切磋琢磨は、まだまだ続く。
砂浜の砂である。
でも、始めから、この砂は、こんな状態だったのだろうか?
違う。
始めは、きっと、こんな感じ。
やがて、それが、崩れた。
岩も、お互いにぶつかりあい、角が取れて丸くなる。
人生だって、そうだ。
やがて、小さくなり、小石となり、砂となる。
人間のエゴも小さくなる。
そうやって、海岸の綺麗な砂浜ができた。
そうやって、まん丸の人間ができる。
あるいは、ぴかぴかに光るかもしれない。
玉磨かざれば光らずである。
あなたの中にも、素晴らしい才能の原石が眠っているかもしれない。
でも、
・自意識という、他者からの別の見方を受け入れられないエゴがある
・攻撃的なとげとげがある
・バリアがある
……。
素晴らしいあなたの本質を、あなたは、何かで覆い隠してしまった。
だから、光れない。
あなたは、だから、悶々としている。
でも、カビの生えた、苔むした岩のまんまでは、誰も、観てくれない。
あなたのおかれたネガティヴな状況があったとする。
それは、あなたに、「あなたの今の考えだけが、すべての人に通用するものではないよ」と、教えてくれている。
独善的な、面倒くさい同僚が居るかもしれない。
その中で、あなたは、もしかすると、自分でも、他の人に対して、同じ様なことをやっていたかもしれないと、気がつく。
知らずに、他人を傷つけていたかもしれない。
でも、あなたは、今の問題に直面する。
カール・ロジャーズの感情の直面化だ。
「ああ、私も、鎧を着ている」
「トゲがある」
「エゴの固まり」
それは、あなたの本当の光り輝く玉を覆い隠しているこけにしか過ぎない。
それに、素直に気づけるかどうかが分かれ目だ。
でも、長年、染みついてきてしまった汚れを簡単にはそぎ落とせない。
私たちは、台所の汚れを落とすのに、固い研摩材の入ったクレンザーを使う。
歯磨きをするのに、ケイ素やアパタイトの入った固い研摩材で歯を磨く。
がっしりこびりついた歯石を取るには、歯医者さんで、がりがりやって貰わなくてはならない(キャアー!)。
ダイヤモンドを磨くのには、ダイヤモンドが必要だ。
もし、あなたの本質の上に、固い汚れが付いているとしたら。
傷つきたくないからって、柔らかいスポンジで、いくらごしごしやっても、もちろん、落ちない。
おためごかして、その汚れは落ちない。
あなたは、そのトゲで、他の人の心を傷つけてきた。
人生は、原因と結果。
だから、あなたは、あなたが他の人に与えた、辛い試練を、その人がどんな風に感じたのかを、感じなくてはならない。
すべての感情を感じること。
すべての感情の意味を知ることが、人生に与えられた発達課題だ。
結構、大変?
あなたのトゲは、同じ固さのトゲでこすらななければ取り除けないかもしれしれない。
だから、あなたの周りには、あなたのとげとげと同じ固さの反面教師が現れる。
あなたの映す鏡が現れる。
もちろん、G A N T Z(ガンツ)の星人(宇宙人)みたいに、かなりひつこい(笑)。
ステージクリアしなければ、先には進めない。
もちろん、無視してもいい。
それも選択。
でも、あなたは苔むして、とげとげした岩のまんまで、その一生を過ごすかもしれない。
私は、光り輝く、ダイヤモンドの方がいい。
さあ、楽しく、みんなで、ごしごしやろう(笑)!
この、みんなでというところが、大事。
海は、何でも飲み込む。
ネガティヴなものも、ポジティヴなものも。
人の心もまた同じ。
人の営みも、この自転車のように、やがては、朽ちて行く。
その、自然の流れを、人の小さな力でも、人の小さな頭脳でも、遮るなんてのは、愚の骨頂だ。
人もまた、当然、切磋琢磨する。
でも、ひとりではできない。
なぜ?
もし、世の中にひとりぼっちだとする。
モノローグの世界だ。
でも、思考は行き詰まる。
新しいアイディアは生まれない。
それで、何の刺激もなくて、面白い?
もし、対立する存在がいれば?
ダイアローグ。
あなたのある意見に、対立する別の意見が生まれる。
喧嘩になる?
もちろん、それも、一つの方法。
でも、正しい方法は違う。
対立する存在は、自分自身を輝かせるためにこそ存在する。
陽子には反陽子。
電子には反電子。
プラスとマイナス。
N極とS極。
太陽と月。
昼と夜。
哲学の世界では、「正」「反」「合」という。
アグレッシブではない方法で、ちゃんと自分の意見を伝え、相手の意見を受け取り、そして、新しい知見を得ることができる。
自分の鎧を脱ぎ捨てるのに、同じ時間と強さの痛みを感じる方法もある。
でも、それって、時間も掛かる。
面倒ください。
別に、そんな旧時代の方法でやりたいのなら、それでもいい。
でも、もっと、簡単な方法もある。
ただ、気づくだけでいい。
ネガティヴな自分を否定しない。
私たちは、自分が否定するものに、引き寄せられていく。
そうじゃやなくて、ポジティヴな自分に気づく。
それだけ。
もし、ポジティブな自分だったら、どんな風に行動するだろう。
それだけを考えよう。
「雪のひとひら」では、空にのぼる「ひとひら」に、こんな声が響いた。
「おかえり」
もちろん、みんなが、輝いている世界にである。
winーwinの世界にである。
砂浜の砂である。
でも、始めから、この砂は、こんな状態だったのだろうか?
