第7の感情、<受容>し、<共感>し、そして、<慈愛>を与えるためには、<自由であること>が必要です。
自由じゃない状態って、どんなことでしょうか?
それは、何かにとらわれている事です。
あなたは、<恐れ>に捕らわれてしまうと、身動きが出来ません。
あなたが、<怒り>に捉えられてしまうと、思考力はなくなります。
あなたに、<嫉妬>に囚えられていまうと、心の自由度は失われてしまいます。
とらえられてしまった状態は、英語で言うとスタック(stack)でしょうか?
あなたの思考力が、コンピューターのようにフリーズしてしまった状態です。
自由とは、高村光太郎の「道程」の詩のように、「君の前に道はない」状態です。
私は山歩きが好きです。
時々、雪山にも行きます。
夜、雪が降って、まだ、誰も歩いていない新雪の上を行きます。
私の前に、道はありません。
どこに行くのも自由です。
そして、振り返ります。
そこに、私の足跡が付いています。
まるで、これまで歩んできた人生みたいですね。
でも、確かな事があります。
その足跡は、確かに、私が一歩一歩歩んできたものです。
誰かに運んできてもらったものではありません。
自分の足で歩かなければ、来られなかったものです。
だから、こんな景色も堪能できます。
でも、何かに、囚われてしまっているとしたら……。
こんな物語をご存じですね。
ディケンズの「クリスマスキャロル」です。
主人公のスクルージ。
今では、scroogeそのものが、守銭奴・けちん坊という意味で用いられています。
クリスマスイブに、その上司のジェイコブ・マーレイが現れます。
彼は、重い鎖につながれていました。
その鎖は、彼が、生前に残した執着です。
その執着が、彼を地獄に鎖でつなぎ止めているんです。
では、あなたは、本当に、自由でしょうか?
もし、誰かの敷いたレールの上を歩いているとしたら?
本当に、両親や先生や上司のレールをの上を歩いていないって、胸を張って言えますか?
「あら、……ちゃんにはこの色が似合うわ」
「……ちゃん、お勉強をしましょうね」
「……ちゃんの学力では、この学校かしら」
さあ、あなたが選択をしなければならないときが来ました。
「学校」
「仕事」
「彼・彼女」
……
本当に、あなたが選択したんでしょうか?
絶対に、誰かの影響を受けていないって、言い切れますか?
「……ちゃんは、イイコね」
ご両親よ喜ばせたいからって、選択をしませんでしたか?
「……ちゃん、先生の言いつけを守って優等生ね」
先生に怒られないように、行動をしませんでしたか?
「……、始末書持ってこい!」
上司のご機嫌を伺いながら、仕事をしていませんか?
「クリスマスのプレゼントは何かな……」
彼(彼女)に嫌われないように行動していませんか?
あなたの、行動原理は、あなた自身のためですか?
それとも、誰かのために生きていますか?
もちろん、それは、あなたの人生ですから、どのように生きても自由です。
「私は、ちゃんとやってます!」
そんな人に限って……
雑誌やテレビの占いが気になりますか?
「動物占い」とか、「血液型占い」とか見てませんか?
思わず、「魔法の杖」なんか開いちゃったりしていませんよね?
まさか、その結果に一喜一憂したりしていませんよね???
雑誌やテレビで、パワースポット特集なんて目にすると、思わず、恋に効く神社巡りなんてしてないでしょうね!
本当に、貴船神社にも、鞍馬山にも、晴明神社にも、東京大神宮にも、明治神宮の清正井にも、大行列が出来ていました(って、わたしも行ってるじゃないですかって?(汗;))。
それくらいなら、まだいい方です。
高いお金を払って、著名な占い師なんかに見てもらったり……。
もっとひどい場合には、新興宗教にはまったり、啓発セミナーに参加してみたり、スピリチュアルセミナーに行って、自分の前世とかチャネリングしてもらってみたり……。
完全に、自分の自由意志を誰か他の人の選択に譲り渡してしまいました。
もう、あなただけの人生とは言い切れません。
「私はこんな人です」なんて言えません。
あなたのアイデンティティの崩壊です。
もう、崖っぷち!
