昨今、色々な意味で話題になっている橋下市長。
 色々な発言で、物議を醸し出している。

 さて、橋下さんの話し方は、アグレッシブ・コミュニケーションである。
 本音なのか、キャラクターなのか、それとも、もし、計算して話しているとすればすごいのだが、あえて、そう言った話し方をしてるのか?
 きつい事をぶつける。
 反応が起こる。
 むかっと来る人。
 賛同する人。
 賛否両論が起こる。
 と、ポジティブな意味では、そこから、新しい発見や見解が出てくる。
 だから、いいことである。

 だから、私も時々、隠した爪とキバを出して(笑)、ちくっと刺して(言われた方は致命傷かもしれないが(謝))しまう事もある。
 もちろん、コントロールしている。
 被害にあった人には、「ごめんなさい」である。

 でも、誰もが、橋下さんのように、ディベートが得意なわけではない。
 怒りに変わる人もいる。
 逆に、おびえてしまう人もいる。
 丸めこまれてしまう人もいる。
 困った事に、虎の威を借りる人も出てくる。
 もちろん、それをコントロール出来るかどうかは、それを言った人の力量だ。

 ネガティヴな意味では、リトマス試験紙となる。
 つまり、江戸時代の踏み絵である。
 簡単な事で、賛成派と反対派を見抜ける。
 自分の味方と敵を判別できる。
 だから、使い方によっては、ちょっと危険だ。

 別の方法もある。
 アサーティブ・コミュニケーションだ。
 言いたい事は言うが、やんわりと表現をする。
 相手には、嫌な気分を与えない。
 自分も、言いたい事が言えてすっきりする。
 だから、昔、アサーティブ・ジャパンの森田汐生さんに来て頂いて、大学で卒後講習会を開いてもらった事もある。

 もちろん、欠点もある。
 トレーニングが必要である。
 それに、やんわり言ったのでは、伝わらない人もいる。
 全ての人に使えるわけではない。
 キャラクターの問題もあるのだ。

 じゃあどうすんの?
 ってことになる。

 答えは、さじ加減である。

 これが、なかなか難しい。

 時には、ムチで。
 時には、アメで。
 これを、うまく、使い分けなくてはならない。

 言っている人にも個性がある。
 聞いている人にも個性がある。
 コミュニケーションは、そのディスクレパンシー、ギャップを埋めるためにこそ、存在する。