寺の朝は早い。
すでに、修行僧は起きて、山の中を走り回っている。
で、延暦寺会館に宿泊した人は、朝のお勤めに参加できる。
昔は、って、もう、20年以上前ですが、全館放送で無理矢理起こされたが、今は、もうやっていないとのこと。
でも、ちゃんと、6時前に起床!
10数人の宿泊者が参加していた。
もちろん、まだ、ケーブルカーもロープウエイも動いていない。
だから、他に観光客も居ない。
静けさの中。
薄暗いお堂の中で……。
静かに聞こえてくる。
声明。
歌うようなお経である。
気持ちがよい。
そのあと、講話があった。
「みなさまに、おはようございます。
本日、比叡山延暦寺総本山根本中堂のお朝事に参拝随喜を賜りました。
比叡山延暦寺の申しますのは、京都府と滋賀県にまたがっておりまして、寺領およそ1700ヘクタール。
周囲の長さ、ぐるぐるっと一回り回りますと100キロメートルほどあるんです。
で、それ全部合わせて延暦寺って言うんです。
その中に、お堂が120ほど。
大きいのやら小さいのやら点在しております。
70名ほどのお坊さんで守ってます。」
広大な敷地の中にある、120のお堂を、どうやって70人のお坊さんで守っているのか……。
ああ、修行僧がたくさん?
でも、昨日、歩いていても、あまり、目にしなかった。
「延暦寺というのは集合体ですので、単独のお堂はないんです。
みなさんお参りいただいて、延暦寺はどこですかとというおたずねが一番多いです。
延暦寺という単独のお堂はないと言うことを憶えて帰っていただいて、120ほどあるお堂の総本堂ここあたってますので、言い換えれば、ここが延暦寺かなと言えない事もないと思います。
今おいでのこの場所、中陣と言います。
上中下の中に、陣地の陣という字を当てます。
向こう側の緑色をしているところが下陣。
外側の陣地ですね。
両方合わせまして拝殿、拝むところです。
皆様方の左手の前方、薄暗くなっております。
こちら内側の陣地と書きまして、内陣と申しまして、仏様をお祀りするところです。
普通のお堂ですと、この中陣、赤い絨毯のところから仏様をお祀りします。
ですから、みなさんお参りいただくと、仏様、上の方においでになって、下から見上げて拝んでいただいていると思います。
このお堂は、ここから3メートルほど低くなっておりまして、小豆島の小島より御影石うぃ運んで参りまして、石畳になっております。
その3メートル低いところから、仏様お祀りしておりますので、どうなるかっていうと、皆様のこと高さと仏様の高さがまったく同じ高さでつくってございます。
このお堂、仏教の教えで、仏と我々衆生に上下の隔てはありませんよという教えを、建物で表しているんです。」
素晴らしいですね。
「春と秋にお彼岸という行事がありますよね。
彼岸というのは彼の岸と書きます。
これが、彼の岸なんですね。
私たちはこちら側にいて、この間、薄暗くなっている、この行けそうで行けない部分を、煩悩、暗黒の海にたとえております。
今日、皆様方と一緒におつとめをして、私たちは、この谷の底の方で拝んでおります。
この煩悩、暗黒の海を泳ぎ渡る皆様方の手助け、橋渡しができればと言うことでね、この下で拝んでいる。
私たちは、この部分を修行の谷と呼んでおります。
皆様方とちょっと感覚が違うんですけど。
彼岸に渡るためのお堂であると言うことです。」
煩悩の海……。
「このお堂、今から370年ほど前、といいますと、時の将軍は3代家光公の時、8年の歳月をかけて再建したお堂です。」
実際には、延暦寺も僧の間で喧噪があり、二つの派閥に別れて、戦いの時代もあった。
その後、僧兵という兵隊までできあがる。
それを恐れた織田信長が、延暦寺の焼き討ちをした。
だから、そのときに、多くの建造物が燃えてしまった。
「全体、総けやき造り、総ケヤキです。
入ってきて、この一番に太い柱が目に入ったと思いますけど、直径が2尺2寸といいますので、66センチ、一本の長さが8.4メートルほどあります。
全部で76本使ってます。
国宝のお堂です。
外観は単層入母屋造りという平屋ですが、お堂の一番高いところまで24メートルございます。
8階建てのビルと、ほぼ、同じ高さになっております。
それくらいの大きさの平屋の建物が建っていると思ってくださったら、いいと思います。」
世界最大級のログハウスと言うこと!
