蒔いた種。
それは、自分で刈り取らなくてはなりません。
聖書にだって、仏典にだって書いてあります。
ある意味、真実は、どんなところでも普遍的なんです。
今は、文明も科学もどんどん進化しています。
だから、思った事が実現するスピードはどんどん速くなっています。
あなたが蒔いた種が、芽を出して、葉を付けて、花を付けて、実がなるのはあっという間です。
だって、昔、飛脚さんが走って持ってきてくれたお手紙は、今は、メールやフェイスブックでリアルタイムですね。
私のお友達も、ネガティブなひと言が災いして、掲示板が炎上して、大変な事になりました。
最近では、某大学の教授さんがフェイスブックで放送大学を批判したら、大変な事になってしまったなんてこともありましたね。
私たちが発する、ちょっとした言葉も、昔に比べて、大きな影響力を持っています。
世界は、私たちが考えるよりも、はるかに狭くなってしまったんです。
だからこそ、何を思うか、何を考えるか、何を創造するかが、重要になってきます。
だからこそ、ポジティブなことを考える必要があります。
でも、ネガティブな種を蒔いてしまったら?
もちろん、地獄巡りのスタートです(笑)。
あなたは、自分の創り出した迷路にはまります。
あなたの作り出した壁が出来上がります。
それは、あなたが自分に設けた制限に他なりません。
そして、あなたの恐れてて居る事が、次々と襲いかかってきます。
あなたが、否定しようとしている物が、どんどん現れます。
嫌いな上司かもしれません(笑)。
憎たらしい後輩かもしれません。
通路の角には、鬼さんが居るかもしれません。
牙をむいたワンちゃんかもしれません。
まあ、確かに、これが出てきたら、私も逃げ出すかもしれませんね(笑)。
できれば、ご遠慮頂きたいです。
角を曲がる度に、あなたが、分岐点に幾たびに、あなたが<嫌だ>と思っている事が次々と襲いかかってきます。
でも、創造したのはあなたです。
種を蒔いたのもあなたです。
ですから、刈り取りまで責任を取ってくださいな。
宮本武蔵は、「喧嘩上等」で、いつも戦いを挑んでいました。
自分で、トラブルを創造し続けていました。
だから、どこへ行っても、命の取り合いです。
私たちが、日常に感じているトラブルなんて、それに比べれば、ほんのちっぽけなものです。
でも、彼は気が付きます。
剣はいらない。
戦わずして勝つ。
それが、剣の極意だと気が付きます。
誰に勝つの?
もちろん、自分自身ですね。
自分自身の、不安や懸念や恐怖や怒りを切り捨てていきます。
強くなりたい、そんな、欲望も必要なくなります。
「五輪書」の最終章は短い言葉で語られています。
『武士ハ、兵法の道を慥に覚、其外、武藝を能勤、武士のをこなふ道、少もくらからず、
心のまよふ所なく、朝々時々におこたらず、心意二つの心をミがき、觀見二つの眼をとぎ、
少もくもりなく、まよひのくものはれたる所こそ、実の空と知べき也。』
要約するとこうです。
「兵法の道をちゃんと学んだ、
武芸にもよく励んだ、
武士の行う道にすこしも暗からず、
心も迷わない、
いつも修行を怠らないで、
心と、意の、二つの心を磨き、
観ることと、見ることの、二つの眼を研ぎ、
少しも曇ることも無く、
迷いの雲の晴れたとき、
真実の空だと知ることができるよ。」
じゃあ、そうじゃないとどうなるの?
『実の道をしらざる間は、
佛法によらず、世法によらず、
おのれハ、慥成道とおもひ、能事とおもへども、
心の直道よりして、世の大がねにあハせて見る時は、
其身の心のひいき、其目のひずミによつて、
実の道にハそむく物也。』
「真実の道を知らないとどうなるのかというと、
仏の法であれ世俗の法であれ、
自分では、正しい道かなと思っているし、善いことと思っていているんだけど、
本当のまっすぐな道や、世の中の大きな尺度から見てみれば、
それぞれの人には偏った心もあるし、
それぞれがもっている偏見(色眼鏡)によって、
真実の道からは外れちゃっているんだよ。」
そして、最後にこう述べています。
『空有善無惡
智者有也
理者有也
道者有也
心者空也』
もちろん、多くの人が、色々な道から、同じ結論に辿り着きます。
宮本武蔵が辿り着いた最後の答えです。
「ああ、もう、戦う必要なんてないんだ!」
きっと、すがすがしい気分になったでしょう。
もちろん、あなただって、辿り着けます。
呑気に、呑気に。
それが、一番。
いかが?