違う。
始めは、きっと、こんな感じ。
やがて、それが、崩れた。
岩も、お互いにぶつかりあい、角が取れて丸くなる。
人生だって、そうだ。
やがて、小さくなり、小石となり、砂となる。
人間のエゴも小さくなる。
そうやって、海岸の綺麗な砂浜ができた。
そうやって、まん丸の人間ができる。
あるいは、ぴかぴかに光るかもしれない。
玉磨かざれば光らずである。
あなたの中にも、素晴らしい才能の原石が眠っているかもしれない。
でも、
・自意識という、他者からの別の見方を受け入れられないエゴがある
・攻撃的なとげとげがある
・バリアがある
……。
素晴らしいあなたの本質を、あなたは、何かで覆い隠してしまった。
だから、光れない。
あなたは、だから、悶々としている。
でも、カビの生えた、苔むした岩のまんまでは、誰も、観てくれない。
あなたのおかれたネガティヴな状況があったとする。
それは、あなたに、「あなたの今の考えだけが、すべての人に通用するものではないよ」と、教えてくれている。
独善的な、面倒くさい同僚が居るかもしれない。
その中で、あなたは、もしかすると、自分でも、他の人に対して、同じ様なことをやっていたかもしれないと、気がつく。
知らずに、他人を傷つけていたかもしれない。
でも、あなたは、今の問題に直面する。
カール・ロジャーズの感情の直面化だ。
「ああ、私も、鎧を着ている」
「トゲがある」
「エゴの固まり」
それは、あなたの本当の光り輝く玉を覆い隠しているこけにしか過ぎない。
それに、素直に気づけるかどうかが分かれ目だ。
でも、長年、染みついてきてしまった汚れを簡単にはそぎ落とせない。
私たちは、台所の汚れを落とすのに、固い研摩材の入ったクレンザーを使う。
歯磨きをするのに、ケイ素やアパタイトの入った固い研摩材で歯を磨く。
がっしりこびりついた歯石を取るには、歯医者さんで、がりがりやって貰わなくてはならない(キャアー!)。
ダイヤモンドを磨くのには、ダイヤモンドが必要だ。
もし、あなたの本質の上に、固い汚れが付いているとしたら。
傷つきたくないからって、柔らかいスポンジで、いくらごしごしやっても、もちろん、落ちない。
おためごかして、その汚れは落ちない。
あなたは、そのトゲで、他の人の心を傷つけてきた。
人生は、原因と結果。
だから、あなたは、あなたが他の人に与えた、辛い試練を、その人がどんな風に感じたのかを、感じなくてはならない。
すべての感情を感じること。
すべての感情の意味を知ることが、人生に与えられた発達課題だ。
結構、大変?
あなたのトゲは、同じ固さのトゲでこすらななければ取り除けないかもしれしれない。
だから、あなたの周りには、あなたのとげとげと同じ固さの反面教師が現れる。
あなたの映す鏡が現れる。
もちろん、G A N T Z(ガンツ)の星人(宇宙人)みたいに、かなりひつこい(笑)。
ステージクリアしなければ、先には進めない。
もちろん、無視してもいい。
それも選択。
でも、あなたは苔むして、とげとげした岩のまんまで、その一生を過ごすかもしれない。
私は、光り輝く、ダイヤモンドの方がいい。
さあ、楽しく、みんなで、ごしごしやろう(笑)!
この、みんなでというところが、大事。
海は、何でも飲み込む。
ネガティヴなものも、ポジティヴなものも。
人の心もまた同じ。
人の営みも、この自転車のように、やがては、朽ちて行く。
その、自然の流れを、人の小さな力でも、人の小さな頭脳でも、遮るなんてのは、愚の骨頂だ。
人もまた、当然、切磋琢磨する。
でも、ひとりではできない。
なぜ?
もし、世の中にひとりぼっちだとする。
モノローグの世界だ。
でも、思考は行き詰まる。
新しいアイディアは生まれない。
それで、何の刺激もなくて、面白い?
もし、対立する存在がいれば?
ダイアローグ。
あなたのある意見に、対立する別の意見が生まれる。
喧嘩になる?
もちろん、それも、一つの方法。
でも、正しい方法は違う。
対立する存在は、自分自身を輝かせるためにこそ存在する。
陽子には反陽子。
電子には反電子。
プラスとマイナス。
N極とS極。
太陽と月。
昼と夜。
哲学の世界では、「正」「反」「合」という。
アグレッシブではない方法で、ちゃんと自分の意見を伝え、相手の意見を受け取り、そして、新しい知見を得ることができる。
自分の鎧を脱ぎ捨てるのに、同じ時間と強さの痛みを感じる方法もある。
でも、それって、時間も掛かる。
面倒ください。
別に、そんな旧時代の方法でやりたいのなら、それでもいい。
でも、もっと、簡単な方法もある。
ただ、気づくだけでいい。
ネガティヴな自分を否定しない。
私たちは、自分が否定するものに、引き寄せられていく。
そうじゃやなくて、ポジティヴな自分に気づく。
それだけ。
もし、ポジティブな自分だったら、どんな風に行動するだろう。
それだけを考えよう。
「雪のひとひら」では、空にのぼる「ひとひら」に、こんな声が響いた。
「おかえり」
もちろん、みんなが、輝いている世界にである。
winーwinの世界にである。