オウムの最後の指名手配者が捕まったので、報道も、そればっかりである。
 逃げていた三人にも三人三様がある。
 まあ、それはよいとして……。

 さあ、なぜ、人は、信仰宗教にはまってしまうのだろう。
 時には、啓発セミナーもある。
 占いや、スピリチュアルの世界もある。

 オウムの信者たちは、勉強熱心で、学歴も高い人が多かった。
 なぜ?

 答えは、簡単である。

 ステレオタイプの考え方をする。
 失敗をしたことがない。
 と、躓いた時に、どうしていいかわからなくなる。
 人生の終わりのように感じてしまう。

 わたしなんて、道草のしっぱなしだから、崖から落ちでも、「あら、大変!」ですんでしまう。

 だから、そんな人はどうするか?
 自分ですべき、決断をしない。
 それだけ。
 自分ですべき、選択権を、誰かに譲り渡してしまった。
 それだけである。
 決断から逃げる。
 いちばん、楽な方法を選んだ。

 だから、自分にとって、都合がいいことを言ってくれる人を選んでしまう。
 信じてしまう。
 あなたの、悩みに共感してくれる人に頼ってしまう。
 と、いつまでたっても、自分で選択できない。

 人は、悩む。
 これは、当たり前である。
 カレーライスか、ラーメンか、なんて選択なら簡単である。
 でも、二人の男のどちらを選ぶのか?
 この人と結婚するか、しないか?
 だんだん、難しくなる。
 もっと、大きな人生の選択もある。
 右の道を行くのか、左の道を行くのか?
 A大学か、B大学か。
 A社に就職するか、ベンチャーを起業するか?
 行くのか、立ち止まるのか、引き返すのか?

 その決断には、大きなエネルギーが必要である。
 選択には、責任が必要である。

 でも、もし、他人に選択を任せたら?
「あんたが、選んだんでしょ!」
 と、責任回避ができる。

 都合のよい言い訳である。

 でも、あなたの選択ではない。
 あなたは、なにも、学べない。

 厳しいことを言えば、まあ、それも、選択ですけどね……。

 でも、何度も書いていますね。
 何を選択しても、間違いはありません。
 ちゃんと、そこで、学ぶことが用意されています。

 それに、気がつくか、気がつかないかは、あなたにかかっています。
 学ぶか、学ばないかは、もちろん、あなた次第。

 アイテムは、目の前に落ちているんですけどね……。