国会の、つまらない意地の張り合いと、足の引っ張り合いを見ていて、悲しくなった。
みんな、正しい喧嘩をしよう。
アイデンティテイが確立した人間と、アイデンティテイの確立した人間が、正しいやり方で喧嘩をすれば、あんなことにはならない。
みんな、喧嘩の仕方を知らないのだ。
わたしなど、喧嘩上等である。
大好きである(笑)。
見栄と我慢で取り繕って、何事もなかったかのように、一見、静かな水面を見つけると、大きな石を放り込む(大笑)。
だって、かき混ぜてやると、水の底にヘドロのように沈んだ本音が浮かび上がってくるからだ。
「いままでこうでした」なんて、おためごかしで取り繕っているコミュニティを見つけたら、もう、わたしのターゲットである。
「どうしてですか?」
なんて、わたしは優しく質問するだけである。
単なる好奇心だ。
ところが、アイデンティテイの確立していない人には、自分のやっている言動に対する「どうする?」の答えがない。
だって、慣習に従ってやってきたのだ。
なぜなら、誰かにやれと言われて、「?」が付かないままやってきたからだ。
自分の意思ではないかもしれない。
だから、そんな質問をされると困る。
ある人は、ごまかす。
ある人は、押し黙ってしまう。
ある人は、逃げ出す。
ある人は、それまでの笑顔が嘘のように消えて、表情が消える。
心のシャッターが降りて、それが、表情まで現れる。
ある人は、切れる。
カウンセリングでは、ブロッキングという。
医療面接では、傾聴を妨げる因子という。
まさに、本に書かれたとおりの様々な反応が目の前で繰り広げられる。
わたしは、にこやかに「あら、ごぞんじないんですか?」なんて言いながら、ほくそ笑んでいる悪人である(笑)。
さあ、もし、アイデンティテイがちゃんと出来上がっている人ならどんな反応をするか?
喜んで、そのいわれを話してくれる。
だって、自分で決めたのだ。
ちゃんと、理由も知っているからだ。
「どうして?」という質問は、その人にとっては、自尊心をくすぐる最高の質問なのだ。
さあ、喧嘩を始めよう!
もし、対等の立場で喧嘩をする。
これは、問題ない。
その中で、殴られたら痛い。
殴った手も痛い。
そのことを学んでいく。
やがて、喧嘩は、どこまでやっていいかを学ぶ。
ああ、これ以上やると、危険だなと気が付く。
加減を学ぶ。
と、晩年に剣を必要としなくなった、剣豪の宮本武蔵のように、喧嘩をしなくても良くなる。
これが、正しい喧嘩の仕方である。
だから、子供たちが喧嘩をしている。
もし、殴る前に止めてしまったら?
殴られる痛みも、殴る手の痛さも学ばない。
ゲームの中で、ボタンを押せば、ゾンビや敵の宇宙船を爆破できる。
そのまま、人間にやってしまうから、問題が起こる。
エネルギーのぶつけ合いという、大事な勉強ができなかった。
そんな人が大人になった。
上司になった。
と、部下や生徒に何かを言う。
これは、お願いであっても、下の人間にとっては、いじめに近い。
パワハラである。
そんな上司には、下からの意見は、仮にそれが正しい事であったとしても、自分のメンツをつぶされたと感じる。
だから、それは、部下の反抗にしか見えない。
実際に、本当に、ありえないいじめがある。
ようやく、最近は、パワハラの例が提示され、徐々に取り締まられるようにはなったのだが……。
厚生労働省指定法人21世紀職業財団は、こんな例を挙げている。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/パワーハラスメント)
・人の前で怒る
これは、肝っ玉の小さい人間には堪える
・人格否定する
おまえは、この仕事にはむいてない
・感情を丸出しにする
顔を真っ赤にして、烈火の如く怒ったりする
・給料泥棒呼ばわり
・退職勧奨や脅し
・窓際族なんてのもありますね
・無視する
・できなそうな難しい仕事を与えて、低評価にする
・パワハラの訴えを聞き流す
……
もちろん、もし、あなたにアイデンティテイがちゃんとできていれば、こんな上司も跳ね返せるんですけどね……。
みんな、中身がないから、威厳や威嚇で取り繕っているだけです。
にっこり笑って、それがどうしたって堂々としていると、面白い事がおこりますよ。
だんだんと、相手は言葉に詰まってきます。
自分のパワーゲームが通用しない事に、どうしていいのかわからなくなってくるんです。
だんだんと、相手の声が小さくなってきます。
だんだんと、切れている自分を見ている他人の目が気になってきます。
やがて、「もういい」なんて、勝手に言います。
そのうち、「さっきは、言い過ぎた。すまんが、パワハラなんて、報告書は出さないで……」なんて、急にしっぽを巻いてしまったり(笑)。
さあ、国会である。
民主党も自民党も、それぞれが、足の引っ張り合いをする。
