚痴も、同僚の愚痴も、言わなくてもいいんですよ。
仕事の締め切りで、時間に追われることもなくなりました。
こんなすばらしいことがあるでしょうか?
さあ、何をしましょうか?
そのときに、あなたに、やることがありますか?
学生さんに聞きます。
「休みの日には、何をしているの?」
こんな答えが返ってきます。
「昼まで寝ていた」
「ゲーム」
「カラオケ」
……
もう一度考えてみましょう。
「あなたの、一番したいことは何ですか?」