10月20日の土曜日のNHKである。
文化祭が終わって、新潟から東京に戻ってテレビを付けた、
と、こんな番組をやっていた。
「NHKスペシャル シリーズ日本新生「“国際人”がニッポンを救う」」
こんな風に、コメントされている。
「いま日本の存在感が失われつつある。
国際競争力ランキングは27位にまで低下、
海外への留学生も減少している。
グローバル時代を切りひらく人材をどう育成するか議論する。」
(NHKホームページより)
http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2012-10-20&ch=21&eid=28049
さて、どんな番組なのだろう。
つまり、日本人は、日本人として、ちいさくまとまりすぎた。
今の政権をみていてもそう。
日本の中なんて大きなものではなくて、自分の政党しかみていない。
文部科学省の補助金のタイトルや中教審の答申には、「グローバル化」なんて言葉が並んではいるのだが……。
まだ、織田信長や江戸時代や明治維新の頃の方が、みんな、世界を見ていた。
日本の小ささを知った織田信長。
ヨーロッパに特使を送った伊達政宗。
などなどなど。
をいをい、である。
前にも書いたが、日米交渉はこうである。
米「わたしはこう思う」
日「わたしたちはこう思う」
米「イエスかノーか?」
日「わたしの判断では答えられないので、みんなで考えてくる」
これでは、話は進まない。
日本は、「和」をもって尊しとなす。
もちろん、素晴らしい。
だから、つーってばかーである。
偉い人が、「白」と言ったら、黒いものも白いのである。
疑問を挟んではいけない。
疑問を挟むと、こう言われる。
「自分が偉くなってから、考えろ!」
それでは、遅い!
残念ながら、日本人の考え方は世界では通用しない。
それぞれの国が、ぞれぞれの民族が、それぞれのコミュニティが、それぞれの考え方を持っている。
だから、一方の考え方を、無理矢理、相手に従えというわけにはいかない。
それでは、争いになる。
でも、まったく自分の常識(という閉鎖された思考パターン)とかけ離れた考え方を簡単に理解するのは難しい。
(まあ、日本人にだってそんな連中はたくさんいるが……(笑))
慣れが必要である。
固定観念を外す必要がある。
心の柔軟性が必要である。
そのためには、別のメンタリティを持った相手とのコミュニケーションのトレーニングが必要である。
あのアグネス・チャンさんですら、苦労した経験を語っていた。
日本と欧米の教育の違いも何回も書いてきた。
日本では、教科書を教える。
一応、文部科学省では、15時間の講義に、15時間の予習と15時間の復習で1単位なんて言っている。
でも、教科書通り。
国語の授業で、「主人公はどう思いますか?」なんて質問の答えは限定される。
算数でも、かけ算の順番にこだわらなければならない。
想定外の答えはあってはならいのだ。
でも、現実に、そんなに簡単に答えが出る?
倫理学の伝統的な質問がある。
「海で遭難して、二人が必死で泳いでいる。
と、板が一枚浮いている。
でも板はちいさいので、一人しか支えられない。
さあ、どうする?」
サンデル教授の質問のようだ。
もちろん、正解はない。
いろいろな状況を考え、それぞれの立場で意見を言い、考えるのがブレインストーミングとなる。
でも、今の日本の教育では、みんな横並びである。
同じ答えを求められる。
それでは、グローバルな人材は育たない。
さあ、アグネス・チャンさんに戻る。
彼女は、アメリカの大学院に進学した。
あちらの授業は全く違う。
日本の大学院は、ちゃんとしたプログラムなんてない。
どっかの医局や研究室に所属して、学位論文を書くことが最大の目標になる。
もちろん、論文をチェックする教授のキャパシティを越えるのは、至難の業である。
アメリカではこんな風に授業が進む。
・予習
読むべき教科書や論文などの課題が出る
・授業
課題は読んできたものとして話は進む
・復習
レポート
さあ、アグネス・チャンさんはこんなことになった。
ちゃんと論文を読んできた。
先生が質問をする。
先「この論文をどう思った?」
ア「すばらしかったです」
教室がしーんとなった。
みんなが引いた。
これでは、アメリカの授業は成立しない。
こんな解答が求められていたのである。
「この論文の問題点はどこか?」
そうなのである。
漫才ではないのだが、まず、突っ込まなくてはならない。
まず、疑問を持たなくてはならない。
そんな人が高い評価を受ける。
哲学ではこう習ったはずである。
・正
・反
・合
つまり、ある意見がある。
それに、対立する意見があえる。
そして、新しい見解が生まれる。
それが、繰り返されていく。
でも、なかなか、現実は難しい。
日本人では、いきなり否定されると、ぶち切れる。
アサーティブなテクニックも、しっかり学んで欲しい。
さあ、NKHはこう締めくくっていた。
・失敗をさせる
そこからどのように立ち直るかで何かを学べるのである。
・ディベートの練習
・アンメットニーズに気づく
いかが?
