感情は流してしまいましょう。
と、簡単に書きました。
でも、そんなに簡単なら、カウンセラーはいりません(笑)。
ニュースでも、鬱の人数が史上最高になり、モンスターペアレンツに襲われた学校の校長先生や教頭先生が「辞めたい」と言った数も最高になりました。
相手が、必ずしもいい人であるとは限らないんですよね。
そこが、問題です。
私だって、こんなモンスターが出てきたら、どうしていいかわかりません。
まあ、そこまで行かなくても、世の中にはモンスターがたくさん居ます。
そう言った連中は、あなたにパワーゲームを仕掛けてくるかもしれません。
ハゲタカのように、あなたのエネルギー奪いに来ます。
キバをむいてきます。
笑顔の練習をしなさい。
そう言いました。
でも、世の中には、眉間にしわを寄せたり、口をへの字に曲げたり、目をむいたり、笑顔なんて、見せた事もないような人がたくさん居ます。
生き馬の目を抜くと言いますが、本当に、油断ならないかもしれません。
パワーゲームを仕掛ける人は、
・他人を自分の思うとおりに従わせようとします。
・人間、優しさや協調性が大事なんて言いながら、自分ではぜんぜん実践していません。
もちろん、私から見れば、自分のパワーの使い方を間違えている人たちです。
彼らにとっては、その優越感が行動原理の全てです。
もちろん、とばっちりを食った人は大変です。
ジェットコースターのように、エネルギー奪われます。
へろへろになって……
もう、こんな感じです。
でも、私には、そんなパワーゲームを仕掛ける人の心の中が見えます。
そうする事でしか、自分自身を維持する事の出来ないかわいそうな人々です。
だって、他に、やり方を知らないんですから!
私には、ドクターという映画にでてきたかかしの逸話に見えます。
「お友達が欲しい」と思っているのに、そんな方法でしかコミュニケーションが取れません。
手を広げても誰も寄ってきません。
無理矢理、へたくそな歌を聴かせようとする、ドラえもんのジャイアンのようにも見えます。
危なっかしい、薄氷の上を、歩いているように見えます。
彼らの心の中は、こんな感じなんです。
自分の心の花園を、他人のエネルギーで造ったお花で埋めようとします。
でも、いくら奪い取って、お花畑を満たそうとしても、枯れてしまいます。
だから、また、奪いに行きます。
でも、涸れます。
だから、もっとたくさんの花を欲しがります。
気が付いたとき、自分自身で、自分の心の花園を耕して、花を育てる事を忘れてしまいました。
不幸な人々です。
かわいそうな人々です。
でも、自分自身で、その焦燥感を埋める事が出来ません。
「あなたはすごい」と言ってもらう。
「俺の言う事に従え」と言って、誰かがその通りに動く。
そんな、自己満足しか、自分自身を維持できません。
ちっぽけですね。
本当は、さみしい人なんです。
もう、心は、崩壊をはじめています。
でも、救ってあげる事は出来ません。
これもまた選択なんです。
彼ら自身が、その人生を選びました。
もし、忠告すれば、「そんなことは,言われとうない!」と、烈火の如く<怒り>ます。
でも、本当は、心の底では、誰かの救いを求めています。
では、どうしたらいいのでしょうか?
そんな人は怖いですか?
そんな人は嫌いですか?
怒りを感じますか?
哀れに思いますか?
でも、神様や仏様なら、こうします。
千曲川沿いには、こんな伝説が残っています。
村でも有名な強欲でけちんぼで嫌われ者の、無信心なお婆さんがいました。
近所の人が、「一緒に善光寺様へお参りに行かねえかい。」と誘っても、返事もしません。
「善光寺様とやらへ行ったところで、いったい何の得があるんだかいね。
腹が減って、くたびれるだけでねえか。いやなこった。」
といった具合です。
ある日の事、お尻を善光寺様のほうに向けて、布を干していました。
すると、大きな牛が白い布をつのに引っかけて、逃げ出します。
「こらぁ、待て! 」と、ごうつく婆さんは牛を追いかけます。
ふと気がつくと、牛は、大きなお寺の中に逃げ込みます。
婆さんも追いかけて、如来堂に入ります。
でも、牛は居ません。
お婆さんは急に力が抜けて座り込みます。
そこは、善光寺でした。
あっと、婆さんが見ると、牛が持って行ったはずの白い布は観世音菩薩の首にかかっている。
婆さんは腰を抜かさんばかりにびっくりする。
そして、這いつくばるようにして手を合わせた。
婆さんは、仏様が、自分を善光寺へ導いてくれたことに気が付いたのだ。
ようやく、婆さんの心の奥深く眠っておった仏心が目を開いた。
牛に引かれて善光寺参りという。
今でも、千曲川の河岸には、牛が白い布を引いたような跡が残っているそうな。
「思いがけない事が縁で、偶然によい方向に導かれれうこと。」
と、辞書には解説してあります。
さて、私たちは、そんな人にも<同情>し、目が開くように<情熱>を傾ける?
そんな、仏様のような心になれるかどうか?
それとも、あなたもパワーゲームを仕掛けますか?
