フィリップ・K・ディックの短編小説『調整班』=「アジャストメント」は、神様が、人間の運命を見つめている。
 私たちは、神さまが描いた(もちろん、生まれる前の契約に違いないが……)運命に従って生きている。
 人が道を踏み外さないように見守っている調整役である天使は、こう言う。

「以前は意思を尊重した。
 人類が進化し、ローマ帝国を築いた時、
 我々は人類の自由意志に任せた。
 だが、暗黒時代が5世紀続き、
 我々は、再度、介入した。
 議長は再び、補助輪を付けて正しい自転車の乗り方を教えたのだ。
 人類に、ルネッサンスと、文明開化と科学革命を産業革を与えた。
 600年の間、衝動の制御法を教えたのだ。
 そして、1910年、我々は再び退いた。
 だが、その後50年。
 第一次世界大戦に始まり、大不況、ファシズム、ホロコースト、
 そして冷戦時代のキューバ・ミサイル危機。
 我々は、人類が修復不能な過ちを犯す前に、
 再び介入することにした。
 君に自由意志はない。
 あるのは見せかけだ。」

 まあ、今の世の中を見ると、そろそろ、介入して欲しい気もしますが……。

 もちろん、愛を勝ち取るデヴィッド・ノリスとエリース・セラス。
 神さまも、その愛に、運命を白紙に戻した。

 最後に、こんなナレーションが……。

『人は定められた道を歩く
 迷うのが怖いからだ。
 だが、障害を克服して、
 自由意志を貫く人間も居る。
 人は命がけで、
 自由意志の大切さを知るのだ。
 議長が真に望むのは、
 人類が自ら運命を書く、
 そんな日の来ることだ。
 君には書ける』

 もちろん、私たちにも!

 議長は、もちろん、神さま!

 天使さん達には、自由がない。
 でも、私たちには、自由がある。
 何を選択してもいいんだよ!

 そして、何を選んでも、もちろん、正解!