お地蔵様は、地獄に堕ちた人々が<かわいそうだ>と想って、<同情心>から、地獄を旅しているのでしょうか?
お地蔵様は、地獄に堕ちた人々を、全員、極楽に送り届けようとして、<情熱>から、地獄を旅しているのでしょうか?
答えは、どちらでもありません。
もっと、ずっと高いところから見ています。
<恐れ>も<怒り>も<嫉妬>も<喜び>も<同情>も<情熱>も、超越したところにいます。
もちろん、私たちにだって、できますよ。
数年前に、来日したパッチ・アダムスさんがいます。
無償で、みんなを治療する病院(ゲズンドハイト・インスティテュート)を建てたいと、今でも、世界中を旅しています。
そして、日本で初めてとなるクラウニング・ツアーが行われました。
赤い鼻をつけて、老人施設や病院や孤児院をまわります。
ここには、たくさんの医療・福祉関係者や学生さんが参加しました。
「赤鼻の先生」のモデルにもなった、昭和大学の院内学級の副島さんもいました。
そこで、多くの奇跡が起こります。
ある病院で、一度も笑ったことのないおばあちゃんがいました。
私は、「こんにちわ」と声をかけます。
おばあちゃんは、微笑みました。
そして、上機嫌になって、踊り始めました。
病院の看護師さんや職員の方々が、本当にびっくりしました。
「あのおばあちゃんが、笑っている」
毎日看護をしている看護師さんには、それが、奇跡に見えました。
「なにを、したんですか?」
と、訊かれます。
でも、なにもしていないんです。
ただ、おばあちゃんのそばにいたんです。
もちろん、ありのままの自分で。
それだけです。
なんの秘密もありません。
ある、重度心身障害施設です。
一度も笑ったことのない障害児がいました。
生まれてからずっと、車いすに縛り付けられています。
一人で歩いたことなんてありません。
生まれたときから、施設暮らしです。
私は、「こんにちわ」と声をかけます。
と、その男の子は、笑い転げて、車いすから転げ落ちそうになりました。
お母さんと、いつも世話をしている職員さんが、涙目になりました。
「この子が、笑っている」
毎日、子供の世話と、障害児を産んでしまった罪悪感と負い目から、大変な思いをしているお母さんには、笑顔を見せた我が子が、本当に奇跡に見えました。
でも、なにもしていないんです。
ただ、そのこの前に座って、そばにいたんです。
もちろん、ありのままの自分で。
それだけです。
なんの秘密もありません。
横を見ると、パッチ・アダムスは、言葉を発せないおばあちゃんの手をじっと握ったまま、優しい目をして、おばあちゃんを見つめています。
それだけです。
本当に、それだけなんです。
私の部屋に、たくさんの学生さんが訪れます。
私は、お茶を入れて、お菓子をすすめます。
お説教も、指導もありません。
ただ、それだけなんです。
みんな、お弁当持参で、「いっしょに、お昼を食べよう」と行って来てくれます。
時には、他の人の前では見せたことのない涙をひとしきり流して、帰って行きます。
パワーゲームの大好きな人なら、きっと、こう言うに違いありません。
「さあ、せっかくきてやったんだから、笑え!」
きっと、誰も笑ってくれません。
みなさんには、この秘密がわかるでしょうか?
お地蔵様の極意がここにあります。
さあ、もう一度、あなたの人生を振り返ってみましょう。
生まれました。
ご両親の愛にはぐくまれています。
よちよち歩きができるようになりました。
さあ、近くの公園デビューです。
あなたは、歩き始めます。
でも、ちょっと、不安になりました。
振り返ってみます。
と、笑顔のお母さんと、カメラを構えたお父さんが、笑顔で見守っています。
だから、勇気を出して、もう少し遠出をしてみます。
新しい景色が広がります。
好奇心が芽生えます。
でも、ちょっと、不安です。
だから、振り返りました。
もちろん、あなたを見守っているご両親がそこにいます。
あなたも微笑みます。
だから、あなたは、また、次の一歩を踏み出しました。
と、小石がありました。
あなたは躓いて倒れます。
べそをかいて、振り向きました。
心配そうなお母さんの顔があります。
でも、勇気を振り絞って、立ち上がりました。
お父さんが、Vサインをしました。
あなたの前には、好奇心でいっぱいの未知の空間が広がっています。
でも、後ろでは、優しいご両親が見守っていてくれます。
だから、あなたは、成長できたんです。
振り返れば、そこにいるのです。
寄り添っていてくれたんです。
それだけです。
なんの秘密もありません。
今朝、大学に来る通勤途中で、全く同じシーンを見ました。
ご両親と一緒にお散歩している、よちよち歩きの赤ちゃん。
と、とことこと走って、こけました。
でも、泣きません。
お父さんが、優しく起こしてあげました。
たった、それだけのシーンです。
えっ、みなさんには、日常の中の素晴らしい光景が目に入らないんでしょうか?
私たちが成長するためのアイテムは、ちゃんと、どこにでも、ちょうど良いタイミングで、用意されています。
それに、気づけませんか?
不思議でしょうか?
私には、ちっとも不思議ではありません。
だって、当たり前のことですから。
みなさんは、大きくなったとき、そのことを忘れてしまいました。
だから、周りの人に、してあげることができません。
「星の王子様」を書いたサン・テグジュペリが言いましたね。
「子供のころの心を忘れちゃいけないよ」
すべての極意がここにあります。
よく、人に訊かれます。
「嫌いな人、いないんですか?」
もちろん、あまりお付き合いをしたくない人もいることはいます。
でも、<恐れ>は感じません。
<怒り>も感じません。
<嫉妬>も感じません。
(まあ、この年末ジャンボくじは買いたいですが(笑))
答えは簡単です。
<感情>を否定していません。
「ああ、この人を嫌っている自分がいる」
その感情を感じて、一瞬で流します。
握りしめません。
正面からぶつかりません。
排除しようとも想いません。
ため込みもしません。
そして、私は考えています。
「どうして、この人が嫌いなんだろう?」
そのうち、私は好奇心でにやにやし始めています。
私には、その相手が、閉じられた迷路の中で迷っているありさんにしか見えません。
弱い繊細な心を隠すための、壁や鎧やとげとげがよく見えます。
もちろん、時には、けんかを売られることもあります。
でも、<恐怖>は感じません。
「この人は、なぜ、怒っているんだろう?」
「なにに対して、怒りを感じているだろう?」
私は、にやにやしながら、しっかり喧嘩を買っています。
もちろん、こちらは感情的になっていませんから、いくら私に攻撃を仕掛けても、のれんに腕押しです。
そんな極意は、一休さんだって、良寛さんだって、もちろん、ご存じ、お見通しでした。
だから、周りに人が集まっていました。
お地蔵さんだってそうです。
きっと、三途の川の畔の賽の河原で、子供たちをいじめている悪役の鬼さんたちの相談にだって乗っていたかもしれません(笑)。
そんな<感情>を超越した世界?
みなさんも、行ってみたいと想いませんか?
そんな遠くにはありません。
誰にでも行けます。
そして、ゴールはもうすぐなんです。
あなたのこころにまだ、壁がありますか?
でも、それは、やはりあなたが造った物です。
だから、ハリーポッターのダイアゴン横町へ入る壁みたいに、魔法で消してしまう事が出来ます。
こんな、心のつっかえ棒。
もう、はずしてもいいんですよ。