さあ、疑問を持ってもいいんですよ。
どんどん、突っ込みましょうね。
ぼけなしで(笑)。
文化祭が終わって、新潟から東京に戻ってテレビを付けた、
と、こんな番組をやっていた。
「NHKスペシャル シリーズ日本新生「“国際人”がニッポンを救う」」
こんな風に、コメントされている。
「いま日本の存在感が失われつつある。
国際競争力ランキングは27位にまで低下、
海外への留学生も減少している。
グローバル時代を切りひらく人材をどう育成するか議論する。」
(NHKホームページより)
http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2012-10-20&ch=21&eid=28049
さて、どんな番組なのだろう。
つまり、日本人は、日本人として、ちいさくまとまりすぎた。
今の政権をみていてもそう。
日本の中なんて大きなものではなくて、自分の政党しかみていない。
文部科学省の補助金のタイトルや中教審の答申には、「グローバル化」なんて言葉が並んではいるのだが……。
まだ、織田信長や江戸時代や明治維新の頃の方が、みんな、世界を見ていた。
日本の小ささを知った織田信長。
ヨーロッパに特使を送った伊達政宗。
などなどなど。
をいをい、である。
前にも書いたが、日米交渉はこうである。
米「わたしはこう思う」
日「わたしたちはこう思う」
米「イエスかノーか?」
日「わたしの判断では答えられないので、みんなで考えてくる」
これでは、話は進まない。
日本は、「和」をもって尊しとなす。
もちろん、素晴らしい。
だから、つーってばかーである。
偉い人が、「白」と言ったら、黒いものも白いのである。
疑問を挟んではいけない。
疑問を挟むと、こう言われる。
「自分が偉くなってから、考えろ!」
それでは、遅い!
残念ながら、日本人の考え方は世界では通用しない。
それぞれの国が、ぞれぞれの民族が、それぞれのコミュニティが、それぞれの考え方を持っている。
だから、一方の考え方を、無理矢理、相手に従えというわけにはいかない。
それでは、争いになる。
でも、まったく自分の常識(という閉鎖された思考パターン)とかけ離れた考え方を簡単に理解するのは難しい。
(まあ、日本人にだってそんな連中はたくさんいるが……(笑))
慣れが必要である。
固定観念を外す必要がある。
心の柔軟性が必要である。
そのためには、別のメンタリティを持った相手とのコミュニケーションのトレーニングが必要である。
あのアグネス・チャンさんですら、苦労した経験を語っていた。
日本と欧米の教育の違いも何回も書いてきた。
日本では、教科書を教える。
一応、文部科学省では、15時間の講義に、15時間の予習と15時間の復習で1単位なんて言っている。
でも、教科書通り。
国語の授業で、「主人公はどう思いますか?」なんて質問の答えは限定される。
算数でも、かけ算の順番にこだわらなければならない。
想定外の答えはあってはならいのだ。
でも、現実に、そんなに簡単に答えが出る?
倫理学の伝統的な質問がある。
「海で遭難して、二人が必死で泳いでいる。
と、板が一枚浮いている。
でも板はちいさいので、一人しか支えられない。
さあ、どうする?」
サンデル教授の質問のようだ。
もちろん、正解はない。
いろいろな状況を考え、それぞれの立場で意見を言い、考えるのがブレインストーミングとなる。
でも、今の日本の教育では、みんな横並びである。
同じ答えを求められる。
それでは、グローバルな人材は育たない。
さあ、アグネス・チャンさんに戻る。
彼女は、アメリカの大学院に進学した。
あちらの授業は全く違う。
日本の大学院は、ちゃんとしたプログラムなんてない。
どっかの医局や研究室に所属して、学位論文を書くことが最大の目標になる。
もちろん、論文をチェックする教授のキャパシティを越えるのは、至難の業である。
アメリカではこんな風に授業が進む。
・予習
読むべき教科書や論文などの課題が出る
・授業
課題は読んできたものとして話は進む
・復習
レポート
さあ、アグネス・チャンさんはこんなことになった。
ちゃんと論文を読んできた。
先生が質問をする。
先「この論文をどう思った?」
ア「すばらしかったです」
教室がしーんとなった。
みんなが引いた。
これでは、アメリカの授業は成立しない。
こんな解答が求められていたのである。
「この論文の問題点はどこか?」
そうなのである。
漫才ではないのだが、まず、突っ込まなくてはならない。
まず、疑問を持たなくてはならない。
そんな人が高い評価を受ける。
哲学ではこう習ったはずである。
・正
・反
・合
つまり、ある意見がある。
それに、対立する意見があえる。
そして、新しい見解が生まれる。
それが、繰り返されていく。
でも、なかなか、現実は難しい。
日本人では、いきなり否定されると、ぶち切れる。
アサーティブなテクニックも、しっかり学んで欲しい。
さあ、NKHはこう締めくくっていた。
・失敗をさせる
そこからどのように立ち直るかで何かを学べるのである。
・ディベートの練習
・アンメットニーズに気づく
いかが?
さあ、疑問を持ってもいいんですよ。
どんどん、突っ込みましょうね。
ぼけなしで(笑)。