でも、よく考えてみて下さい。
古代中国だって、国の運命をカメの甲羅を焼いて託してみたりしました。
古代日本だって、卑弥呼さんの行動原理はご神託です。
あなたの会社にも、きっと、どこかに神棚やお稲荷さんの鳥居があったりします。
リーダーだって悩んでいるんです。
神頼みをしているんです。
ってか、そんな人に、会社を任せて大丈夫かって話もありますが……(笑and焦)。
もう一度、ディケンズに戻ってみましょう。
クリスマスキャロルのスクルージはどうなったんでしょうか?
ジェイコブ・マーレイが、スクルージのために警告に来ました。
彼は、その人生の中で生まれて初めて(って、死んでましたね……)、誰かのために行動しました。
彼は、三人の精霊を連れてきます。
「過去のクリスマスの聖霊」、「現在のクリスマスの聖霊」、そして「未来のクリスマスの聖霊」です。
「過去のクリスマスの聖霊」は、スクルージを少年時代から、恋人との出会い、素朴な心を持っていたあの頃を思い出させます。
「現在のクリスマスの聖霊」は、甥のフレッドが「スクルージおじさんにかんぱい」と言っている姿を、
部下のクラチットの末子ティムが、脚が悪く病がちで、長くは生きられないことを知ってしまいます。
スクルージは思い出した。
スクルージにクリスマスだからと、貧しい人々への寄付を頼みに来た紳士に、「余分な人口が減って丁度いい」などと発してしまった事を。
最後に、とどめのように「未来のクリスマスの聖霊」は、墓碑銘に刻まれたスクルージの名前を見せました。
彼は、ようやく「金」に対する執着を捨てる事が出来たんですね。
そして、純真な心を思い出せたんですね。
さあ、「過去のクリスマスの聖霊」は、カウンセリングをしました。
私たちは、いつか、過去を振り返る時間があります。
見たくなくても、見ます。
その中で、楽しかった事、つらかった事を、追体験します。
そして、大人になったあなたは、過去の自分を見つめ返します。
何か、学び取れる事があるはずです。
当時はつらかったけど、今、考えれば、理解できます。
カール・ロジャーズの言う「感情の直面化」です。
えっ、今は見たくないですって???
そんな人には、こんな瞬間が待っています。
できれば、人生の最後の瞬間に走馬燈のように、ってのだけは勘弁です(笑)。
「現在のクリスマスの聖霊」は、客観的な状況分析を行いました。
自分が、どのような人間なのか。
他の人の目を通して、見る事が出来ました。
共感し、受容します。
「未来のクリスマスの聖霊」は、コーチングをしました。
過去は変えられない。
でも、今を変えれば、未来は変わるんだよ。
執着は人生を貧しくします。
慈愛が自分の人生を自由にしてくれる事に、スクルージは気が付きました。
では、あなたの囚われている<執着>ってなんでしょうか?
それは、あなたが、<感情>や<物>の奴隷になっている事です。
煩悩です。
前に、こんなたとえをしました。
二人のお坊さんが歩いています。
河の前で、女性が渡れずに困っています。
一人のお坊さんが、その女性をひょいを抱き上げて、河を渡してあげました。
しばらくして、もう一人のお坊さんが言いました。
「私たちは仏門ですから、女性に触れてはいけないんじゃ?」
始めのお坊さんは笑いました。
「君は、まだ、さっきの娘さんを抱いていたのかい?」
これが、<受容>であり、<共感>であり、<慈愛>です。
川を渡れずに困っている人がいる。
その状況を受け入れ、その状況の気持ちをくみ取り、なんの見返りも求めずに行動した。
あなたは、どちらのお坊さんでしょうか?
もちろん、あなたはあなた自身の主人公ですね!