「このお堂のご本尊ですが、薬師瑠璃光如来と申しまして、薬師、薬の師匠の師と書きます。」
薬師如来(バイシャジャ・グル)。
薬師瑠璃光如来(バイシャジャ・グル・ヴァイドゥーリャ・プラバ・ラージャ)。
「薬師、すなわち瑠璃光浄土の主」の意味だそうである。
瑠璃(るり)は、女性の好きなアクセサリーでもよく使われている、ラピスラズリ。
だから、青い光。
瑠璃光ですので、後光です。
最近流行の、オーラですね。
インドでは、プラナ。
青い光ですので、明るい青であればサイキック、ターコイズであれば豊かさを、少し緑ががればおおらかでゆったりとしたセラピスト。
もちろん、薬師如来は私たち衆生のセラピストです。
「薬の先生なんです。
で、薬というのは、生きている人に使って始めて効果のあるものなんですね。
皆様方が、お寺のご本堂をお参りいただくと、たいがいの人は、何々家先祖代々と、ご先祖様を拝んでくださいます。
でも、ご先祖様生きていないんで、今更、お薬を差し上げてもどうもならないんですね。
何が申し上げたいかって言いますと、このお堂は、現世に生きている人に利益をもたらす仏様、現世利益の仏様なんで、生きている人担当なんです。
ですから、今現在生きている人の、願い、悩み、そういうものを託して帰っていただくと、そういうお堂ですので、皆様方の健康とか、国家安泰とか、世界平和とか、その現実的なことをこのお堂では祈ってます。
お薬師さんというのは、薬の師匠と言いました。
薬というのは、この壺に入ってお持ちなんです。
後ほど、正面から見ていただくと、太いロウソクが2本立っておりまして、その間に、立ち姿でお祀りされております。
で、その薬壺の中から、皆様方の悩み、願い、で、病とうのは二つあるんですよ。
身の病ってのと、心の病ってのね。
病気って言われるものが、身の病ですね。
心の病ってのは、悩みとか、そういった類のことが心の病。
で、その二つの病を、伺って、ふさわしいお薬を調合して差し上げる。
でも、直接、病が治ったり、直接、悩みが解決するわけではなくて、悩みが解決するようなご縁を結んで下さる。
そういう仏様。」
よく、オールドエイジの方々が、「今、苦労しておけば、後でいいことがあるから」なんておっしゃいますが、彼岸に渡って来世では困ります。
今、この瞬間、この場所で、充実した人生でなければ、困りますね。
ブッダだって、難行苦行をしても悟れませんでした。
気づいたんですね。
「で、仏様、薬の壺落ちないように、指で押さえておいでなんです。
この指のことを、薬指と言うようになったという風に言われております。
指の中で、ちょっと特別な指になると。」
存じませんでした(驚)。
「お薬師様の前に、大きな灯籠があります。
形はこんな格好してるんです。
中はどうなっているかというと、こんな格好をしています。
一抱えほどもある大きな、不滅の宝灯と言いまして、いつからついているかと言いますと、788年からついてます。
京の都が794年ですから、京の都より前からついてる。
千二百数十年、ずーっと、ついてます。
不滅の宝灯と呼ばれるのは、そのためなんです。
傳教大師最澄様が、比叡山に上がられてから、お薬師様のご奉正ににともされた火が、ずっと繋がっていると。
灯火の中は、大きなお皿、真鍮のお皿が入っておりまして、なたね油という油に、やまぶきという植物の枝、芯を乾燥させたものに火を付けています。
1リットルほど入っていますので、3日4日経ってもどうもないんですけど、毎日します。
毎日するってのは、忘れないんですよね。
3日に一回やってくれって言われると、必ず途中で、今日かな、明日かなってなります。
毎日するってのは、忘れないんです、逆にね。
3日に一回でいいよって言われて、じゃあ、3日に一回でやっておこうかなって、3日に一回、それが、いつのまにか、4日5日に一回になっちゃってね、で、観たら、油が泣くなって消えちゃう、ってことになったら大変ですよね。
ついうっかりすることを、油断するって言いますでしょ。
油を断つって書きますよね。
こういう意味。
準備万端整っていかないと、1200年ずっと灯火がともることがないと。
簡単な事なんですけど、続けることに意義がある。」
頭が下がります。
「天台宗の教えは「一隅を照らす」ということです。
自分の与えられた仕事、一隅ってのはひとすみって書くんですけどね、自分の与えられた仕事、ポスト、ポジション、そこにベストをし、ベストをつくし、なおかつそれを続けることなんです。
え、油をさすだけって簡単な仕事ですけど、1200年間誰も手を抜かずに頑張ってきたから、この不滅の宝灯を含め、比叡山延暦寺全体、世界文化遺産です。
このポイントが高かったと聞いております。」
確かに、サラリーマンになると「歯車になれ」と言ってきます。
でも、もし、歯車が勝手に動いたら?
救急車で病院にに行ったら、「今日は、気が乗らないから」って、困りますよね。
もちろん、比叡山の修行はもっと、上下関係が厳しくて、大変ですよ。
一度、正式に入山したら、12年は下山できません。
講話、ありがとうございました。
「叡山香」買い求めてきました。
もちろん、学生さんのために、学業成就のお札も。