山歩きでは、いろいろな人にあった。
非常に、面白かった。
同じ山歩きでも、人はそれぞれ、違う現実を生きている。
同じ時間、同じ場所。
すれ違う人がいる。
わたしは下山するが、その人たちは登る。
それだけでも、違う人生を生きてる。
同じ時間、同じ北アルプス。
わたしが、常念岳の山頂にいる時、そこに登る人もいる、下る人もいる。
別の山に入る人もいる。
まだ、麓かもしれない。
それぞれが、違う人生を生きている。
同じ、山歩きだって、それぞれが、違う登り方をして、違う楽しみ方をする。
楽しく登っているかもしれないし、嫌々かもしれない。
わたしのように、超特急で走っているかもしれないし、のんびり登山もある。
早朝に、外の温泉に行こうと思ったら、始めて来たらしい20人ばかりの学生パーティーが、登山口がわからずに迷い込んでいる。
誰だって、始めてくるところには戸惑いを感じる。
人生だって同じ。
もし、同じ人生を繰り返す?
でも、面白くない。
波瀾万丈があるから面白い。
もちろん、そして、それは、すべては、その人の選択である。
すべては、その人の価値観の違いである。
考え方の違いである。
下山すれば、温泉には、ただ、温泉に入りに来たお客さんが居る。
登山者とは別の現実を生きている。
いちばん、それを感じたのは、帰りの長野新幹線。
長野からは、結構、おおきなリュックを持ったお客さんが多かった。
上田に停車し、佐久に停車する。
そして、軽井沢に停車する。
あきらかに、違う人種が乗り込んでくる。
ブランドに身を包み、ブランドバックを持って、ブランドショップの紙袋をたくさん抱えている。
お話しは、ファッションばかり。
ああ、あそこのショップ行き忘れたわなんて……。
そんな人たちに、汗臭い、泥臭い、お風呂にも入れない山歩きなんて、きっと、想像だにできないだろう。
同じ、新幹線に乗り合わせていながら、別の現実にいる。
別の次元にいる。
人の人生は、過去から未来へと流れていく。
時には、一時、誰かの人生と交錯するかもしれない。
でも、それって、どれくらいの期間?
すれ違っただけ?
あいさつをしただけ?
一緒の山小屋に泊まった?
何日?
何ヶ月?
何年?
それとも?
でも、世界中の人の人口から観れば、生きている間に、一度も交錯しない人生の方が多い。
次元すら、異なっているかもしれない。
さて、自分の現実は自分のものである。
他人の現実は、その人のものである。
どこまで介入できる?
あるいは、これを支配しようとする人も多い。
人を従わせることでのみ、自分を維持できる。
そこにだけ、自分の存在感を感じる人もいる。
そうしなければ、自分が維持できない。
逆に、自分の思考力を譲り渡してしまう人もいる。
その方が、楽な人生だから。
でも、どうしろ、なんて、強制できない。
その人の人生なのだから。
さて、じゃあどうするの?
簡単である。
自分の人生を歩むのだ。
今、現在。
ここ、この場所で。
あなた自身の現実を。
でも、それって、けっこう、難しい?
それとも、簡単?
なんてことを、考えながら山道を歩いていたんですけどね……。