これも、選択ですね。
と、簡単に書きました。
でも、そんなに簡単なら、カウンセラーはいりません(笑)。
ニュースでも、鬱の人数が史上最高になり、モンスターペアレンツに襲われた学校の校長先生や教頭先生が「辞めたい」と言った数も最高になりました。
相手が、必ずしもいい人であるとは限らないんですよね。
そこが、問題です。
私だって、こんなモンスターが出てきたら、どうしていいかわかりません。
まあ、そこまで行かなくても、世の中にはモンスターがたくさん居ます。
そう言った連中は、あなたにパワーゲームを仕掛けてくるかもしれません。
ハゲタカのように、あなたのエネルギー奪いに来ます。
キバをむいてきます。
笑顔の練習をしなさい。
そう言いました。
でも、世の中には、眉間にしわを寄せたり、口をへの字に曲げたり、目をむいたり、笑顔なんて、見せた事もないような人がたくさん居ます。
生き馬の目を抜くと言いますが、本当に、油断ならないかもしれません。
パワーゲームを仕掛ける人は、
・他人を自分の思うとおりに従わせようとします。
・人間、優しさや協調性が大事なんて言いながら、自分ではぜんぜん実践していません。
もちろん、私から見れば、自分のパワーの使い方を間違えている人たちです。
彼らにとっては、その優越感が行動原理の全てです。
もちろん、とばっちりを食った人は大変です。
ジェットコースターのように、エネルギー奪われます。
へろへろになって……
もう、こんな感じです。
でも、私には、そんなパワーゲームを仕掛ける人の心の中が見えます。
そうする事でしか、自分自身を維持する事の出来ないかわいそうな人々です。
だって、他に、やり方を知らないんですから!
私には、ドクターという映画にでてきたかかしの逸話に見えます。
「お友達が欲しい」と思っているのに、そんな方法でしかコミュニケーションが取れません。
手を広げても誰も寄ってきません。
無理矢理、へたくそな歌を聴かせようとする、ドラえもんのジャイアンのようにも見えます。
危なっかしい、薄氷の上を、歩いているように見えます。
彼らの心の中は、こんな感じなんです。
自分の心の花園を、他人のエネルギーで造ったお花で埋めようとします。
でも、いくら奪い取って、お花畑を満たそうとしても、枯れてしまいます。
だから、また、奪いに行きます。
でも、涸れます。
だから、もっとたくさんの花を欲しがります。
気が付いたとき、自分自身で、自分の心の花園を耕して、花を育てる事を忘れてしまいました。
不幸な人々です。
かわいそうな人々です。
でも、自分自身で、その焦燥感を埋める事が出来ません。
「あなたはすごい」と言ってもらう。
「俺の言う事に従え」と言って、誰かがその通りに動く。
そんな、自己満足しか、自分自身を維持できません。
ちっぽけですね。
本当は、さみしい人なんです。
もう、心は、崩壊をはじめています。
でも、救ってあげる事は出来ません。
これもまた選択なんです。
彼ら自身が、その人生を選びました。
もし、忠告すれば、「そんなことは,言われとうない!」と、烈火の如く<怒り>ます。
でも、本当は、心の底では、誰かの救いを求めています。
では、どうしたらいいのでしょうか?
そんな人は怖いですか?
そんな人は嫌いですか?
怒りを感じますか?
哀れに思いますか?
でも、神様や仏様なら、こうします。
千曲川沿いには、こんな伝説が残っています。
村でも有名な強欲でけちんぼで嫌われ者の、無信心なお婆さんがいました。
近所の人が、「一緒に善光寺様へお参りに行かねえかい。」と誘っても、返事もしません。
「善光寺様とやらへ行ったところで、いったい何の得があるんだかいね。
腹が減って、くたびれるだけでねえか。いやなこった。」
といった具合です。
ある日の事、お尻を善光寺様のほうに向けて、布を干していました。
すると、大きな牛が白い布をつのに引っかけて、逃げ出します。
「こらぁ、待て! 」と、ごうつく婆さんは牛を追いかけます。
ふと気がつくと、牛は、大きなお寺の中に逃げ込みます。
婆さんも追いかけて、如来堂に入ります。
でも、牛は居ません。
お婆さんは急に力が抜けて座り込みます。
そこは、善光寺でした。
あっと、婆さんが見ると、牛が持って行ったはずの白い布は観世音菩薩の首にかかっている。
婆さんは腰を抜かさんばかりにびっくりする。
そして、這いつくばるようにして手を合わせた。
婆さんは、仏様が、自分を善光寺へ導いてくれたことに気が付いたのだ。
ようやく、婆さんの心の奥深く眠っておった仏心が目を開いた。
牛に引かれて善光寺参りという。
今でも、千曲川の河岸には、牛が白い布を引いたような跡が残っているそうな。
「思いがけない事が縁で、偶然によい方向に導かれれうこと。」
と、辞書には解説してあります。
さて、私たちは、そんな人にも<同情>し、目が開くように<情熱>を傾ける?
そんな、仏様のような心になれるかどうか?
それとも、あなたもパワーゲームを仕掛けますか?
これも、選択ですね。