さあ、心の旅も100回目です。
<同情>や<情熱>の先をもう少し考えていきましょう。
人は、何かを、いろいろなかたちで訴えようとします。
もちろん、音楽も映画も本も大好きです。
そうやって、人間は文明を築いてきました。
別に、それを否定しようってんじゃありません。
でも、かもめのジョナサンのように、もう一度、視点を変えて上の方から眺めてみましょう。
地上では、たくさんの人が生きています。
それぞれが、それぞれの生活をしています。
でも、私たちが生きているうちに出会う人の数どれくらい?
つい最近、地上の人類の数は70億人を突破しました。
人生80年くらい。
70億人全部と、ご挨拶は出来ません。
せいぜい、出会えて数万人?
実際は、もっと、少ないかもしれませんね?
そんななかで、私たちは何をしているのでしょう?
普段の生活の中で、自分の周りの人間は何人ですか?
数千人?
数百人?
せいぜい、数十人?
そんなところで、勢力争いですか?
威厳が必要なんですね……。
それとも、うじうじ?
びくびく?
そんな人間達が、それぞれみんな、それぞれの人生を送っています。
日本人は日本に。
アメリカ人はアメリカ人として。
私のような歯科医師もいれば、学校の先生も、サラリーマンも、社長さんも、主婦も、子どもも、学生も、お年寄りも、人に言えないお仕事の人(笑)も……。
そして、それぞれが、色々な物を感じながら暮らしています。
そして、それぞれが、色々な人との関わりの中で暮らしています。
大自然に目を向けてみませんか?
花はただ咲いています。
春が来て、芽を出します。
成長して、つぼみが膨らみます。
そして、花を咲かせます。
実を結び、次の世代にゆだねます。
それだけですね。
花は、ただ、ありのままの生活を送っています。
もし、花の心が読めるとしたら……。
それは、<喜び>に違いありません。
人は、どうして、ありのままで生きていけないんでしょうか?
孔子さんや孟子さんや中庸さんは、一生懸命に、正しい生き方を探そうとしました。
老子さんや荘子さんは、ありのままの生き方を求めました。
禅の世界では、日々修行です。
とはいっても、特別な修行はしません。
朝起きて、顔を洗って歯みがきして、お掃除をして、ご飯を食べて、お風呂に入って、寝ます。
生きていく自体が悟りへの道です。
だから、無理にこじつけません。
春夏秋冬を感じ、今を生きている。
それこそが心の平穏をもたらします。
喫茶去です。
趙州和尚のもとに修行僧が教えを請いに来る。
「前に来たことがおありかな?」
「はい、以前にも参りました」
「喫茶去」
(そうかい、ならばお茶でも一服)
またあるとき、別の修行僧が教えを請いに来る。
「前に来たことがおありかな?」
「いえ、来た事はありません」
「喫茶去」
(そうかい、ならばお茶でも一服)
でも、あなたは誰の人生を生きていますか?
ご両親でも、先生でも、上司でも、配偶者でもありませんね。
あなたの人生です。
「瑞巖彦和尚。毎日自喚主人公。復自應諾。乃云。惺惺著。喏。他時異日。莫受人瞞。喏喏。」
「瑞巌彦和尚、毎日、自ら『主人公』と喚び、
復た、自ら応諾す。
乃ち曰く、
『惺惺著。喏。
他時異日、人の𥈞を受くること莫れ。
喏喏』」
(ずいがんげんおしょう、まいにちみずからしゅじんこうとよび、
またみずからおうだくす。
すなわちいわく
せいせいじゃく。じゃ。たじいじつ、ひとのまんをうくることなかれ。
じゃじゃ。)
だから、瑞巌和尚は、自分自身に「お~い、主人公!」と呼びかけました。
そして、自分で「は~~~い」と応えます。
今の言葉にしてみましょうか?
「お~い、おまえさんは、今、そこにいるかい?」
「は~い、いるよ~!」
今というのは、過去でも未来でもなく、今この瞬間です。
そこというのは、あなたの心が、ちゃんと、あなたの中の中心にいる事です。
真ん中にいるから、「心」なのに……。
ちょっと修飾が付くと「愛」になる。
でも、上と下が押さえつけられて、ちょっと窮屈だ。
横に行ったら、人の噂が気になって「恥」を感じる。
反対方向に行ったら、忘れっぽくなって、「懐かしんだり」「記憶をたどる」。
時々、同情しすぎて、「情」をかけすぎて失敗する。
もっとずれたら、「怪しんで」「憤って」「恨んで」。
ついには、「恍惚」に……。
をいをい!
下に行ったら「恋」=下心!
「思い」わずらったり、「念じたり」。
もっと落ち込んでしまったら、もう大変。
「忌み」嫌われて、「怠けて」「急いで」「怨念」を感じて、「恐れて」「恕して」「悠って」「患って」「悪人」になって、「悲しんで」「愚痴」を言って、そうっと「忍んで」……。
人間て、大変だ!
まだまだ、未熟者だにゃあ(笑)!