「おーい、主人公~~~~~~~~っ!」
自由じゃない状態って、どんなことでしょうか?
それは、何かにとらわれている事です。
あなたは、<恐れ>に捕らわれてしまうと、身動きが出来ません。
あなたが、<怒り>に捉えられてしまうと、思考力はなくなります。
あなたに、<嫉妬>に囚えられていまうと、心の自由度は失われてしまいます。
とらえられてしまった状態は、英語で言うとスタック(stack)でしょうか?
あなたの思考力が、コンピューターのようにフリーズしてしまった状態です。
自由とは、高村光太郎の「道程」の詩のように、「君の前に道はない」状態です。
私は山歩きが好きです。
時々、雪山にも行きます。
夜、雪が降って、まだ、誰も歩いていない新雪の上を行きます。
私の前に、道はありません。
どこに行くのも自由です。
そして、振り返ります。
そこに、私の足跡が付いています。
まるで、これまで歩んできた人生みたいですね。
でも、確かな事があります。
その足跡は、確かに、私が一歩一歩歩んできたものです。
誰かに運んできてもらったものではありません。
自分の足で歩かなければ、来られなかったものです。
だから、こんな景色も堪能できます。
でも、何かに、囚われてしまっているとしたら……。
こんな物語をご存じですね。
ディケンズの「クリスマスキャロル」です。
主人公のスクルージ。
今では、scroogeそのものが、守銭奴・けちん坊という意味で用いられています。
クリスマスイブに、その上司のジェイコブ・マーレイが現れます。
彼は、重い鎖につながれていました。
その鎖は、彼が、生前に残した執着です。
その執着が、彼を地獄に鎖でつなぎ止めているんです。
では、あなたは、本当に、自由でしょうか?
もし、誰かの敷いたレールの上を歩いているとしたら?
本当に、両親や先生や上司のレールをの上を歩いていないって、胸を張って言えますか?
「あら、……ちゃんにはこの色が似合うわ」
「……ちゃん、お勉強をしましょうね」
「……ちゃんの学力では、この学校かしら」
さあ、あなたが選択をしなければならないときが来ました。
「学校」
「仕事」
「彼・彼女」
……
本当に、あなたが選択したんでしょうか?
絶対に、誰かの影響を受けていないって、言い切れますか?
「……ちゃんは、イイコね」
ご両親よ喜ばせたいからって、選択をしませんでしたか?
「……ちゃん、先生の言いつけを守って優等生ね」
先生に怒られないように、行動をしませんでしたか?
「……、始末書持ってこい!」
上司のご機嫌を伺いながら、仕事をしていませんか?
「クリスマスのプレゼントは何かな……」
彼(彼女)に嫌われないように行動していませんか?
あなたの、行動原理は、あなた自身のためですか?
それとも、誰かのために生きていますか?
もちろん、それは、あなたの人生ですから、どのように生きても自由です。
「私は、ちゃんとやってます!」
そんな人に限って……
雑誌やテレビの占いが気になりますか?
「動物占い」とか、「血液型占い」とか見てませんか?
思わず、「魔法の杖」なんか開いちゃったりしていませんよね?
まさか、その結果に一喜一憂したりしていませんよね???
雑誌やテレビで、パワースポット特集なんて目にすると、思わず、恋に効く神社巡りなんてしてないでしょうね!
本当に、貴船神社にも、鞍馬山にも、晴明神社にも、東京大神宮にも、明治神宮の清正井にも、大行列が出来ていました(って、わたしも行ってるじゃないですかって?(汗;))。
それくらいなら、まだいい方です。
高いお金を払って、著名な占い師なんかに見てもらったり……。
もっとひどい場合には、新興宗教にはまったり、啓発セミナーに参加してみたり、スピリチュアルセミナーに行って、自分の前世とかチャネリングしてもらってみたり……。
完全に、自分の自由意志を誰か他の人の選択に譲り渡してしまいました。
もう、あなただけの人生とは言い切れません。
「私はこんな人です」なんて言えません。
あなたのアイデンティティの崩壊です。
もう、崖っぷち!
