でも、多くの方はこう言います。
「心の中は、真っ暗闇よ!どこに、光なんてあるの?」
確かに、<恐れ>や<怒り>や<嫉妬>のまっただ中にいる時には、光は見えません。
どうしていいのかもわかりません。
さて、こんな映画がありました。
「奇跡の輝き」と言います。
事故で死んでしまった主人公の妻が、悲観して、自殺して、地獄に堕ちてしまいました。
ロビン・ウィリアムス扮する主人公は、暗い地獄に妻の魂を探しに行きます。
そして、見事、天国に呼び戻すのですね。
さて、天国も地獄も、実は、私たちの考え方次第だと書いてきました。
そんなことを言われたって、「私は、今、落ち込んでいるまっただ中なのよ!」と声が聞こえてきそうです。
でも、その選択をしたのは、自分自身ですよと、これも、何度も書いてきました。
とは言われても、問題のまっただ中にいるときには、解決の糸口なんて見えません。
いろいろな問題に囲まれて、身動きが取れなくなっているのが、現実です。
心の中は、チーズはどこへ消えたかの迷路のようです。
複雑に絡み合った蜘蛛の巣のようです。
疑心暗鬼という言葉があります。
疑う<心>が、暗闇に<鬼>を呼ぶのですね。
まさに、読んで字のごとくです。
でも、解決法はもう書いてきましたね。
泣いてもいいんですね。
カラオケボックスで、思い切り叫んでもいいですね。
家に帰って、クッションに八つ当たりしたっていいんです。
すかっとする映画を観てきてもいいです。
何かの方法で、感情を発散させてみましょう。
我慢するから、泥沼に入り込んでしまいます。
我慢しなくもいいんです。
そして、<喜び>が暗闇を照らす光なんですね。
光を照らすことで、複雑怪奇な心の糸のもつれが見えてくるのですね。
疑心暗鬼の反対は、「笑う門には福来たる」ですね。
暗闇の鬼と言っても、仮面ライダーではありませんが……
(仮面ライダー響鬼の秘密基地のモデルになっている竹むらという粟ぜんざい屋さんです)
響鬼の場合には、吉野に本部があるとのことですから、役の行者の前鬼・後鬼あたりがルーツのようですね。
さて、鬼というのは、地獄の鬼などを思い出しますね。
<恐れ>や<怒り>や<嫉妬>などのネガティブな感情の総本山のような気もします。
怒った顔を、鬼のようになんて、表現しますね。
でも、本当に、渡る世間は鬼ばかりなんでしょうか?
結婚する前には、食べちゃいたいくらい可愛かったあの娘が、どうして、家に帰るのが嫌なくらいな鬼になってしまうのでしょうか?
亭主元気で、留守がいいと言うことになってしまうのでしょうか?
一言。
これは、感情の間違った使い方をしているからに他ならないのですね。
役の行者の鬼は、かつて人々を怖がらせている鬼でした。
でも、役の行者を助け、今日まで、吉野の山で修行する人々を守る守護神のような、良い鬼になりました。
鬼ですら変化できます。
私たちも、変わることはできるはずです。