昨日、芥川賞・直木賞が発表される。
 芥川賞は、
 ・円城塔さんの「道化師の蝶」
 ・田中慎弥さんの「共喰い」
 直木賞は、
 ・葉室麟さんの「蜩ノ記」
でした。
 プロフィールが面白い。
 円城塔さんは、東大を出て、任期制の研究員などを続けて、喰うために小説を書いたとか。
 田中慎弥さんは、高校を出てから一度も働いた事がない。
 インタビューでも、「もらっといてやる」……。
 葉室麟さんは、地方紙の記者。

 で、である。
 私は、芥川賞作家も、直木賞作家も、ほとんど読んだ事がない。

 なぜか?
 面白みを感じない。
 魅力も感じない。
 文章そのものに、引き込まれるものを感じない。
 日本語としての、美しさを感じられない。

 実験的な作品であったり、私小説であったり、……。
 別にそれは、1つのジャンルだと思う。

 別に、小説そのものを否定するわけではない。
 
 でも、人は、何のために小説を読むのだろうか?

 個人的には、どろどろした他人の心の内など、読みたくはない。
 共感もしたくもない。
 できれば、すっきりしたい。
 だから、すかっとする小説を選んで読んでいる。

 そうそう、学生時代に書かされた読書感想文を思い出した。
 選別された図書は、芥川龍之介であったり、三島由紀夫だったり、谷崎潤一郎だったり、島崎藤村だったり、田山花袋だったり、志賀直哉だったり……。
 でも、いつも思っていた。
 「こころ」も好きな小説だ。
 でも、どろどろ。
 「土」も好きな小説。
 こでも、どろどろ。
 「車輪の下に」なんて、絶対なりたくない。
 「ジャンクリストフ」も「レミゼラブル」も「黒い兄弟」も「家なき子」も……。
 小学校から中学校時代の、多感な時代には、図書館の本を読み尽くした。
 それから、文豪といわれる小説家の作品はほぼ全て、推理小説からSFから、哲学書から少女マンガまで、私のジャンルである。
 もちろん、図書カードは分厚くなり、学校1位・2位を争った。
 だから、読む事自体は大好きである。
 今でも、毎週、10冊単位で蔵書が増えていく。

 だから、逆に、文字の中に隠された作者のイメージが、1ページ目を開いただけで伝わってくる。
 良い本は、背表紙が「読んでくれ!」と私にメッセージを発している。
 でも、どうしても読めない本がある。
 それが、ベストセラーとか、何とか賞受賞とかかれた作品だ。
 なんだか、本能的に、本当の「良さ」ではない、別の何かの意図を感じてしまうからかもしれない。
 
 そうそう、こんな本を思い出した。
山田隆文の歯医者さん日記

 「文豪はみんな、うつ」
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 さてさて……。