相手の弱点を攻める。
だから、問責決議案なんて、提出をする。
どこか、相手のミスを見つけて、そこから、城壁を崩そうとする。
やくざも、同じ事をする。
「おまえの家族がどうなってもいいのか?」
取り調べの刑事さんも同じ事をする。
「おまえの母ちゃんが泣いて居るぞ」
悪魔も同じ事をする。
「こんな怖い地獄が待って居るぞ……」
国会の皆さん。
もう一度、木村拓哉さんの主演した「チェンジ」でも、見直して、顔を洗って、出直して下さいな(笑)。
さあ、正しい喧嘩あり方である。
もし、戦う相手よりも、自分が小さくて弱いとする。
ならば、勉強をする。
だから、練習をする。
そして、知識を付け、強くなり、そして、再び戦いを挑む。
ワンピースのルフィだってそうだ。
海軍大将の赤犬や黄猿や青雉にぼこぼこにされる。
エースも救えなかった。
だから、「強くなる!」って、ロジャー船長の副長だったレイリーさんのもとで一生懸命に修行して、強くなった。
ハンターハンターのゴンだってそうだ。
カイトさんをキメラアントから救えなかった自分を悔やみ、修行をして、再び、戦いを挑んだ。
エースをねらえの岡ひろみだって。
アタックNO1の鮎原梢だって。
巨人の星の星飛雄馬や花形満だって。
ハリーポッターだって。
さあ、もう一段上の喧嘩もある。
お互いに、高め合う喧嘩である。
NHKでやっている、サンデル教授の白熱講義を見ている人が多いと思う。
サンデル教授の突っ込みは非常に厳しい。
でも、ここで考えてほしい。
サンデル教授は、意見を否定しない。
意見を言った相手の人格を否定しない。
反対意見も大賛成である。
そして、正反両方の意見を提示して、「さあ、どうする?」と投げかける。
「Aさんはこう言ってる。でも、Bさんは反対意見だ。さあ、Cさん、あなたならどうする?」
これが、一番正しい喧嘩の仕方だ。
アイデンティテイの確立した人は、自分と他人を区別できる。
だから、必ずしも、自分の考えている事が、全ての人に当てはまるわけではない事を理解できる。
従って、自分を否定するような意見も、客観的に受け入れ居る事ができる。
そうすることで、新しい発想が生まれてくる。
そうすることで、お互いを高め合う事ができる。
いかが?
さあ、みんなで、喧嘩しよう(あれ?)!
みんな、正しい喧嘩をしよう。
アイデンティテイが確立した人間と、アイデンティテイの確立した人間が、正しいやり方で喧嘩をすれば、あんなことにはならない。
みんな、喧嘩の仕方を知らないのだ。
わたしなど、喧嘩上等である。
大好きである(笑)。
見栄と我慢で取り繕って、何事もなかったかのように、一見、静かな水面を見つけると、大きな石を放り込む(大笑)。
だって、かき混ぜてやると、水の底にヘドロのように沈んだ本音が浮かび上がってくるからだ。
「いままでこうでした」なんて、おためごかしで取り繕っているコミュニティを見つけたら、もう、わたしのターゲットである。
「どうしてですか?」
なんて、わたしは優しく質問するだけである。
単なる好奇心だ。
ところが、アイデンティテイの確立していない人には、自分のやっている言動に対する「どうする?」の答えがない。
だって、慣習に従ってやってきたのだ。
なぜなら、誰かにやれと言われて、「?」が付かないままやってきたからだ。
自分の意思ではないかもしれない。
だから、そんな質問をされると困る。
ある人は、ごまかす。
ある人は、押し黙ってしまう。
ある人は、逃げ出す。
ある人は、それまでの笑顔が嘘のように消えて、表情が消える。
心のシャッターが降りて、それが、表情まで現れる。
ある人は、切れる。
カウンセリングでは、ブロッキングという。
医療面接では、傾聴を妨げる因子という。
まさに、本に書かれたとおりの様々な反応が目の前で繰り広げられる。
わたしは、にこやかに「あら、ごぞんじないんですか?」なんて言いながら、ほくそ笑んでいる悪人である(笑)。
さあ、もし、アイデンティテイがちゃんと出来上がっている人ならどんな反応をするか?
喜んで、そのいわれを話してくれる。
だって、自分で決めたのだ。
ちゃんと、理由も知っているからだ。
「どうして?」という質問は、その人にとっては、自尊心をくすぐる最高の質問なのだ。
さあ、喧嘩を始めよう!
もし、対等の立場で喧嘩をする。
これは、問題ない。
その中で、殴られたら痛い。
殴った手も痛い。
そのことを学んでいく。
やがて、喧嘩は、どこまでやっていいかを学ぶ。
ああ、これ以上やると、危険だなと気が付く。
加減を学ぶ。
と、晩年に剣を必要としなくなった、剣豪の宮本武蔵のように、喧嘩をしなくても良くなる。
これが、正しい喧嘩の仕方である。
だから、子供たちが喧嘩をしている。
もし、殴る前に止めてしまったら?