ぼくらみたいに、のんびり生きればいいのにね。
さあ、どうしたら、のんびり心の平穏が訪れるのでしょうね。
もうちょっと、先がありそうです。
<同情>や<情熱>の先をもう少し考えていきましょう。
人は、何かを、いろいろなかたちで訴えようとします。
もちろん、音楽も映画も本も大好きです。
そうやって、人間は文明を築いてきました。
別に、それを否定しようってんじゃありません。
でも、かもめのジョナサンのように、もう一度、視点を変えて上の方から眺めてみましょう。
地上では、たくさんの人が生きています。
それぞれが、それぞれの生活をしています。
でも、私たちが生きているうちに出会う人の数どれくらい?
つい最近、地上の人類の数は70億人を突破しました。
人生80年くらい。
70億人全部と、ご挨拶は出来ません。
せいぜい、出会えて数万人?
実際は、もっと、少ないかもしれませんね?
そんななかで、私たちは何をしているのでしょう?
普段の生活の中で、自分の周りの人間は何人ですか?
数千人?
数百人?
せいぜい、数十人?
そんなところで、勢力争いですか?
威厳が必要なんですね……。
それとも、うじうじ?
びくびく?
そんな人間達が、それぞれみんな、それぞれの人生を送っています。
日本人は日本に。
アメリカ人はアメリカ人として。
私のような歯科医師もいれば、学校の先生も、サラリーマンも、社長さんも、主婦も、子どもも、学生も、お年寄りも、人に言えないお仕事の人(笑)も……。
そして、それぞれが、色々な物を感じながら暮らしています。
そして、それぞれが、色々な人との関わりの中で暮らしています。
大自然に目を向けてみませんか?
花はただ咲いています。
春が来て、芽を出します。
成長して、つぼみが膨らみます。
そして、花を咲かせます。
実を結び、次の世代にゆだねます。
それだけですね。
花は、ただ、ありのままの生活を送っています。
もし、花の心が読めるとしたら……。
それは、<喜び>に違いありません。
人は、どうして、ありのままで生きていけないんでしょうか?
孔子さんや孟子さんや中庸さんは、一生懸命に、正しい生き方を探そうとしました。
老子さんや荘子さんは、ありのままの生き方を求めました。
禅の世界では、日々修行です。
とはいっても、特別な修行はしません。
朝起きて、顔を洗って歯みがきして、お掃除をして、ご飯を食べて、お風呂に入って、寝ます。
生きていく自体が悟りへの道です。
だから、無理にこじつけません。
春夏秋冬を感じ、今を生きている。
それこそが心の平穏をもたらします。
喫茶去です。
趙州和尚のもとに修行僧が教えを請いに来る。
「前に来たことがおありかな?」
「はい、以前にも参りました」
「喫茶去」
(そうかい、ならばお茶でも一服)
またあるとき、別の修行僧が教えを請いに来る。
「前に来たことがおありかな?」
「いえ、来た事はありません」
「喫茶去」
(そうかい、ならばお茶でも一服)
でも、あなたは誰の人生を生きていますか?
ご両親でも、先生でも、上司でも、配偶者でもありませんね。
あなたの人生です。
「瑞巖彦和尚。毎日自喚主人公。復自應諾。乃云。惺惺著。喏。他時異日。莫受人瞞。喏喏。」
「瑞巌彦和尚、毎日、自ら『主人公』と喚び、
復た、自ら応諾す。
乃ち曰く、
『惺惺著。喏。
他時異日、人の𥈞を受くること莫れ。
喏喏』」
(ずいがんげんおしょう、まいにちみずからしゅじんこうとよび、
またみずからおうだくす。
すなわちいわく
せいせいじゃく。じゃ。たじいじつ、ひとのまんをうくることなかれ。
じゃじゃ。)
だから、瑞巌和尚は、自分自身に「お~い、主人公!」と呼びかけました。
そして、自分で「は~~~い」と応えます。
今の言葉にしてみましょうか?
「お~い、おまえさんは、今、そこにいるかい?」
「は~い、いるよ~!」
今というのは、過去でも未来でもなく、今この瞬間です。
そこというのは、あなたの心が、ちゃんと、あなたの中の中心にいる事です。
真ん中にいるから、「心」なのに……。
ちょっと修飾が付くと「愛」になる。
でも、上と下が押さえつけられて、ちょっと窮屈だ。
横に行ったら、人の噂が気になって「恥」を感じる。
反対方向に行ったら、忘れっぽくなって、「懐かしんだり」「記憶をたどる」。
時々、同情しすぎて、「情」をかけすぎて失敗する。
もっとずれたら、「怪しんで」「憤って」「恨んで」。
ついには、「恍惚」に……。
をいをい!
下に行ったら「恋」=下心!
「思い」わずらったり、「念じたり」。
もっと落ち込んでしまったら、もう大変。
「忌み」嫌われて、「怠けて」「急いで」「怨念」を感じて、「恐れて」「恕して」「悠って」「患って」「悪人」になって、「悲しんで」「愚痴」を言って、そうっと「忍んで」……。
人間て、大変だ!
まだまだ、未熟者だにゃあ(笑)!
ぼくらみたいに、のんびり生きればいいのにね。
さあ、どうしたら、のんびり心の平穏が訪れるのでしょうね。
もうちょっと、先がありそうです。