久しぶりに、本編を。
ここ夏休みに入ってから、卒業生からたくさん連絡がある。
自分が変わってきたことに気がついた。
周りの環境が、その変化についてこないことに気がついた。
ある卒業生は結婚する。
ある卒業生は退職する。
ある卒業生は歯科医院を辞めたいと相談してきた。
ある卒業生は転職を考えているとメールが来る。
人は変化する。
当たり前である。
いつまでの、同じ事を繰り返しては居られない。
保育園から幼稚園、小学校、中学校、高校、大学……と、子供の頃には、せわしなく変化を求められてきたのに、いざ、大人になると、変化してはいけないような雰囲気になってしまう。
いえいえ、大人だって、成長します。
成長していいんです。
どんどん、成長してください!
結論から言えば、成長しない人に歩調を合わせる必要なんて全くありません。
どんどん、置いてちゃってください(笑)!
さあ、それでは、アイデンティティはどこまで広がるのでしょうか?
人は、無限の可能性を秘めている。
私たちが、この世に生まれた時、その可能性は無限にあった。
その可能性に、制限をつけたのは、私たち自身にほかならないのである。
では、いつ、そんな制限をつけてしまったのだろう?
一度、自分の心の中を整理してみる必要がある。
では、こんな問いかけをしてみよう。
「あなたは、本当に、自分自身を生きていますか?」
さあ、どうだろうか?
あなたは、自信をもって、あなた自身を、生きているのだと、胸を張って、言えるだろうか?
えっ?
言えない?
では、考えてみよう。
何故、言えないのだろうか?
私たちは、生まれてから、どうしても、たくさんの修飾にさらされている。
生まれた場所。
両親。
両親の考え方。
家族。
兄弟。
友だち。
保育園や、幼稚園で出会ったお友だち。
先生や保母さん。
あなたは、知らず知らずのうちに、そういった人たちの、考え方や、価値感を擦りこまれてきた。
はじめは、一人で学んで、経験してきたはずなんだけど、……。
でも、もちろんそれもまた、あなたの経験にほかならないことは、ひとつの紛れもない事実であるから、これは、受け入れざるをえない。
小さいときには、無意織にそれを、受け入れてしまう。
なぜなら、まだ、あなたには、善悪の判断ができない。
それは、無理からぬことである。
あなたは、ただ、単純な感情を使って、これを判断するしかなかったのである。
その感情では、何?
それは、好きか、嫌いかである。
楽しいか、それとも、楽しくないか。
それだけが、判断の材料だったはず。
簡単に言えば、それは、あなたに、利益を、もたらすものなのか、それとも、あなたに、危害を及ぼすものなのかということが、人生を生きていくためには、欠かすことのできない重要なポイントであるからであるに、他ならない。
小さい赤ちゃんがみんなに愛される理由は、余分な修飾が無いからである。
赤ちゃんが、何かの意図をもって、みんなに笑顔を振り撒くなんて下心があるはずもない。
そこが、大事なところである。
だから、赤ちゃんは、両親をはじめ、多くの人に無条件の愛をもらうことができるのである。
そう、赤ちゃんは、無限の可能性を持つ。
だから、無邪気に笑うのである。
さあ、鏡を見てみよう。
あなたの笑顔は、どんな笑顔?
屈託のない?
無邪気な?
いたずらっぽい?
えっ、目が笑ってませんよ!
笑うことすらできないって……。
そんな人は、このブログを始めから読み直しましょうね(笑)。
ここ夏休みに入ってから、卒業生からたくさん連絡がある。
自分が変わってきたことに気がついた。
周りの環境が、その変化についてこないことに気がついた。
ある卒業生は結婚する。
ある卒業生は退職する。
ある卒業生は歯科医院を辞めたいと相談してきた。
ある卒業生は転職を考えているとメールが来る。
人は変化する。
当たり前である。
いつまでの、同じ事を繰り返しては居られない。
保育園から幼稚園、小学校、中学校、高校、大学……と、子供の頃には、せわしなく変化を求められてきたのに、いざ、大人になると、変化してはいけないような雰囲気になってしまう。
いえいえ、大人だって、成長します。
成長していいんです。
どんどん、成長してください!
結論から言えば、成長しない人に歩調を合わせる必要なんて全くありません。
どんどん、置いてちゃってください(笑)!
さあ、それでは、アイデンティティはどこまで広がるのでしょうか?
人は、無限の可能性を秘めている。
私たちが、この世に生まれた時、その可能性は無限にあった。
その可能性に、制限をつけたのは、私たち自身にほかならないのである。
では、いつ、そんな制限をつけてしまったのだろう?
一度、自分の心の中を整理してみる必要がある。
では、こんな問いかけをしてみよう。
「あなたは、本当に、自分自身を生きていますか?」
さあ、どうだろうか?
あなたは、自信をもって、あなた自身を、生きているのだと、胸を張って、言えるだろうか?
えっ?
言えない?
では、考えてみよう。
何故、言えないのだろうか?
私たちは、生まれてから、どうしても、たくさんの修飾にさらされている。
生まれた場所。
両親。
両親の考え方。
家族。
兄弟。
友だち。
保育園や、幼稚園で出会ったお友だち。
先生や保母さん。
あなたは、知らず知らずのうちに、そういった人たちの、考え方や、価値感を擦りこまれてきた。
はじめは、一人で学んで、経験してきたはずなんだけど、……。
でも、もちろんそれもまた、あなたの経験にほかならないことは、ひとつの紛れもない事実であるから、これは、受け入れざるをえない。
小さいときには、無意織にそれを、受け入れてしまう。
なぜなら、まだ、あなたには、善悪の判断ができない。
それは、無理からぬことである。
あなたは、ただ、単純な感情を使って、これを判断するしかなかったのである。
その感情では、何?
それは、好きか、嫌いかである。
楽しいか、それとも、楽しくないか。
それだけが、判断の材料だったはず。
簡単に言えば、それは、あなたに、利益を、もたらすものなのか、それとも、あなたに、危害を及ぼすものなのかということが、人生を生きていくためには、欠かすことのできない重要なポイントであるからであるに、他ならない。
小さい赤ちゃんがみんなに愛される理由は、余分な修飾が無いからである。
赤ちゃんが、何かの意図をもって、みんなに笑顔を振り撒くなんて下心があるはずもない。
そこが、大事なところである。
だから、赤ちゃんは、両親をはじめ、多くの人に無条件の愛をもらうことができるのである。
そう、赤ちゃんは、無限の可能性を持つ。
だから、無邪気に笑うのである。
さあ、鏡を見てみよう。
あなたの笑顔は、どんな笑顔?
屈託のない?
無邪気な?
いたずらっぽい?
えっ、目が笑ってませんよ!
笑うことすらできないって……。
そんな人は、このブログを始めから読み直しましょうね(笑)。