感情は流してしまいましょう。
 と、簡単に書きました。
 でも、そんなに簡単なら、カウンセラーはいりません(笑)。
 ニュースでも、鬱の人数が史上最高になり、モンスターペアレンツに襲われた学校の校長先生や教頭先生が「辞めたい」と言った数も最高になりました。
 相手が、必ずしもいい人であるとは限らないんですよね。
 そこが、問題です。
山田隆文の歯医者さん日記

 私だって、こんなモンスターが出てきたら、どうしていいかわかりません。
 まあ、そこまで行かなくても、世の中にはモンスターがたくさん居ます。
 そう言った連中は、あなたにパワーゲームを仕掛けてくるかもしれません。
山田隆文の歯医者さん日記

 ハゲタカのように、あなたのエネルギー奪いに来ます。
山田隆文の歯医者さん日記

 キバをむいてきます。
山田隆文の歯医者さん日記

 笑顔の練習をしなさい。
 そう言いました。
 でも、世の中には、眉間にしわを寄せたり、口をへの字に曲げたり、目をむいたり、笑顔なんて、見せた事もないような人がたくさん居ます。
 生き馬の目を抜くと言いますが、本当に、油断ならないかもしれません。

 パワーゲームを仕掛ける人は、
・他人を自分の思うとおりに従わせようとします。
・人間、優しさや協調性が大事なんて言いながら、自分ではぜんぜん実践していません。

 もちろん、私から見れば、自分のパワーの使い方を間違えている人たちです。
 彼らにとっては、その優越感が行動原理の全てです。
山田隆文の歯医者さん日記

 もちろん、とばっちりを食った人は大変です。
 ジェットコースターのように、エネルギー奪われます。
山田隆文の歯医者さん日記

 へろへろになって……
山田隆文の歯医者さん日記

 もう、こんな感じです。

 でも、私には、そんなパワーゲームを仕掛ける人の心の中が見えます。
 そうする事でしか、自分自身を維持する事の出来ないかわいそうな人々です。
 だって、他に、やり方を知らないんですから!
山田隆文の歯医者さん日記

 私には、ドクターという映画にでてきたかかしの逸話に見えます。
 「お友達が欲しい」と思っているのに、そんな方法でしかコミュニケーションが取れません。
 手を広げても誰も寄ってきません。
 無理矢理、へたくそな歌を聴かせようとする、ドラえもんのジャイアンのようにも見えます。
山田隆文の歯医者さん日記

 危なっかしい、薄氷の上を、歩いているように見えます。

 彼らの心の中は、こんな感じなんです。
山田隆文の歯医者さん日記

 自分の心の花園を、他人のエネルギーで造ったお花で埋めようとします。
 でも、いくら奪い取って、お花畑を満たそうとしても、枯れてしまいます。
 だから、また、奪いに行きます。
 でも、涸れます。
 だから、もっとたくさんの花を欲しがります。
 気が付いたとき、自分自身で、自分の心の花園を耕して、花を育てる事を忘れてしまいました。
 不幸な人々です。
 かわいそうな人々です。
 でも、自分自身で、その焦燥感を埋める事が出来ません。
 「あなたはすごい」と言ってもらう。
 「俺の言う事に従え」と言って、誰かがその通りに動く。
 そんな、自己満足しか、自分自身を維持できません。
 ちっぽけですね。
 本当は、さみしい人なんです。
山田隆文の歯医者さん日記

 もう、心は、崩壊をはじめています。

 でも、救ってあげる事は出来ません。
 これもまた選択なんです。
 彼ら自身が、その人生を選びました。

 もし、忠告すれば、「そんなことは,言われとうない!」と、烈火の如く<怒り>ます。
 でも、本当は、心の底では、誰かの救いを求めています。

 では、どうしたらいいのでしょうか?
 そんな人は怖いですか?
 そんな人は嫌いですか?
 怒りを感じますか?
 哀れに思いますか?

 でも、神様や仏様なら、こうします。

 千曲川沿いには、こんな伝説が残っています。

 村でも有名な強欲でけちんぼで嫌われ者の、無信心なお婆さんがいました。
 近所の人が、「一緒に善光寺様へお参りに行かねえかい。」と誘っても、返事もしません。
「善光寺様とやらへ行ったところで、いったい何の得があるんだかいね。
 腹が減って、くたびれるだけでねえか。いやなこった。」
 といった具合です。
 ある日の事、お尻を善光寺様のほうに向けて、布を干していました。
 すると、大きな牛が白い布をつのに引っかけて、逃げ出します。
「こらぁ、待て! 」と、ごうつく婆さんは牛を追いかけます。
 ふと気がつくと、牛は、大きなお寺の中に逃げ込みます。
 婆さんも追いかけて、如来堂に入ります。
 でも、牛は居ません。
 お婆さんは急に力が抜けて座り込みます。
 そこは、善光寺でした。
 あっと、婆さんが見ると、牛が持って行ったはずの白い布は観世音菩薩の首にかかっている。
 婆さんは腰を抜かさんばかりにびっくりする。
 そして、這いつくばるようにして手を合わせた。
 婆さんは、仏様が、自分を善光寺へ導いてくれたことに気が付いたのだ。
 ようやく、婆さんの心の奥深く眠っておった仏心が目を開いた。

 牛に引かれて善光寺参りという。
 今でも、千曲川の河岸には、牛が白い布を引いたような跡が残っているそうな。

 「思いがけない事が縁で、偶然によい方向に導かれれうこと。」
 と、辞書には解説してあります。

 さて、私たちは、そんな人にも<同情>し、目が開くように<情熱>を傾ける?
 そんな、仏様のような心になれるかどうか?
 それとも、あなたもパワーゲームを仕掛けますか?

 これも、選択ですね。