でも、よく考えてみて下さい。
古代中国だって、国の運命をカメの甲羅を焼いて託してみたりしました。
古代日本だって、卑弥呼さんの行動原理はご神託です。
あなたの会社にも、きっと、どこかに神棚やお稲荷さんの鳥居があったりします。
リーダーだって悩んでいるんです。
神頼みをしているんです。
ってか、そんな人に、会社を任せて大丈夫かって話もありますが……(笑and焦)。
もう一度、ディケンズに戻ってみましょう。
クリスマスキャロルのスクルージはどうなったんでしょうか?
ジェイコブ・マーレイが、スクルージのために警告に来ました。
彼は、その人生の中で生まれて初めて(って、死んでましたね……)、誰かのために行動しました。
彼は、三人の精霊を連れてきます。
「過去のクリスマスの聖霊」、「現在のクリスマスの聖霊」、そして「未来のクリスマスの聖霊」です。
「過去のクリスマスの聖霊」は、スクルージを少年時代から、恋人との出会い、素朴な心を持っていたあの頃を思い出させます。
「現在のクリスマスの聖霊」は、甥のフレッドが「スクルージおじさんにかんぱい」と言っている姿を、
部下のクラチットの末子ティムが、脚が悪く病がちで、長くは生きられないことを知ってしまいます。
スクルージは思い出した。
スクルージにクリスマスだからと、貧しい人々への寄付を頼みに来た紳士に、「余分な人口が減って丁度いい」などと発してしまった事を。
最後に、とどめのように「未来のクリスマスの聖霊」は、墓碑銘に刻まれたスクルージの名前を見せました。
彼は、ようやく「金」に対する執着を捨てる事が出来たんですね。
そして、純真な心を思い出せたんですね。
さあ、「過去のクリスマスの聖霊」は、カウンセリングをしました。
私たちは、いつか、過去を振り返る時間があります。
見たくなくても、見ます。
その中で、楽しかった事、つらかった事を、追体験します。
そして、大人になったあなたは、過去の自分を見つめ返します。
何か、学び取れる事があるはずです。
当時はつらかったけど、今、考えれば、理解できます。
カール・ロジャーズの言う「感情の直面化」です。
えっ、今は見たくないですって???
そんな人には、こんな瞬間が待っています。
できれば、人生の最後の瞬間に走馬燈のように、ってのだけは勘弁です(笑)。
「現在のクリスマスの聖霊」は、客観的な状況分析を行いました。
自分が、どのような人間なのか。
他の人の目を通して、見る事が出来ました。
共感し、受容します。
「未来のクリスマスの聖霊」は、コーチングをしました。
過去は変えられない。
でも、今を変えれば、未来は変わるんだよ。
執着は人生を貧しくします。
慈愛が自分の人生を自由にしてくれる事に、スクルージは気が付きました。
では、あなたの囚われている<執着>ってなんでしょうか?
それは、あなたが、<感情>や<物>の奴隷になっている事です。
煩悩です。
前に、こんなたとえをしました。
二人のお坊さんが歩いています。
河の前で、女性が渡れずに困っています。
一人のお坊さんが、その女性をひょいを抱き上げて、河を渡してあげました。
しばらくして、もう一人のお坊さんが言いました。
「私たちは仏門ですから、女性に触れてはいけないんじゃ?」
始めのお坊さんは笑いました。
「君は、まだ、さっきの娘さんを抱いていたのかい?」
これが、<受容>であり、<共感>であり、<慈愛>です。
川を渡れずに困っている人がいる。
その状況を受け入れ、その状況の気持ちをくみ取り、なんの見返りも求めずに行動した。
あなたは、どちらのお坊さんでしょうか?
もちろん、あなたはあなた自身の主人公ですね!
「おーい、主人公~~~~~~~~っ!」