さあ、前進です。
面倒くさい煩悩なんて、放っておてい、どんどん前に進みましょう!
問題があるから、前に進めない。
それこそ、煩悩に対する執着に他なりません。
お釈迦様です。
こんな風に言っています。
「けっきょく、
憂いと、悲しみと、悩みのある、
迷いの世界を生み出すのは、
わたしたちの心なんだよ」
「迷いなんてもんは、
わたしたちの心から現れた
わたしたちの心の影にすぎないんだから。
だから、
悟りの世界だって、
この、わたしたちの心から現れるんだよ。」
でも、私たちは間違いを犯します。
お釈迦様は、こんな風に言っています。
「みんなは、3っつの間違った見方をしてしまうんだ。」
「ひとつめは、私たちの経験は、みんな、運命だと思う。
ふたつめは、私たちの経験は、みんな、神の行いだと思う。
みっつめは、私たちの経験は、みんな、因も縁もないものだと思う。」
「もし、運命ならば……。
良いことをしても、悪いことをしても、みんな運命じゃないか。
幸福も、不幸も、みんな運命なんでしょう?
人の人生は、みんな、運命だけで決められてしまうの?
じゃあ、一生懸命に働こうとか、
悪いことをしちゃダメだとか、
希望も、努力もしなくなっちゃう。
それじゃあ、世の中は進歩しないね。
なにも、良くならないね。」
「もし、神さまが全部決めているとしたら……。
やっぱ、同じジャン!」
「もし、因果応報もないとすれば……。
やっぱり、何にもやる気にならなよね。」
私たちは、自由意志を持っている。
だから、自分の心の従うままに、進んで良いですね。
わたしはこんな風に思います。
もし、人類が、一生、なんの不自由もないエデンの園で暮らしていたとしたら……。
今でも、裸で、動物たちと戯れていたでしょう。
(それも、素晴らしいかもしれませんが……)
でも、それって、神さまが創った箱庭の、お人形みたいですね。
毎日、毎日、何のイベントも発生しない、退屈な日々。
面白くありませんね。
十牛図を思い出してください。
一度、楽園を離れた。
だから、楽園の価値がわかるんです。
そして、再び、楽園は自分の心の中にあることに気がつくんです。
もし、一度もエデンの園から出たことがなければ、人類は、きっと、その素晴らしさには、永遠に気がつかないかもしれません。
神さまは、人類には、最高のプレゼントをくれたんです。
自由意志です。
何を選んでも良いんです。
可哀想に、天使さんには、選択の自由はありません。
だから、ルシフェルさんは、ぐれちゃったりしたんです(笑)。
って、それも、神さまの深遠なる魂胆かもしれませんけどね。
さあ、最後に、お釈迦様はこんな風に言っています。
「悟りへの道は、
そんなに難しくもなく、遠くにはないんだよ。
私たちが過ごしている、
一日、一日、
その生活の中にあることを忘れないようにね。」
だから、水戸黄門の歌みたいに、一歩一歩、自分の足で踏みしめてですね。
さあ、どんどん行きましょう!