殴られる痛みも、殴る手の痛さも学ばない。
ゲームの中で、ボタンを押せば、ゾンビや敵の宇宙船を爆破できる。
そのまま、人間にやってしまうから、問題が起こる。
エネルギーのぶつけ合いという、大事な勉強ができなかった。
そんな人が大人になった。
上司になった。
と、部下や生徒に何かを言う。
これは、お願いであっても、下の人間にとっては、いじめに近い。
パワハラである。
そんな上司には、下からの意見は、仮にそれが正しい事であったとしても、自分のメンツをつぶされたと感じる。
だから、それは、部下の反抗にしか見えない。
実際に、本当に、ありえないいじめがある。
ようやく、最近は、パワハラの例が提示され、徐々に取り締まられるようにはなったのだが……。
厚生労働省指定法人21世紀職業財団は、こんな例を挙げている。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/パワーハラスメント)
・人の前で怒る
これは、肝っ玉の小さい人間には堪える
・人格否定する
おまえは、この仕事にはむいてない
・感情を丸出しにする
顔を真っ赤にして、烈火の如く怒ったりする
・給料泥棒呼ばわり
・退職勧奨や脅し
・窓際族なんてのもありますね
・無視する
・できなそうな難しい仕事を与えて、低評価にする
・パワハラの訴えを聞き流す
……
もちろん、もし、あなたにアイデンティテイがちゃんとできていれば、こんな上司も跳ね返せるんですけどね……。
みんな、中身がないから、威厳や威嚇で取り繕っているだけです。
にっこり笑って、それがどうしたって堂々としていると、面白い事がおこりますよ。
だんだんと、相手は言葉に詰まってきます。
自分のパワーゲームが通用しない事に、どうしていいのかわからなくなってくるんです。
だんだんと、相手の声が小さくなってきます。
だんだんと、切れている自分を見ている他人の目が気になってきます。
やがて、「もういい」なんて、勝手に言います。
そのうち、「さっきは、言い過ぎた。すまんが、パワハラなんて、報告書は出さないで……」なんて、急にしっぽを巻いてしまったり(笑)。
さあ、国会である。
民主党も自民党も、それぞれが、足の引っ張り合いをする。
相手の弱点を攻める。
だから、問責決議案なんて、提出をする。
どこか、相手のミスを見つけて、そこから、城壁を崩そうとする。
やくざも、同じ事をする。
「おまえの家族がどうなってもいいのか?」
取り調べの刑事さんも同じ事をする。
「おまえの母ちゃんが泣いて居るぞ」
悪魔も同じ事をする。
「こんな怖い地獄が待って居るぞ……」
国会の皆さん。
もう一度、木村拓哉さんの主演した「チェンジ」でも、見直して、顔を洗って、出直して下さいな(笑)。
さあ、正しい喧嘩あり方である。
もし、戦う相手よりも、自分が小さくて弱いとする。
ならば、勉強をする。
だから、練習をする。
そして、知識を付け、強くなり、そして、再び戦いを挑む。
ワンピースのルフィだってそうだ。
海軍大将の赤犬や黄猿や青雉にぼこぼこにされる。
エースも救えなかった。
だから、「強くなる!」って、ロジャー船長の副長だったレイリーさんのもとで一生懸命に修行して、強くなった。
ハンターハンターのゴンだってそうだ。
カイトさんをキメラアントから救えなかった自分を悔やみ、修行をして、再び、戦いを挑んだ。
エースをねらえの岡ひろみだって。
アタックNO1の鮎原梢だって。
巨人の星の星飛雄馬や花形満だって。
ハリーポッターだって。
さあ、もう一段上の喧嘩もある。
お互いに、高め合う喧嘩である。
NHKでやっている、サンデル教授の白熱講義を見ている人が多いと思う。
サンデル教授の突っ込みは非常に厳しい。
でも、ここで考えてほしい。
サンデル教授は、意見を否定しない。
意見を言った相手の人格を否定しない。
反対意見も大賛成である。
そして、正反両方の意見を提示して、「さあ、どうする?」と投げかける。
「Aさんはこう言ってる。でも、Bさんは反対意見だ。さあ、Cさん、あなたならどうする?」
これが、一番正しい喧嘩の仕方だ。
アイデンティテイの確立した人は、自分と他人を区別できる。
だから、必ずしも、自分の考えている事が、全ての人に当てはまるわけではない事を理解できる。
従って、自分を否定するような意見も、客観的に受け入れ居る事ができる。
そうすることで、新しい発想が生まれてくる。
そうすることで、お互いを高め合う事ができる。
いかが?
さあ、みんなで、喧嘩しよう(あれ?)!