それは、自分で刈り取らなくてはなりません。
聖書にだって、仏典にだって書いてあります。
ある意味、真実は、どんなところでも普遍的なんです。
今は、文明も科学もどんどん進化しています。
だから、思った事が実現するスピードはどんどん速くなっています。
あなたが蒔いた種が、芽を出して、葉を付けて、花を付けて、実がなるのはあっという間です。
だって、昔、飛脚さんが走って持ってきてくれたお手紙は、今は、メールやフェイスブックでリアルタイムですね。
私のお友達も、ネガティブなひと言が災いして、掲示板が炎上して、大変な事になりました。
最近では、某大学の教授さんがフェイスブックで放送大学を批判したら、大変な事になってしまったなんてこともありましたね。
私たちが発する、ちょっとした言葉も、昔に比べて、大きな影響力を持っています。
世界は、私たちが考えるよりも、はるかに狭くなってしまったんです。
だからこそ、何を思うか、何を考えるか、何を創造するかが、重要になってきます。
だからこそ、ポジティブなことを考える必要があります。
でも、ネガティブな種を蒔いてしまったら?
もちろん、地獄巡りのスタートです(笑)。
あなたは、自分の創り出した迷路にはまります。
あなたの作り出した壁が出来上がります。
それは、あなたが自分に設けた制限に他なりません。
そして、あなたの恐れてて居る事が、次々と襲いかかってきます。
あなたが、否定しようとしている物が、どんどん現れます。
嫌いな上司かもしれません(笑)。
憎たらしい後輩かもしれません。
通路の角には、鬼さんが居るかもしれません。
牙をむいたワンちゃんかもしれません。
まあ、確かに、これが出てきたら、私も逃げ出すかもしれませんね(笑)。
できれば、ご遠慮頂きたいです。
角を曲がる度に、あなたが、分岐点に幾たびに、あなたが<嫌だ>と思っている事が次々と襲いかかってきます。
でも、創造したのはあなたです。
種を蒔いたのもあなたです。
ですから、刈り取りまで責任を取ってくださいな。
宮本武蔵は、「喧嘩上等」で、いつも戦いを挑んでいました。
自分で、トラブルを創造し続けていました。
だから、どこへ行っても、命の取り合いです。
私たちが、日常に感じているトラブルなんて、それに比べれば、ほんのちっぽけなものです。
でも、彼は気が付きます。
剣はいらない。
戦わずして勝つ。
それが、剣の極意だと気が付きます。
誰に勝つの?
もちろん、自分自身ですね。
自分自身の、不安や懸念や恐怖や怒りを切り捨てていきます。
強くなりたい、そんな、欲望も必要なくなります。
「五輪書」の最終章は短い言葉で語られています。
『武士ハ、兵法の道を慥に覚、其外、武藝を能勤、武士のをこなふ道、少もくらからず、
心のまよふ所なく、朝々時々におこたらず、心意二つの心をミがき、觀見二つの眼をとぎ、
少もくもりなく、まよひのくものはれたる所こそ、実の空と知べき也。』
要約するとこうです。
「兵法の道をちゃんと学んだ、
武芸にもよく励んだ、
武士の行う道にすこしも暗からず、
心も迷わない、
いつも修行を怠らないで、
心と、意の、二つの心を磨き、
観ることと、見ることの、二つの眼を研ぎ、
少しも曇ることも無く、
迷いの雲の晴れたとき、
真実の空だと知ることができるよ。」
じゃあ、そうじゃないとどうなるの?
『実の道をしらざる間は、
佛法によらず、世法によらず、
おのれハ、慥成道とおもひ、能事とおもへども、
心の直道よりして、世の大がねにあハせて見る時は、
其身の心のひいき、其目のひずミによつて、
実の道にハそむく物也。』
「真実の道を知らないとどうなるのかというと、
仏の法であれ世俗の法であれ、
自分では、正しい道かなと思っているし、善いことと思っていているんだけど、
本当のまっすぐな道や、世の中の大きな尺度から見てみれば、
それぞれの人には偏った心もあるし、
それぞれがもっている偏見(色眼鏡)によって、
真実の道からは外れちゃっているんだよ。」
そして、最後にこう述べています。
『空有善無惡
智者有也
理者有也
道者有也
心者空也』
もちろん、多くの人が、色々な道から、同じ結論に辿り着きます。
宮本武蔵が辿り着いた最後の答えです。
「ああ、もう、戦う必要なんてないんだ!」
きっと、すがすがしい気分になったでしょう。
もちろん、あなただって、辿り着けます。
呑気に、呑気に。
それが、一番。
いかが?